5.お姫様と岸君とあたし 2025/8/20
…………。
岸君は、お店の外で喧嘩していた。
一人で。
………………。
いつもと同じようにかっちりと着こんだ燕尾服。お姫様よりも少し高い背丈。両腕にそれぞれ全く同じレザーブレスレットを四つも着けている。流行のファッション? じゃ、ないよね……。まるで自分で自分に噛みつくみたいに「お前なんて俺たちの中に要らねえんだよ」とか「あんたらのせいでうちがいるんでしょ」とか、まるでわけのわからない独り言を大声で叫んでいる。
一人だ。
一人だ……よね?
僕とか俺とか一人称が定まらなかったり、突然注文をひっくり返したり、話す度に情緒がばらばらだったり……ちょっぴり変な人だとは思ってたけど、ついにここまで来ちゃったの?
あたしは隣のお姫様におずおずと尋ねた。
「あの、彼氏さん……ですよね。大丈夫、なんでしょうか」
精一杯気を遣ってみた。本当は今すぐにでもあんな変人とは別れた方が良いですよと進言したかった。
あたしが今どんなふうに顔を引きつらせているのかわからなかったけれど、お姫様はなおも変わらない無表情で、「ええ」と頷いた。
「彼ら、わたしのことが大好きなのよ」
彼ら……お姫様公認の設定なのだ。
お姫様があたしを見た。いつ見ても綺麗な、黒色の瞳。見とれていると、岸君が「みずしぃ!」と元気そうにお姫様を呼んだ。
「ちょっと待ってて! すぐこいつらとっちめちゃうんだから!」
「ゆっくりでいいわよ」
特にツッコミは無しですか……。十年来の親友のようなやりとりを経て、岸君はまた一人喧嘩に戻ってしまう。色んな口調が入り乱れて……自分で混乱しないのかな?
お店の中から店長の声がする。「マイちゃん三番卓さんオーダー」わ。戻らなきゃ。
「お客様。では後ほどまたお伺いしますので。いつでもいらしてください」
「ええ、ありがとう」
あたしがお店に引き揚げるその瞬間、お姫様は聞き取れるか聞き取れないかの声で、
「わたしも、彼らのことが大好き」
どこまでも無表情に、そう呟いた。
お姫様は、きっと笑っていた。