8 そしてハッピーエンドへ!
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空には灰色の雲がたれこめ、今にも雪のひとひらが落ちてきそうだった。今朝から気温が上がらずにいよいよ本格的な冬がやって来ていた。
「ノエルはどうしたんだろうね?しばらく学園を休んだと思ったら、急に勉強熱心になって。もともとよくできる子だったが……」
ノエルの父であるサフィーリエ公爵は首をひねる。
「そうですね、孤児院の環境改善なども訴えてきたりして、今までになく政治にも意識が向いているようです」
ノエルの兄であるアルフレットもノエルの変化を不思議がっていた。サフィーリエ公爵家の書斎ではそんな会話が行われていた。ただ、二人は驚きながらもノエルの良い変化を歓迎していた。今までのノエルは優秀であるが故か、どこか無気力な様子があったからだった。
「やはり、王女殿下とフランシスの婚約がショックだったのだろうか。ノエルには悪いことをしてしまったな」
「父上、ノエルはあの婚約には乗り気ではないというか、あからさまに嫌がっていましたよ。それは無いと思うのですが。それに二人の婚約が発表されてから、ノエルには縁談がたくさん来ていますので……」
アルフレットは言葉を濁したが、ノエルの機嫌が日に日に悪くなっていっている事は、父であるサフィーリエ公爵も心配していた。
「そうか、なおさら今日のことは言い出しづらいな……。ネージュ伯爵のご令嬢がいらっしゃるのだが、大丈夫だろうか……」
「ああ、突然でしたね……。こちらもフランシスとの縁談を進めていた手前、強く断れないですしね……」
アルフレットは苦笑する。フランシスが駄目だったからといっても、あまにも変わり身が早いと思ったのだ。
「お断りします」
父と兄から呼び出されたノエルは父の話を聞いて即答した。
「ノエル……それは」
アルフレットが困ったように呼び掛ける。
「わかっております。お会いするだけはします。そしてお断りします」
「ノエル、あまり失礼のないようにな」
父であるサフィーリエ公爵は控えめに注意した。
「何で庭なんだ?体が弱いんじゃなかったの?そのご令嬢は」
執事に来客を告げられ、向かってみれば客人は応接室ではなく外にいるという。言っても仕方がないと分かっていたが、つい執事に文句を言ってしまう。
「突然の来訪と言い、ずいぶんと非常識なご令嬢のようだね」
ノエルはイライラしながら庭へ向かった。なんて言って断ってやろうかと考えながら。
庭に出ると一人の黒髪の少女がこちらに背を向けて立っていた。ちらちらと舞う雪を見ているようだった。
(ああ、このまま顔を見ずに断ろう。そうすればまた後で容姿で判断したと騒がれなくて済む)
「おまたせいたしました。ああ、そのままこちらを見ていただかなくて結構です」
令嬢は振り返ろうとしたが、ノエルの冷たい声にビクッと身を震わせて動きを止めた。
「僕には貴女のお話を聞く気も時間もありません。そのままお帰り下さい」
かなり失礼で冷たい言いようではあったが、前もった約束もなく訪ねて来られたのだ。こちらの態度もそれなりに厳しくても文句はあるまいと考えた。ノエルはそれだけ言うと身をひるがえし屋敷へ戻ろうとした。
「……待って、待って!……マジカルミルキーっ!…………」
雪が涙と共に少女の頬を伝う。ネージュ伯爵の一人娘、ルミリエ・ネージュはそれだけを声にして、ノエルの後ろ姿を見つめるだけだった。後は言葉にならない。ノエルはゆっくりと振り返る。
「…………ましろ?」
振り返った先にいたその少女は、その琥珀の瞳から涙を零しながらこちらを見ていた。その顔は幾度か見ただけの、それでも忘れることが出来ないあの幻影の少女で……。
「ましろなの?」
ノエルはゆっくり近づいていく。自分の目が信じられなかった。触れたら消えてしまうのではないかと恐れた。それでも足は止まらない。
「良かった。ノエル君。覚えててくれたんですね。良かった。また会えた」
ましろは泣きながら微笑んだ。
「忘れられるわけがない、あんな強烈な経験……」
ましろまでの距離はあと一歩。
「そうですね、私のマジカルミルキー」
「ミルキーって言うな」
ノエルは降りしきる雪の中ましろを抱きしめた。
「私、あの時お礼も言えてなくて。ありがとうございますノエル君、一緒に頑張ってくれて……じゃあ、私帰ります」
ましろことルミリエはノエルに頭を下げた。
「は?ちょっと待って。何で?」
「え?だってさっきノエル君、お帰り下さいって……」
ルミリエは不思議そうにしている。ノエルは先程の自分の態度を思い出して頭を抱えたくなった。
「あー、ごめん。さっきのは無しで!!ましろだって知らなかったから……。とにかくここは寒いから屋敷の中へ」
そう言うとノエルはルミリエの手を取り、肩を抱き屋敷の方へ連れて行った。
その道すがら、
「ああ、アルフレット兄上、どうせその辺にいらっしゃるでしょう?」
がさりと茂みが揺れ、アルフレットが現れる。
「ああ、気付かれていたか……」
アルフレットがハハハっと頭を掻きながら苦笑した。
「次期公爵が何をなさっているのです……」
ノエルはため息をついた。
「どうせ、僕のことを見張っていたのでしょう……?」
アルフレットはノエルの様子を見て、伯爵家のご令嬢に失礼なことをしないように見張っていたのだった。
「まあ、いいです。兄上、僕は決めましたので各種手続き、書類等よろしくお願いします。あと、両家の顔合わせの調整も」
「?」
ルミリエには訳が分からない。
「え?!」
アルフレットは酷く驚いたが、ネージュ伯爵令嬢から離れる様子のないノエルを見てため息をついた。
「本気なんだね?」
「冗談でこんなことは言いません」
「あ、あの、私ご挨拶を……」
ルミリエがノエルから離れようとしたが、ノエルは許さなかった。
「後でいいから」
「え?で、でも……」
「とにかく中へ、こんなに冷えてるじゃないか。君、病気がちだって聞いてるよ?」
もうすでにノエルには腕の中の少女しか見えていないようだった。アルフレットは再び長い溜息をついた。
「分かったよ。ではネージュ伯爵令嬢、また後程」
ルミリエは手を振りながら去っていくアルフレットに頭を下げた。ノエルに捕まったまま。
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