Forget - 忘却(3)
シャワータイムを終え、脱衣所に戻った私は、ものの一秒足らずで鏡に映るその人物に視線を奪われた。
バスタオルで髪の水滴を拭いながら私のことをジッと見つめ、怪訝そうに片眉を曲げるその人物は、大人と呼ぶにはだいぶ物足りない身長で、歳の頃は中学生ぐらいの女の子に見え、お世辞にもスタイルが良いとは呼べないほど胸は控えめではあるものの、細身ながらもスポーツ選手のように引き締まった体つきをしていた。
美少女と表現するのは少々憚られる気がするものの、鏡に映ったその顔はまるで彫像のように整っており、鏡に映った見慣れているようで見慣れていないような自分の顔を眺め終えた私は、安心するでも浮かれて喜ぶでもなく、釈然としないような不思議な感覚を抱きながら再び首を傾げる。
――ゴトッ!
物音とともに床に落ちたものをゆっくり拾い上げ、私は呟く。
「私って本当に……なんなんだろうな……」
◇◇◇
代わりに用意されたらしき服へと着替えを終え、脱衣所から廊下に出てリビングに立ち戻ると、制服女子が待ち侘びていたと言いたげにハッと顔を上げながら、私を出迎えた。
「あの子が迷惑掛けたみたいで……ごめんなさい……」
「いいよ。ちょっと突き飛ばされただけだし。それよりも――」
あの後、制服女子の口添えで弁明を果たすや否や、少年はその場から逃げ去るように部屋を飛び出していき、謎の気まずさだけが残ったその場の雰囲気を変えようとしてなのか、制服女子は私にシャワーを浴びるよう勧め、私は促されるままに風呂場へと押し込まれ、現在に至っている。
「この着替え……文句言える立場じゃないのは判ってるけど、もうちょっとどうにかならない……?」
風呂から上がると私の着用していたボディスーツは消失し、代わりとして用意されたであろう衣服を、私は否応なしに着用することになっていた。
「私の服はちょっと大きすぎると思うし……あの子の服は男ものばかりだし……」
「いや、出来ればそっちのほうが……」
「そう? 水着を着てたから、てっきりコスプレとかの趣味があるのかなーとか、もしかすると、それがきっかけで記憶が戻ったり……とか思ったりもしたんだけど?」
「だから、わざわざこんなものを……。でも、私にそういう趣味は無い……と思う」
私が現在着用している服は、ふんだんにフリルがあしらわれ、白と黒を基調とし、かつては使用人が着用していたとされる衣服――所謂メイド服であり、普通の服装と呼ぶには些か悪目立ちしそうなことは間違いなく、私としては是非とも遠慮願いたい服装であることは確かだった。
それはそれとして、着用した所感としては恥ずかしくも無ければ嬉しくもなく、そういった趣味趣向が私に無いことが暗に判明し、私はひとまず安堵していた。
「ところで……学校には行かなくていいの? 行く途中だったんでしょ?」
「そうだけど、今日はお休みってことにしておくよ。からっぽさんをこのまま放ってはおけないもん」
これまでの彼女の行動を見た限り、困っている人を放っておくことが出来ないお節介焼きタイプであることはほぼ間違いなく、また壁に掛けられた時計の短針が9時を指し示していることや、制服女子が学生服を着用していることからも、登校する途中で行き倒れている私を発見して見過ごすことが出来なかった――という情景が頭に浮かんだ。
「これ以上迷惑掛けるわけにもいかないし、たぶん放っておけば記憶も戻ると思うから、そこまでしなくても……」
「私は迷惑だなんて思ってないよ? 私がそうしたいからそうしてるの。だから、からっぽさんが気にする必要なんてないよ?」
先刻から少しばかり気に掛かっていたことがあり、私はそれを確認するために口を開く。
「さっきから気になってたんだけど、そのからっぽさんって……私のこと?」
「そうだよー? 記憶喪失だから記憶喪失さん。あっ……!? そうだよねー……ネーミングセンスにはちょっと自信あったんだけど、やっぱり可愛くないかー……。でもでも、名前が無いとやっぱり不便だよねー……。元の名前の手掛かりもないし、なんて呼べばいいのかなー? ポチ? タマ? ハナちゃん、サクラちゃん? う~ん……」
「ペットじゃないし、可愛いとかそういう基準でもないんだけど……。まあ、いずれにしても決める必要は無い。私はこのままお暇させてもらうから。借りた服はクリーニングしてからちゃんと返しに来るから心配しないで。というわけで、それじゃ……」
踵を返すように入ってきたばかりのドアノブへと手を掛けると、背後からドタドタと慌しい音を立てながら影が迫り、柔らかな手が私の手首を強く掴んだ。
「ま……待って待って!? 記憶喪失さんに行くあてはあるの……!? お金は!?」
「あなたが好意を掛けたい気持ちは解るけど、私もあなたに迷惑を掛けたくないんだ。ここに居ると少年は部屋から出てこれないし、あなたも学校に行けない。私がここから立ち去るのが最良の選択」
これ以上無いほどに合理的な理由を並び立てるも、制服女子は頑なに私の手首を握ったまま放そうともせず、納得した様子は微塵も見られなかったため、ここはひとこと言って突き放してみようかと思い立ち、私はおもむろに振り返る。
しかしながら、そんな私の気はすぐに削がれ、思い留まることとなった。
「記憶喪失さんが居なくなっても、あの子は……伊吹は姿を現さないよ……」
制服女子の表情は、先ほどまでの明るい様子からは一変して曇った表情へと変わっていた。
その様子から只ならぬ事情があると窺い知ることになった私は、ドアノブから手を離し、近くにあった椅子へと腰を下ろした。
「あなたのこと、随分お節介な人だなとは思っていたけど、どうやら私も同じ穴の狢みたい。悪いんだけどお茶貰える?」
数秒前まで頑なにこの場を立ち去ろうとしていた謙虚な人間が180度態度を変え、椅子で足を組みながらくつろぎはじめたのだから無理もないと言えるが、制服女子はキョトンとした様子でその場に立ち尽くし、目をまんまるにしながら私のことを見つめていた。
「まだ朝の9時。あなたは学生服を着ていて、少年は寝巻き姿。さっきのあなたの反応を見た限り、少年がリビングに姿を現すことは稀……つまり、不登校なうえに、ずっと家に引き篭もっているような状況が続いている。これで合ってる?」
「……!?」
私の指摘が的を得ていたのか、制服女子は驚きながらもコクリと一回頷いた。
「私、記憶喪失ではあるけど、どうやら推理とかは得意みたい」
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