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「傷はついてねえな……中身も無事……よしよし」
遠藤はダーマーとの邂逅時に目くらましとして使用したリュックサックを回収していた。すでに日本刀も鞘も見つけ終え、担いだ竹刀袋に収められている。
「現実世界に戻る準備はできましたか?」と葉月が訊いてきた。彼女についても身嗜みは整え終わっており、あの儀礼用のような刀も手にはない。一見すると、ただの中学生にしか見えない。
遠藤が肯定すると、「では行きましょう。こっちです」と手招きする。
「あん? こっちって……」遠藤は眉をひそめた。
葉月の示した先は、あの鼓門のある方の出口だった。そう——出ようとすれば元の場所に戻されてしまう地点である。
「問題ありません」と葉月は遠藤の胸の内を見透かしたように言った。「金沢駅の出口……正確には屋外ですが、そこは『黄昏の骸』の領域外ではありません。実はもう少しだけ広いんです。ただ、閉じ込められた人間が『余計な事をしないように』マージンを取っているだけ……」
出口の前まで来ると、葉月は右手を前にかざす。そのまま内と外の境界に触れるようにして歩いていく。彼女の手のひらが外気に晒された瞬間、ガラスが割れたような甲高い音が響き渡った。それこそが、遠藤達を屋外に出られないようにしていた何かが消え去った証拠なのだと確信させる。
葉月の体は元の座標に戻される事なく、そのまま出口を通過する。建物の外から、「大丈夫です、あなたも来てください」と呼ばれ、遠藤は恐る恐る屋外へと足を踏み出した。
あっさりと抜け出せてしまった。ここは現実世界ではないらしいが、外気の冷たさは大差ないようだ。屋内とは比較にならないほどの冷気が肌を刺す。
——まあ思い出してみれば、特急降りた時も目茶苦茶寒かったしな……。
——だからこそ途中まで閉じ込められた事に気づかなかった訳だが……。
葉月と並んで鼓門まで近づいていく。螺旋状の二対の柱と網目模様のある屋根で構成された駅のシンボル。目の前まで来ると異様なプレッシャーに晒されている気がした。
「その感覚は正しいですよ。この現象を引き起こした元凶……『黄昏の骸』という怪恨は、この鼓門に潜伏しています」
「潜伏って……そいつがここに取り憑いてるって事か?」
「そう考えてもらって構いません。この手の怪恨は実体を持たず、何かに憑依する事で自らの力を発揮します。したがって……」
葉月は再度『雪舞閃』なる日本刀を顕現させる。それを両手で持ち、上段に構える。刀が振り下ろされる先には当然化け物が憑依しているとされる鼓門が佇んでいる。
葉月は静かに、そして深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
アイスブルーの鋭い眼光が姿の見えない異形へと突き刺さった。
「——したがって、鼓門ごと『黄昏の骸』を両断します!」
彼女が斬撃を放つ直前、その刀身を氷が覆い、劇的に拡張し、伸長させる。瞬く間に一○メートル近くにまで引き延ばされた刀が、その重さを感じさせないスピードで振り下ろされ、建造物を一刀両断した。
二つに切り分けられた鼓門の切り口から、みるみる内に亀裂が広がっていく。それは門だけでなく遠藤達の立っている地面や駅の建物、果ては空にまで及んだ。無機質な橙色の空に刻まれた無数の皹から、ポロポロと輝く欠片が落ちて来る。建物は崩れ去るのではなく、光の粒子になって徐々に消えていっていた。
「……世界の終わりみてえな光景だが、これで帰れるのか?」
「はい」と葉月は頷いた。「現実世界で会いましょう」
世界がなくなる。跡形もなく消滅する。
その瞬間、遠藤は子供のような悲鳴を聞いた気がした。




