第6話 ヤムール国王
「恐れながら申し上げます」
王座の前にひざまずき、一人の男が頭をたれている。
「面を挙げよ、グレン。して報告を聞こうか」
重低音でいて腹の底に響くような威厳のある声が王の間に響き渡る。
王の言葉を受け、顔を上げたグレンの表情はひきしまり、その背筋はピンと伸びる。
光り輝く白銀の鎧に身を包んだグレンは、ヤムール王国で王立騎士団長をつとめる男である。
「突然交易と連絡が途絶えた件の田舎町ゴドムドラ。そちらへの派遣された我が騎士団員が、状況を確認してまいりましたので報告いたします」
「ふむ」
ヤムール王は自らの口髭を手で掴むように撫でる。
「申し上げにくいのですが…………住民は虐殺されていた模様でございます」
「何!? 虐殺だと? 一体何人だ!」
「…………住民すべてと報告を受けております」
「な、す……すべてだと?」
王は眉間にシワを寄せ、訝しげな視線をグレンに向ける。
報告主のグレンの表情は深刻で真剣そのものである。
「本当なのだな…………だとしたら一体だれがそのようなことを? 盗賊ではないな。いくら田舎町とはいえ、町一つを奇襲して近隣にまったくバレずに住民全員を殺し通せるとは思えん。他には……敵国? だが、それほどの部隊がわが領土を気づかれずに移動できるとも思えん…………何か手かがりになるものは残されていたのか?」
「はい、町には強烈な薄い紫色の異臭のするガスが立ち込めていたそうです。実際ガスが薄れるまで部隊は町に2日ほど入れなかったとか。一部異臭を我慢して町に強行したものが数名いたそうですけれど、耐えきれずに戻ってきたものと、命まで落としたものがいるそうです。命を落とした者の症状から異臭は一種の毒ガスとのことでした。症状としては最初に痛覚が消えて、次に嗅覚が消えて、最後に眠るように絶命していったとのことです。そして…………」
グレンは報告を躊躇するようにうつむく。
「なんだ? 遠慮せずに申せ」
「はい、そして…………町中には逆さ十字がいくつも立てられて、そこに絶命した住人たちがかけられていたそうです。彼らは一様に額に――悪魔が使うと思われる紋章が額に描かれておりました」
「悪魔か……であれば、なんらかの生贄にされた可能性があるのか……」
「おっしゃる通りでございます」
王の間に沈痛な空気が立ち込める。
まるで王の間だけ少し重力が強くなったようであった。
「くそぉ、我が臣民をよくも……」
「その遺体に描かれていた紋章を悪魔学の研究者に分析させました」
「…………どうであった?」
「40もの悪魔の軍団を率いる地獄の大公爵――アスタロトの紋章であるとの分析結果がでました」
「地獄の大公爵アスタロトだとぉ!?」
王は驚きの余り立ち上がり、その声は少し甲高くなる。
「はい、皇帝ルシファー、君主ベルゼビュートに次ぐ地獄の支配者の1人、大公爵アスタロトでございます」
「なぜそのような大物悪魔が田舎町に……」
「わかりません。ですが、それが真実であれば……」
「大事だ――それこそ我が一国におさまる話ではなく世界規模でのな」
顔を青くさせた王はそう述べる。
それはヤムール王国の滅亡の危機と言ってもいいような事態だった。
最悪を考えれば世界規模で人類が大きな被害を被ってもおかしくはない。
現に数百年前に地獄の君主ベルゼビュートが地上に降臨した時には、2つの国が滅び、戦火は世界中に広がっていったと伝えられている。
そのベルゼビュート本人は、地上を観光気分で蹂躙していったそうで、もし本気で世界征服をしようとすれば、容易にできたのではないかと言われるほどの強さを誇ったとされている。
彼は王座の右側に控えている宰相の一人に顔を向ける。
「近隣諸国へ緊急で事態を共有し、応援を要請しろ。神聖ヘイムダル教会公国の大聖都にも早馬を送れ」
「御意にて。それぞれの領の領主と領民には伝えますでしょうか?」
王が少しの間、考え込んだ後――
「領主には警戒するように伝えろ。領民には伝えるとパニックになる恐れがあるので、報告は控えろ。王都の領民も同様だ。大至急じゃ! 急げ!」
「御意にて」
宰相は慌てて走りながら王の間を後にする。
王は今度、王立騎士団長のグレンに向き直る。
「王国軍は臨戦態勢に移行しろ。アスタロトの足取りを追え。ただしアスタロトを見つけた場合は安易に手を出すな」
「承知しました、アスタロトの討伐にあたる場合は王国の最高戦力にてあたります」
「それでいい。すでに多くの臣民の命が失われており、一刻を争う事態じゃ。よろしく頼むぞ!」
「御意にて。それでは私もこちらで失礼いたします」
グレンは立ち上がり、一礼の後、王の間を退出する。
そうして王の間に衛兵が二人しかいなくなった後、
「この国は潰させんぞ……」
ヤムール王は悲痛な表情で一人そう呟いた。