序章:私が『彼女』になった日 2
対戦よろしくお願いします。
大前提として、私は綾小路貴音ではあるが、綾小路貴音ではない。
どういう事かと言えば、魂──基、中身は綾小路貴音だが、体は全く別人の名も無き少女なのである。つまり、憑依だ。
私が名も無き少女に憑依した日は今から一週間前。鼓膜を刺激される轟音と倦怠感に包まれながら起き上がった時には、既に私は名も無き少女の体で動いていた。手も足も口も、全てが名も無き少女の姿になっていたのだ。
その時はその時に起こった光景も含めて何が起きたのか何も分からず、ただ現状の把握に必死で頭を働かせていた。ここは一体何処で、あのメイドは誰だとか、私は彼氏に殴られて死んだのではないのかとか、その時は考えなきゃいけないことが沢山有り過ぎた。
疑問で埋め尽くされた私を我に返らせたのは、己を父と母と名乗る男女の声だった。父と名乗る男は私を心配するような言葉で声をかけてくれたが、その後ろで体を竦める母と名乗る女と同じように怯えた目で私を見ていた。
その時、私はなんでこの二人が、あのメイドがあんなに私を怖がっているのか理解出来なくて、色々と罵詈雑言を吐いたような気がする。気がする、というのはあまり記憶がないからだ。お前らは私の親じゃない云々といった酷い言葉を吐き連ねたような気がするが。
そうして気絶するまで罵倒して、親と名乗る人達とメイドを追い出して、私は暫く部屋の中に引き篭っていた。現実を受け止められなくて、少ししたら実は私は病院にいて、傍には私の本当の家族がいるんじゃないかって、そんな希望を捨てずにはいられず、必死に眠って意識を飛ばそうとした。三日間何も飲まず食わずで、外部からの接触も絶って只管に私は眠った。
だけど私の夢が覚める事はなく、目覚めるのはいつも荒れた部屋の中。夢ならば感じることは無い空腹感や痛み、衰弱していく感覚。それらが続けば、胸に抱いていた希望は薄れるのも当然だろう。そして徐々に頭が認めていくのだ。これは夢なんかじゃない、現実なのだと。私は何故だか知らないが全く知らない少女の体に乗り移ってしまったのだと。
そして希望を捨て、現実に向き合おうと決意したのが一週間半前。そして、この世界が私の知っている世界とは全く違う魔法の世界だと知り、事実を受け止め始めたのが、一昨日のことだった。
一度部屋に戻った私は少しだけ瞑想した後に、また部屋を出て廊下を歩く。相も変わらず格好はネグリジェのままだ。クローゼットにドレスが何着か掛けられていたが、それを着る気力も勇気も私にはない。たとえ体がそのドレスを着るに相応しくても、中身が釣り合わないのだ。
靴もクローゼットの中にあったが、どれもヒールが高いものであまり履く気にはなれない。だから私は裸足で歩くのだ。裸足の方が、少しだけ落ち着く。
途中でメイド達とすれ違う。メイド達は私の姿を見ると僅かに目を見開かせて、体を縮こませてそそくさと私とすれ違った。そうしてある程度離れると、メイド達はコソコソと顔を寄せあって囁きあう。
「怖いわよね、お嬢様……」
「ねぇ?前のお嬢様とは違った怖さだわ……これなら、前のお嬢様の方がマシだったかも」
「私もそう思うわぁ。前のお嬢様は我儘で少し暴力的だっただけで、本当に年相応の手のかかる子供って感じだったのに、今のお嬢様は……」
本人達は聞こえていないと思っているが、私の、否、『彼女』の超人的な聴力の前ではその内緒話も無意味。
私はメイド達の会話を聞いて、溜め息を吐く。部屋の外に出てから、すれ違う度に『彼女』と比べられる。仕方ないといえば仕方ないのだが、やはりコソコソ言われるとイライラも募ってくる。ああ、イライラしてはダメだ。落ち着かなければ。
この光景を見た通り、私はメイド達に良い目で見られていない。原因は恐らく私が憑依した一日目──つまり、私の魔法が暴発したあの事件からだろう。
あの部屋の惨状を引き起こしたのは私だ。後から知ったのだが、どうやらあの時の私は体の中の魔力が急に膨れ上がり、それが体の中で耐え切れずに破裂してしまったらしい。どうして急に魔力が増えたのか、原因は私には分からない。兎に角そういうことらしいのだ。
しかも引き篭っている間は結構私の魔力の波長が不安定で、よく大きな魔力波が部屋の中から漏れてメイド達を怯えさせていたらしい。それも怯えられる原因の一つだと言っていいだろう。
後は私の態度や私の意味不明な発言(私は意味不明だとは思っていない)諸々の事情が重なって、今では私は屋敷一の嫌われ者である。
別に嫌われても特に問題は無いのだが、こうもすれ違う度に噂されるとさすがに辟易する。ストレスで胃に穴が空きそうだ。
「──ぁ、お嬢様!?」
廊下を歩いていると、一人のメイドが私を見るなり驚いて駆け寄ってきた。緋色の髪を二つにした可愛らしい顔立ちのこのメイドは──あの日、私の魔法の暴発に巻き込まれたメイドだ。確か、名前は。
「……フォルテさんでしたか?」
「ああ、一介のメイドに敬称をつけなくてもいいのです!いえ、それよりもお嬢様、本館にはどのようなご用事で……?」
「本館?……ああ、無意識に来てたんだ……」
フォルテさんに言われて改めて辺りを見渡すと、成程確かに内装の雰囲気が私がいた館とは断然違う。道理で使用人の行き交いが頻繁なわけだ。どうやら私は考え事をしている内に、本館……つまり、『彼女』の親がいる場所に来てしまったらしい。
私がいつも寝泊まりしている館は所謂別館で、まるで私を隔離するかのように離れに建てられている。その別館と本館を繋ぐ渡り廊下があるのだが、私はそこを通ってこの本館にやって来たのだろう。
「いえ、特に用事はございません。考え事をしていたら、いつの間にか本館にいました。もう戻りますので、安心してください」
「そ、そうでございますか……。ではお供致しましょう。さっ、こちらへ」
フォルテさんは私を別館の方へ誘導してくれる。
フォルテさんは私の魔法の被害に遭ったのにも関わらず、こうやって普通に接してくれる。今だって本当に私を心配してくれている目で、怯えは見られない。そりゃあ最初は怯えられてはいたけれども、それも何回か会えば次第に無くなっていった。
フォルテさんは引きこもっていた私によく扉越しから声をかけてくれたから、私はそんなフォルテさんに好感を持っている。
フォルテさんの誘導に素直に従い、私は別館への道に足を向けた。フォルテさんが私の足元を見て嘆息したような気がするけど、気のせいだということにしておこう。さて、戻るか。
「──!」
その時だった。耳鳴りがしたのは。
まるで黒板に爪を引っ掻いたような耳障りな音が、私の脳を刺激する。瞬く間に私は頭痛を起こし、フォルテさんが見ているのにも関わらずその場に座り込んだ。
フォルテさんが私の事を呼びながら同じようにしゃがんでくれたけれども、今はフォルテさんの呼び掛けに反応する余裕が無い。
「──!嗚呼、愛しの──!もう体は大丈夫なの?」
誰かがフォルテさんと同様に膝をついて私の肩に手を置いている。そして、私に向けて金属音をぶち込んでくる。
コイツだ。耳障りな音を出しているのは。
そしてその音を出している人物を、私は知っている。
『彼女』と同じ金髪を縦ロールにし、豊満な体がよく映える赤色のドレスを身に纏う厚化粧の女。近づくだけで香水の匂いがキツく、鼻を抑えたい衝動に駆られるがそれよりも頭痛が酷い。
その女こそ、『彼女』の母親だと名乗る女である。
「……離れて、くれませんか」
女の体を押し退けると、すかさず女が私の手首を掴んできた。ゾワリ!と悪寒が走る。
「大丈夫なの、──!具合が悪いのなら私の部屋で休む?そこのメイド、──を私の部屋に運んでちょうだい!」
「え、あ、でも、お嬢様は……」
「あの人は私から言っておくわ!大体、一人娘をあんな離れに隔離するのが間違っているのよ!この子はこんなにも可愛い顔立ちをしているというのに、あの人ったら、魔法がまた暴発する可能性があるから──を隔離するとかって聞かないのよ!もう、信じられない!」
「お、奥様。そのお話は既に十回目です……」
やめろ、この女の部屋にだけは入りたくない。
甘ったるい香水が充満した部屋で、耳障りな音を日中私に向けてくる女の側にいたくない。
私の手を掴むな汚らわしい。私に寄り添うな親を名乗る化け物め。
やめろ私を連れて行くな、やめろ、やめろ、やめろやめろやめろ。
「さぁ、──。こっちに……」
「やめて!」
女の手を払い除けて、私は足を縺れさせながら駆け出す。誰かが私を引き止める声を出してきたが、態と私は聞こえないふりをした。
メイドや執事達を押し退けて無我夢中に駆ける。階段を降りて、転けて、擦りだらけになりながら、足を赤く晴れ上がらせながら、私は奇異の視線の数々を受けながら只管走る。割れる音がする、悲鳴が聞こえる、静止する声が聞こえる、誰かが触れてくるけどそれは掠れて、誰かが怒鳴り込んでくる声が聞こえてくるけど全部無視する。扉を開けてさらに走ると足の痛みがさらに増した。照りつける太陽が白い肌に当たって痛い。また途中で転けて、血が少しだけ出たけれど、足を止めたら終わりだと思っていたから、私の足は止まることなく只管動かした。
また次回もよろしくお願いします。