第百一幕
——前日。
……悪夢を見た。人を信じるのは柄じゃなかった。なのに人を信じた。そして、簡単に裏切られた。それも、身内の人間に。どこで間違えたんだろう…… ただ利用するつもりだったのに、気づけば信用していた。気付けば利用されていた……
勝手に、思い上がってた……
「リアナ様…… もう時期オルディボ様が、参ります。移動の準備をお願いします」
ドアの向こうからミリアの声が聞こえた。姫は、ベットに寝そべり天井を見上げたまま無言を貫いた。しばらくすると、その足音はゆっくりと部屋から遠のいた。
そうだ…… 移動しないと…… もうすぐ、この部屋はミーシャの部屋になる。私の部屋は、もう何処にも無い…… 早く…… いなくならないと……
ふと、首を動かした。
「綺麗…………」
姫は、徐に窓の外の景色に視線を向けると思わず呟いた。辺り一面に広がる夜空。祝い事でもあるのか、煌びやかに星々を着飾る暗闇。その全てが、姫に視線を向ける。
「良いわよね…… 貴方達は…… いつ見ても明るいまま…… 私が生まれる前からずっと同じ…… きっと、私が死ぬその時も何一つ変わらない…… そもそも…… 気づいてすらくれない…… 貴方にとって私は…… 小さ過ぎる……」
"トンッ トンッ"
一瞬、心臓が止まったように感じた。もう何度も聞き慣れた音なのに……
「ミーシャ……?」
姫の視線は、恐る恐ると扉へ向いた。
「ミーシャ様でしたら、もうしばらくかかりそうです。姫様……」
その声に、姫は視線を下ろした。
「そう…… 今、出るわ…… 少し待ってて……」
「いえ。まだ、部屋を出るには少し早いかと」
男の言葉に姫は、ゆっくりと身体を起こした。
「なら…… 何しに来たの……」
姫は、扉を凝視したままベットのシーツをギュッと握りしめた。
「少し、話でもしようかと思いまして。よろしいでしょうか?」
「…………話す事なんて何も無いと思うんだけど」
「よろしいのですか? あと、数分もすれば姫様は地下へ投獄されるでしょう。期間も不明なゆえ、しばらくは外部の人間とは連絡が取れなくなってしまいます。最後に話せるチャンスなのですよ」
「そう…… でも、最後の話し相手が貴方だなんて、とんだ悪夢ね」
「ご不満でしたら、ララサに代わるよう、お伝えしますが……」
「それは、もう地獄よ」
姫は、思わず笑みを溢した。ああ…… もう、どうでも良くなってきたかも。
「……入らないの? 別に私の許可なんて待たなくたって良いのよ。それに、どうせ外からしか開けられないんだし。今この部屋は、ただの空き部屋と変わらないのよ」
その声に反応するように扉が開いた。
「随分と素直になられたのですね。普段から、そうしていてくれたならどれほど楽だったか……」
男は、穏やかな表情のまま姫の隣に腰掛けた。
「あらそう…… まあでも、こう何度も立て続けに不幸が重なってくれば嫌でも諦めがつくものよ…… 分かるでしょ?」
姫は、そう言うと何食わぬ顔で男の肩に頭を乗せた。
「私ってさ…… 道具なのよね。生まれた時から皆んなに必要とされてる。でも、頼られてるわけじゃない…… いやでも分かるのよね。皆んな、私を利用したいだけ…… だから皆んな口を揃えて言うの…… 『貴方のために』って…… 誰も、『自分のために』とは言わない…… はなから私の助けなんて期待してないから…… 皆んな、建前だけで本当は私に何もしてほしくなんかない……」
男は、思わず呆気に取られた。今まで見たことのない弱音を前に。
「……初めて聞きました。そんなことを考えておられたのですか……」
「驚いた? 何にも考えずにただボーっと生きてるように見えた? 意味もなく、ただ周りに悪態をつく嫌な女に見えた? 違うよ。皆んなが望んだから…… 道具は利用するもの…… 利用出来ないなら存在価値が無い。少しでも、利用出来ないと思われたら、道具は…… 存在出来ないから……」
姫は、僅かに言葉を詰まらせると、固唾を飲み込んだ。
「ねえ、オルディボ…… 貴方には私が悪魔に見える? それとも怪物?」
「決してその様には……」
「なら何で皆んな私から逃げるの? 私を避けるの? 生まれた時から、ずっとそうだった…… ただ歩いてるだけなのに、わざわざ挨拶をするためだけに皆んな手を止める。機嫌でもとってるつもり? 社交界だってそう、私が歩けば皆んな道を開ける…… 話しかけようとすれば逃げる様にいなくなる。周りにいる人間は皆んな私の機嫌取り。私ってそんなに怖い? そんなに醜い? 鏡に映る自分は、貴方達となんら変わらない、ただの女の子なのに…… 私だって…… 本当は…… 怖いのに……」
姫は、声を震わせた。その姿を前に、男はただ無言を通す。
「はぁ………… ねえオルディボ。少しの間だけ窓を開けてくれないかしら? 地下に行く前に最後に外の空気を吸っておきたいの……」
姫がそう言うと、男は何も言わず立ち上がり窓の側へと向かった。ポケットから一つの鍵を取り出すと一ヶ所だけ窓を全開にした。
「ごゆっくり……」
男の言葉に姫は自然と足を動かした。窓際に立つと姫は無意識に大きく息を吸った。
「落ち着きましたか?」
「そうね…… 少しは、マシになったかも」
すると、姫は突然振り返るとベットの隣にある引き出しに目を向けた。
「ねえ、オルディボ。こういう時にこそ、聖書がいると思わない? 取ってきてくれないかしら? そこの引き出しにあるから……」
姫の言葉に男は、やれやれとした態度で足を運んだ。
「姫様、聖書など何処にも見当たりませんがッ……」
男の中の、時間が止まった。真っ暗な夜空をキャンバスに一人の姫が笑みを浮かべる。男と向き合うよう、危うい足場に恐怖一つ見せず、姫は、窓枠に立ちすくむ。背後に死を背負いながら。
「姫様…… 何をしているのですか…… 危険です…… 降りて下さいッ…………」
「私にとったら、前も後も、どっちも地獄…… ねえオルディボ…… 天国って…… 何処にあるのかな……?」




