第14話 音魔法と神器使い
ジーンとマリーナが巨大な扉と十字を目撃した半時ほど前のこと。
リディアは自身の杖を大事そうに両手で掴んでいる。
ナーストレンドの一角のとある邸宅を兵士が取り囲んでいた。
一人の兵士が王立騎士団長のグレンと視線を合わせる。
グレンが頷くと兵士はスタスタと邸宅の玄関前へと歩いていく。
玄関前に到着すると乱暴に扉を叩く。
住民たちは緊急で町から退避させられている最中だ。
突然のことなので、退避するように駆り立てる兵士たちと住民たちの怒号も所々で響き、町は混乱していた。
扉が開かれ、一人のメイドが現れる。
「我々はヤムール王国軍である。アスタロト侯爵はいるか? 嫌疑がかかっている為に連行しに参った」
「け、嫌疑ですか?」
「そうだ、アスタロト侯爵をすぐに呼んでこい」
「少々お待ちください」
メイドは一旦扉を閉めて呼びにいく。
無言の緊迫した空気が邸宅の周りに流れる。
リディアは手に持った杖をギュッと握りしめる。
すると突如、邸宅の扉から凄まじい衝撃が起こり、玄関の扉は内側から吹っ飛ぶ。
リディアは思わず身構える。
扉の木片が飛び散り、玄関前にいた兵士たちも衝撃に巻き込まれて吹っ飛び、辺りは騒然となる。
「んぼぉーぼぼぼぼぼぼぉーー」
壮年の黒色のスーツに身を包んだ男が現れた。
おそらくあれがアスタロトだろう。
アスタロトの傍らには一人の少女が佇んでいる。
アスタロトの口からは薄い紫色のガスようなものが吐き出されていた。
「……! 臭っ! なんだこの臭いは?」
強い刺激臭が周囲に漂い、兵士たちから次々と声があがる。
「毒霧よ! 我々以外の総員退避して!!」
リディアの指示で、兵士たちは邸宅から全力で走り去っていく。
アスタロトとの戦闘は元々、グレン、グリシャ、リディアの3名で行う予定であった。
中途半端な戦力は逆に足手まといになるという判断からだ。
リディアは早速詠唱をはじめる。
グレンたちの前にそれぞれ3つの魔法陣が現れる。
詠唱が終わり、魔法陣が消えるとグレンたちは薄っすらと光の膜に覆われる。
「回復魔法を常時かけつづけるわ。毒霧の効果もこれで相殺される」
「助かる」
薄紫色の毒霧は彼らの周囲だけでなく、町全体に広がっていく。
町では、逃げ送れた住人たちが阿鼻叫喚をあげながら次々と倒れていく。
なんの罪もない人々が……見ていられない光景だった。
「一体どこまでの範囲に広がるのこの毒霧は……」
「んまぁ、アスタロト様の高貴なる息は町全体を覆うの。まずは人々の意識を奪って、その後にその命を奪うの」
「んぼぉーぼぼぼぼぼぼぉーーーーー」
アスタロトの口から吐き出されるガスの色合いが徐々に濃くなっていく。
(そんな事、させてたまるか!)
リディアは杖を天に掲げる。
杖から眩い光線が放たれ、大空に大きな魔法陣が描かれる。
その魔法陣から光のシャワーが町に降り注ぐ。
それはまるで町が神の祝福を受けているかのような光景だった。
倒れていた人々も次々と立ち上がる。
「町全体に祝福の効果をかけたわ。これで祝福の効果がある間は、逃げ遅れた人たちも命を奪われることはないわ」
「んまぁ、生意気なの。町全体を祝福なんてできる人間がいるの?」
「むふぅー、使徒聖女である。神の眷属とこのようなところで会えるとはな…………だが我らの敵ではない」
「アスタロト様の邪魔はパウラがさせないの。たかだか人間風情が悪魔の支配層に逆らう不敬を思い知らせてやるの」
前に出てきたパウラからブワッと凄まじい魔力が放出される。
メイド服に身を包んだパウラは、そうは見えないがどうやら悪魔らしい。
【魔術師ならば俺が相手をしよう】
こちらからは魔極者グリシャが前に進み出る。
パウラとグリシャ、二人は互いに宙に浮きながら対峙する。
「へぇー、珍しいの。呪文字使いなの」
【ほう、戦う前から看過するとは――】
グリシャが発する賞賛の言葉の途中で――――
「んま゛ぁ!!」
突然パウラから放たれた、大音量の高音が衝撃波とともに響き渡る。
脳の直接響くかのような轟音で、リディアは頭に強烈な痛みを感じる。
「さすがに一撃では死なないの」
目と耳と鼻から違和感を感じる。
手で確かめて見ると、どうやら血が流れてきているようであった。
なんて攻撃だ……。グレンもグリシャもリディアと同様に血を流していた。
リディアはすぐに回復魔法の効果を高める為に更に大きな魔力を投入する。
グレンたちの中で一番大きなダメージを負ったのが、パウラと至近距離で向かい合っていたグリシャであった。
彼は地面に降り立ち、ひざまずいて、何かを見上げるような姿勢で、錯乱しているのか何かごとかを呟いている。
それは聾啞者の特有の呟きで、誰も彼が何を言っているのか分からなかった。
「まさか……伝説の音魔法…………」
リディアは杖を構えて必死に回復魔法を常時発動させながら呟く。
グリシャに変わり今度はグレンがパウラの前に立ちはだかる。
「そう私は音魔法使いなの。アスタロト様の右腕であり、アスタロト様が率いる40もの悪魔の軍団統括者が私なの。つまり――――お前たちに勝ち目はないの! んま゛ぁ!!」
電光石火の音魔法。防御が難しく威力は甚大。
レア最強系統の一つであり、人間界でここ200年間使い手は現れていなかった。
なお、200年間前に現れた音魔法使いは、更に発する音に魅了効果も付与できた。
そのため、音魔法で一国を征服、支配して女王にまでのし上がっている。
パウラの口から、今度は人の頭ほどの大きさの音弾が放たれる。
音弾は音速の超スピードでグレンに迫る。彼はそれを間一髪で躱す。
「よく避けたの。今のはギリギリで躱せたの。つまり連弾だと避けられないの」
パウラは笑みを浮かべる。
グレンはその言葉を受けて一度俯いたが、すぐに顔を上げた。
何かを決意したように表情に変わっている。
「仕方ない、あれを使う。グリシャの回復頼んだぞリディア」
リディアが無言で頷いた後、グレンは白銀の槍を天に掲げる。
リディアは噂に聞いていた、ヤムール王国最強の王立騎士団長の本気が見れるのかと息をのむ。
「神器マルスよ、我に力を与えよ。我が魂を糧とし、神力を我が鎧と槍にもたらしたまえ!!」
彼の身を包む白銀の鎧が光を放ちはじめる。
鎧が生き物のようにうごめいて肌が露出していた部分と顔や頭部とがすべて白銀の鎧に覆われる。
手に持っていた細かった槍も鎧と同化する。
槍本体に蛇のようなうねりが複数起こった後には、切っ先の鋭い、白銀と黒と混合の別物のような代物へと変化する。
「んまぁ、神器を持っていたの。それは予想外なの」
「ガ……ガ……ガガガガガガガガ」
すでに理性が吹き飛んでいるグレンは、機械音のような声を出して少し静止した後に――なんと一足でパウラとの間合いを詰める。
彼が踏み出した石畳は、その強い衝撃と力とでひび割れ、粉砕されている。
グレンの槍での突き技をパウラは躱す。
余りのスピードに槍はブオンという音を周囲に轟かす。
続けて横薙ぎの攻撃。
パウラはジャンプして躱すが、その攻撃は衝撃波となって後方にも波及する。
衝撃波はアスタロトと邸宅を上下に真っ二つに分断する。
だが、真っ二つにされたはずのアスタロトはゼリー状のように切断された箇所がうごめくと、すぐに元の肉体へと回復する。
「よくも不敬にもアスタロト様に!」
パウラの怒りの声を無視してグレンは連続の突き技でパウラを攻撃する。
パウラは今度、すべての攻撃を躱しきれずに次々に傷を負う。
最早リディアでは目で追うのが厳しいほどの攻撃スピードだ。
「調子にのるななの!! んーーま゛ぁ!!」
防御不能の衝撃波がまたグレンたちを襲う。
リディアは再度訪れた強烈な痛みに必死に耐える。
グレンは至近距離で衝撃波を食らうが、神器である鎧がその衝撃波を全て受け止める。
(勝てる)
ノーダメージのグレンを見て、リディアがそう確信した時であった。
パウラは何か唸りはじめる。
唸り声は徐々に大きくなっていき、周囲に静電気が発生し始まる。
地面に落ちている小石が静電気によって宙に浮きはじめる。
ついには地響きまで伴うようになると――――
「ん゛ーーーーーーーーーーーーーーま゛ぁ!!」
巨大な音弾が音速の超スピードでグレンに迫る。
瞬間――グレンは避けようとしたが、その余りの大きさに避けきれない。
「あーーーばばばばばばばばばばばッ!!!!」
音弾に囚われたグレンは嘘のように引き伸ばされ、圧縮されといった収縮を繰り返し、上下左右を一瞬で音弾とともに行き来しながら、最終的には地面に凄まじい轟音を発して激突する。
土煙が発生して周囲の視界が悪くなる。
しばらくすると土煙の中から、地面に形成されたクレーターが顕になる。
余りもの衝撃的な光景にリディアは一時呆けたようになる。
「んまぁ、所詮人間。私の敵ではないの」
土煙が完全に晴れると、クレーターの中心には神器の変態が解かれて、元の白銀の鎧と槍に戻って昏倒したグレンの姿があった。
と、その時――――パウラの周囲に光輝く呪文字が出現する。
絶望の後の希望。
【よくやったグレン。後は回復した俺に任せろ】
魔極者グリシャは自身にも呪文字を纏わせながら、いつの間にか宙に浮かんでいた。