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第3話 宿屋

 気がつくとそこは平原のようであった。

 牧草のような草が生い茂り、見渡す限りに広がっている。

 草原に気持ちのいい風が吹き、草々を揺らす。


 見たところ周囲に人間や動物はいないようだ。

 上を見上げると真っ青な空が広がっていた。

 申し訳程度といった小さな雲が少しだけ大空を流れている。

 気温は暑くもなく寒くもなく丁度いい気温だ。


 ここが異世界なのだろうか?

 地球とまったく変わりがないようにも思える。


 義剛は自分の手に違和感をおぼえる。

 

「……あれ? 俺の手ってこんな感じだったっけ?」


 顔形も手でなぞって確かめてみると前と違っているように感じる。

 そういえば案内人のエミリアが20代の男性に転生すると言っていた。

 ほんとに別人になったようだ。

 服装も白いワイシャツと作業用のような紺のズボンへと変わっている。

 靴は革製だ。


 革靴を脱いで、その形状などをチェックする。

 表面は革で硬い。驚くことに靴底にも厚い革が使用されていた。


 履き直して確かめてみる。当然のことながら弾力性、衝撃吸収性は乏しかった。

 ランニングに適していない靴であることは間違いない。

 慣れないうちは靴まめなどもできそうだ。


 そこで草原にまた気持ちのいい風が吹く。

 爽やかな風はランニングをしたい衝動を想起させる。

 身体が条件反射的にうずうずしだす。


「少し走ってみるか……少しだけ」


 確かめるように数歩歩いた後に走り出す。

 筋肉と骨格が違うためだろうか、まるで自分の体ではないみたいに感じる。

 走り慣れていない体なのか若干体が重い気もする。


 数百メートル走ったところで早くも息切れしてくる。

 息切れしてから走れなくなるまでは早かった。


「はあはあはあ…………体力なさすぎだろ、この体……」


 距離にして1キロも走れていない。

 走り慣れていないにしても走れなさすぎる。


 異世界は空気が薄いのか?

 それともこの体は虚弱体質なのか?

 脳裏にさまざまな疑問が浮かぶ。

 だが結論は鍛えるしかないだ。


 前世で十年ほど鍛えたランニング力が無くなったのは残念だけれど、すぐに辛くなる体力のなさはある意味では望むところではあった。

 成長の楽しみを存分に味わうことができる。


「楽しみが増えたと思うことにするかな。さて…………」


 少し草原を移動すると相変わらず人の気配は一切しない。

 走ったからか喉が少し乾いてきた。

 水が飲みたい。だけど近くに川や水場などは見当たらなかった。

 腹を撫でる。少しばかりの空腹も感じる。


 行き倒れという単語が頭に浮かぶ。


「いきなりランニングなんてするんじゃなかったな……」

 

 今更の後悔を感じながら、義剛は勘に従って人がいそうな方向へと歩を進めていった。




 しばらく歩くと街道を見つけ、街道を少し進むと町と思われる集落が固まっている一角を発見する。

 町は白壁で囲われている。いくつかあると思われる町の入り口部分には見張りも何もいない。

 素通りで町の中に入る。


 二階建て、高くて三階建ての簡素な建物が並ぶ。

 壁は白が多く、屋根はレンガ色の赤茶色が多い。

 地面には土道が広がっている。

 田舎だからなのだろうか、石畳などで整備はされていないようだった。


 道行く人々とすれ違う。

 よそ者で注目されるかと思ったけど、とくに注目されることもなく素通りしていく。

 それなりの人口がいる町だから、見知らぬ顔は珍しくないのか。

 それとも他人に興味がないのか。


 露店が並んでいる一角もある。

 主に食料品や雑貨などを売っているようであった。


 しばらく歩き回っていると町道が交差する広い広場のような所にさしかかる。

 その広場の中央部分には井戸がいくつかあって、そこから女性たちが水を汲んでいる。

 それぞれを持ってきたバケツに水を注いでいる光景が目に映る。


 義剛はゴクリと思わず唾を飲み込む。

 転生してからまだ一度も水を口にしておらず喉がもうカラカラだ。

 不審に思われる危険性もあったけど、我慢できずに井戸から水を汲んでいる女性の一人に声をかけてみる。


「すみません、その井戸の水って飲んでもいいものでしょうか……?」


 声をかけた女性はキョトンとした表情で一瞬固まった後、


「も、もちろん、大丈夫ですよ。よかったら……これ飲みます?」

「はい! ありがとうございます!」


 女性から受け取ったバケツから、直接井戸水を口にする。

 冷たくて美味しい。ごくごくごくっと一気に飲み干す。

 女性は呆気にとられていた。


「ふーー、生き返った……」


 一息つき、口周りを拭う。

 

「あの……もしかして……旅の方ですか?」


 恐る恐るといった感じで女性は義剛に尋ねる。

 それもそうだろう。義剛の行動は不審者に近い。


「はい、先ほど町に到着しまして」

「そうなんですね」


 女性は花咲くような笑顔を見せる。

 その笑顔に義剛はドキッとする。

 空腹の余り余裕がなくて気づいていなかったけれど、女性は随分と若く美人だった。


 紺ががったような落ち着いた赤のワンピースを着て銀色の長髪が背中で踊っている。

 瞳は緋色で、左目だけがまるまる前髪に隠されている。

 肌の色は透き通る陶磁のように白くなめらかで、スカートから伸びた足が眩しい。


 少し気が強そうだが、人懐っこそうな笑顔から愛嬌も同時に感じた。

 その女性の笑顔から義剛はどこか既視感を感じる。

 そして胸から湧き上がってくるなんとも言えない感情。

 なんだろう、これは……?

 

「……大丈夫?」

「あ、ああ!」 

「私、マリーナ。宿屋をやってるわ」

「あ、どうも俺は…………」


 そこまで話した所で、転生前の田中義剛という名前を名乗るのは、この異世界ではまずいだろうと思いたつ。

 どうしよう……と困る義剛の様子を見て、マリーナは首をかしげている。


「俺はジーンだ」


 ジーンというのは、義剛がRPG系のゲームをするときに主人公によくつける名前だった。

 咄嗟に頭に浮かんだその名を名乗った。


「まあ、ジーンね。もしよければ、家の宿に泊まっていかない?」

「ああ、ごめん、実は……」


 義剛ことジーンは正直に自身が無一文であることを明かす。

 そして記憶喪失であることにした。気がついたら草原に佇んでいたと。

 異世界での記憶は本当にないので、記憶喪失というのはまるっきりの嘘ではない。


「そうなのね……」


 マリーナは驚いた様子ではあったけれど、ジーンの話を不審がるようなことはなかった。

 彼女は何か考えている。少し時が流れる。


「……それだったら、よければ仕事などが見つかるまで家の宿に泊まっていかない? 安宿で大したおもてなしなどはできないんだけど……」


 名案を思いついたというように手をポンッと叩いて、マリーナは提案する。


「あの……今、伝えたように、俺、今は一文無しで……」

「ええ、それは後から支払ってもらえれば大丈夫よ!」


 願ってもないような提案ではあるが、話がうますぎる。

 このまま彼女にホイホイついていったら、怖いお兄さんたちが現れて、ボコボコにされてあっという間に奴隷にされる。

 なんてことはないだろうか?


「ダメ……?」


 マリーナの困ったような表情がジーンに突き刺さる。

 

「ゔっ……いや、ダメっていう訳ではないけど…………じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな」


 ジーンのその言葉を受けて、またマリーナは花咲くような笑顔を見せる。

 またその笑顔が見れただけでジーンは了承してよかったと思ってしまう。


「それじゃあ決まりね! 宿まで案内するわ!」


 ジーンはマリーナに導かれるまま、彼女についていくことになった。

 



 宿は街の中心部から少し外れた所にあった。

 塀に囲まれ、広い庭を有している。

 木造の2階建てで十数部屋くらいはありそうに見受けられた。

 庭には犬や猫が数匹、気持ち良さそうに昼寝している。


「あれ、お客さんかい?」


 丁度、軽装をした男性が頭を掻きながら宿から出てきた。


「はい、先ほど水場で出会って」

「ふーん、なんか訳有っぽいな……マリーナちゃん、また拾ってきたのか」

「ひ、拾ってきたってジーンさんは犬や猫ではないだから」

「兄さん、この庭にいる犬猫はみんな捨てられてた所を、マリーナちゃんが不憫だって連れて帰ってきたんだぜ。あんたもその口だろ」

「ちょ、ドリルさん失礼よ! ジーンさんはまだそんなのじゃありません!」

「まだ? てことはもしかして将来の花婿候補かい?」

「も、もう!」


 マリーナは頬を赤くしながらふくませる。

 

「どうしたってんだい、うるさいねえ」


 そこで宿の一室の窓が開き、年配の女性が顔を出す。


「おお、ジェーンばあさん。マリーナちゃんが男引っ掛けてきてな」

「引っ掛けていません! ジーンさんは困ってたけど、拾ってきたわけじゃありません! 宿のお客として――」

「兄さん、ジーンっていうのかい。マリーナは私の孫で気立ても器量のいい子だよ。よろしく頼むね」

「ちょ、おばあちゃんまでそんな…………もう知らない!」


 マリーナは顔を赤くして宿屋の中に入っていく。

 ジーンは男性とジェーンに軽く会釈をして、


「ジーンといいます。よろしくお願いします」

「ああ、よろしくな」

「よろしくね」


 ジーンは再度会釈をすると、耳まで真っ赤になったマリーンを追って宿の中へと入っていった。

 

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