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「何だ? まだここにいやがったのか。てっきり別の獲物探してどっか行ったのかと思ったぜ」
ダーマーは元いた場所から全く動いていなかった。
盾にされた女性も無傷で転がっている。まだ目を覚ます様子はない。
「あなたの目にはまだ闘争心が宿っていましたので」ダーマーは電動ドリルの槍をくるくると回し、戻ってきた遠藤を見据える。葉月につけられた傷は未だにほとんど治っていない。「ここで待っていれば、いずれ戻ってくると踏んでいました。滅恨士の少女の方は後回しで構わないです。どうせ録に動けないでしょうから」
「はッ! テメエも似たようなもんだろうが。立っているのもやっとみてえな状態しやがってよ」
「ですが、あなた一人を屠るには十分です」
「言ってろ。すぐに八つ裂きにしてやる!」
始まる第二ラウンド。
ボロボロになった刀身で斬りつけにかかる。たとえ切れ味がなかろうが、鈍器としての破壊力だけでお釣りがくる。
——無事な切っ先は最後の手段だ。ギリギリまで温存する……!
ダーマーに密着するように詰め寄り、至近距離で日本刀による連打を浴びせていく。今のダーマーは邂逅時ほどの機動力はない。遠藤から距離を取って槍の刺突を仕掛ける事ができないのだ。つまり、長物を扱いにくい距離で戦い続ければ生存率は格段に上がる。
——奴にこれ以上奥の手がなければの話だが……何もかも疑ってたら、まともに戦えやしねえ。
絶え間なく肉薄しつつ、最小限の挙動のみで打ち込まれ続ける攻撃。振り下ろし。ガードされる。斬り上げ。躱される。柄の底による打突。ヒット。ダーマーのみぞおちからメキリと骨の軋む音が鳴り、遠藤はここを好機と判断した。
鞘を留めておくためのアタッチメントを外し、鞘の端を持って抜き放つ。刀と鞘。即席の二刀流。左手に持った鞘でダーマーの側頭部を殴りつけ、さらにダメージを蓄積させていく。
「回復したけりゃしろよ! その度新しい痛みをプレゼントしてやるからよ!」
二対の凶器を振り回し、頭、肩、腕、腹、脚——あらゆる箇所を殴打する。
耐えかねたのか、「くっ……」とダーマーが後ろに飛び退いた。攻撃するための距離の調整ではなく、逃げるための動き。ならば恐れる事はない。
遠藤は一気に踏み込んだ。
両手を大きく振り上げ、ダーマーの両肩めがけて全体重を乗せた刀と鞘を叩きつける。先ほどとは比較にならないほどに武器が肉にめり込み、その威力が一○○パーセント余さず骨にまで達したのを確信した。関節ごと肩の骨を砕き折る。それを裏付けるかのようにダーマーの両の腕が宙に投げ出され、電動ドリル型の槍が離れ落ちる。
「シメだ! その首叩き落としてやるよコラ!」凶暴な笑みと共に日本刀の唯一刃物として機能する部分——切っ先をダーマーの首筋へと差し向ける。
捉えた。
鋭利なままの部位がダーマーの皮膚に沈み込み、その下にある血管と筋肉を斬り裂く——
「……甘いですね。やはり人間ですか」
——事はなかった。
ビタリと。ゴムの塊にでも挟まれたかのように、刃は薄皮一枚以上より先に進む事はなく、完璧に勢いを殺されてしまっていた。
「言ったでしょう。咀嚼した肉の栄養を元に身体強化など容易いと!」
ダーマーの靴底が遠藤の腹部に突き刺さる。「がはあッ!?」と今にも内臓が破裂しそうなほどの衝撃が体内を駆け巡り、次の瞬間には頭部を狙った上段回し蹴りが迫りくる。
遠藤は僅かに体を伏せて蹴りをやり過ごし、もはや武器すら手放して逃走を開始する。
「ここまでやっておいて逃げ出すとは! 少しばかり失望しましたよ!」
「うるせえ! 勝手にがっかりしてやがれ!」
遠藤は全力で脚のギアを回転させるが、いかんせん疲労と痛みが積み重なり過ぎた。体はもう思ったように動かない。ダーマーの方も負傷していなければ、すぐにでも追いつかれてしまっていただろう。
人混みを正面突破し、土産物店を駆け抜ける。背後には両腕を不気味にブラブラと振り回しながら猛追してくる殺人鬼。生理的嫌悪が催される光景だ。
——くそッ! 目が霞んできやがった……。
少しでも気が緩めば、そのまま気を失って倒れてしまうだろう事が容易に想像できてしまう。そして、そうなってしまえば遠藤の肉体は余す事なくダーマーの胃袋に納められる。堪ったものではない。
店内の隅から隅まで駆け抜け、やがて遠藤は四方を壁に囲まれたコインロッカールームに追いやられていた。
「……はあッ、はあッ……!」息を切らす遠藤。日本刀も鞘も、その手にはない。振り返ってみれば、すでに肩の修復を終えたダーマーが治った骨の感触を確かめるように関節を鳴らしていた。
「まだ抵抗しますか?」
「当たり前だ。野郎に食われる趣味はねえ」
「では、お望み通り」
ダーマーが完治したばかりの肩を持ち上げ、右腕を正面にかざす。それが先ほど落としたものなのか、新たに生成されたものなのかは知る由もないが、彼の得物である電動ドリル型の槍が姿を現す。間髪入れずにドリルが爆速回転を始め、周囲の景色をガリガリと削り取りながらダーマーがこちらに突っ込んでくる。
——チャンスは一回だ……!
遠藤は身構える。腰に手を回し、正真正銘最後の武器であるダガーナイフの柄を握り締める。
そのまま遠藤も動いた。真正面からダーマーへと突撃を敢行。接敵するギリギリまでナイフは抜かないと心に決めていた。
天井から壁際のロッカーを引き裂き、その延長線上にいる遠藤へとドリルが襲い掛かる。
互いの距離、一メートル。
まだ抜かない。
互いの距離、五○センチメートル。
まだ抜かない。
互いの距離、三○センチメートル。
まだ、抜かない。
互いの距離、一○センチメートル。
遠藤はホルダーから思い切りナイフを引き抜いた。
逆手に持ったダガーナイフを槍の軌道と交際するように振り抜く。狙うのは武器ではない。ダーマーに致命傷を与えられる箇所でもない。ただ、この場から生きて離脱するために必要な部位。
ダーマーの右手の手首。
遠藤はダガーナイフで目標と定めた部位の肉を半分ほど抉り切った。一瞬で握力を奪われた右手が武器を離し、その勢いのまま明後日の方向に飛んでいく。
身を屈め、ダーマーと擦れ違うようにしてロッカールームからの脱出を試みる。大振りの一撃を思わぬ形で潰されたダーマーは隙だらけだった。——行ける。という確信を持ち、残った力の全てを振り絞って走る。
だが。
「――ッ……!? こんなところでッ……!」何の予兆もなく、体の芯から指先に至るまでの力が根こそぎ奪い取られる。『黄昏の骸』。ダーマーがそう呼称した何かによって、生き物を動かすための活力が吸い取られたのだ。
自らの意思に反してダガーナイフを取り落とし、足裏から感覚がなくなって床を踏み締める事すらできなくなる。何かに躓いた訳でもないのに大きく前方につんのめる。背中に言い知れぬ悪寒が走り抜けた。
――死ッ……!
鼓膜を穿つ破裂音。
いきなり至近距離で響き渡ったそれは、ダーマーが人間離れした力で遠藤の内臓を叩き潰した結果——ではなかった。
——銃声!? しかも散弾銃だと!?
裏社会で生きる遠藤はすぐにその正体を看過する。
背後からダーマーの追撃はなく、遠藤は安全に転倒する事ができた。すかさず首だけを捻って後ろにいるはずのダーマーの姿を確かめる。いた。背中に無数の弾痕を刻まれ、莫大な運動エネルギーに負けて今にも傾倒しそうになっていた。
——いったい誰が……? いや、今は気にしなくて良い。とにかく……!
「奴の体勢が崩れた! 俺に構わずぶっ放せえッ!!!」遠藤は力の限り叫ぶ。這いずるようにしてロッカールームの出口を抜けたのと、部屋を埋め尽くすほどの氷の刃がダーマーの全身をズタズタに引き裂いたのは、ほとんど同じタイミングであった。
針のむしろにされたダーマーは何が起きたか分からないといった様子で、「い、痛い……死にたくない……」と涙を溢れさせていた。
「は、ははは……ようやく化け物らしくないとこ見せたじゃねえか」遠藤は震える脚で立ち上がると、殺人鬼から背中を向けた。「俺達みてえなクズにはお似合いの最期だ。汚ねえ涙と鼻水と血に塗れて独りで死んでいけよ」
土産物店を出て人の行き交う駅内に戻ると、壁に背を預けて立っている葉月の姿があった。彼女は遠藤を見つけると、どこか安堵したように優しい笑みを浮かべて出迎えた。
「おかえりなさい……。あなたは凄いです。あんな強力な怪恨相手に立ち向かって……」
「逆に言やあ、立ち向かっただけだ。お前がいなけりゃ、俺は今頃奴の晩飯になっちまってた」
「お互い様です。あなたがいなかったら、私も生きてはいませんでしたよ」
「違いねえ」遠藤は肩をすくめると、先ほど出てきたばかりの土産物店の方向を見やった。「あの食人鬼は放っといて良いのか? どの道すぐにくたばるだろうが……」
「はい、構いません。仰る通り、私達がこの空間から脱出する頃には消滅しているでしょうから。……最大の脅威は去りました。あとは『黄昏の骸』を滅すれば終わりです」




