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終章

 竹刀同士が打ちつけられ、張りのある打突音が響き渡る。

 修練場の板張りの床の上を軽やかに動き回りながら、パーカーワンピを着た黒髪おさげの少女が洗練された剣術を繰り出していく。

 対する金髪の青年は絶え間ない連撃を裁くだけで精一杯になりかけていた。「ぐッ……!」と奥歯を噛み締めつつ、針の穴を縫うような強引さで踏み込み、竹刀を振り下ろす。しかしペースは完全に少女が握っていた。小さな体を反転させながら一撃を躱し、一気に懐まで接近する。

 青年が目を見開き、すぐに満足したような穏やかな表情になる。

 少女の放った横薙ぎが青年の腹部を直撃し転倒、そのまま板張りの床に叩きつけられる。「……さすがだぜ。もう俺じゃあ手も足も出ねえよ」

「……まだ一本取っただけですよ」

「謙遜するなよ。滅恨術なしの腕比べだけでこの結果だ。……あとは何回やっても同じだ」荒くなった息を深呼吸して落ち着けながら、金髪の青年——遠藤克巳(えんどうかつみ)はゆっくりと上体を起こした。額や腕には汗の珠が浮かび、未だ呼吸も乱れていたが、体には怪我一つ見当たらない。竹刀による殴打をまともに喰らった腹部を庇う素振りも見せず、遠藤は涼しい顔で頭を掻いた。

 ここは滅恨士達の拠点、御影温泉街の一角に位置する修練場。この場所では滅恨術、直接攻撃問わず全ての暴力によるダメージが等しくゼロとなる。

 最初は物理法則を無視した現象を起こす事に戸惑っていたが、いつしか当たり前のようにここで少女と鍛錬にふける日々を過ごしていた。

 だが——そんな日々も今日で終わり。

 つい先日まで剣術を教える立場だった遠藤は、こうして教え子を見上げるところまで突き放されてしまっている。

 ——これで良い。これで良かったんだ。

「……遠藤、さん?」すぐ近くで自らを呼ぶ声がした。パーカーワンピの少女、霞沢葉月(かすみざわはづき)が膝を抱えた体勢で青フレームの眼鏡越しに遠藤を覗き込んでいた。

「何でもねえよ」と誤魔化すように返す。「ちょっと考え事してただけだ」

「——終わったみてえだな。邪魔するぜ」

 閉め切っていた扉が開けられ、スーツの上からレザージャケットを羽織った初老の男が姿を現した。松葉杖を突きながら歩く武田の姿は誰よりもボロボロで、見える範囲だけでも包帯とガーゼだらけだった。真人間だけで怪恨に立ち向かった武田(たけだ)達石川県警連合部隊はかなりの人数が負傷し、武田自身も重傷を負った。しかしそれでも一人の犠牲も出さずに怪恨を撃滅し、駅に避難していた人々とダウンした滅恨士達を救った功績は凄まじいものだ。

 武田は松葉杖で体重を支えながら床に腰を下ろして胡座をかく。

「動けるようになったんですね。良かったです」葉月が胸を撫で下ろす。

「おかげさまでな」

「……っつう事は、あんたももう帰るのか?」

 遠藤が訊くと武田は、「まあな」と肯定した。「歩けるようになったのもあるが、目的も果たせたからな」

「警察と滅恨士の橋渡し、だったか……? そんな状態になっても話進めてたのか?」

「元々怪恨と戦うのは本来の仕事じゃなかったからな」武田は皮肉っぽく笑い、「国民の皆さんの税金もらって生きてる以上はちゃんと働かないといけねえからな」と言った。

 要するに最後にここへ立ち寄ったのは、まだ何も知らないだろう二人への報告と挨拶を兼ねてなのだろう。

「結論から言うと、とりあえずは石川県警と霞沢家が正式に協力関係を結ぶ事で合意した。非正規の連中への武器の提供、怪恨と戦う際の人払い、現場の後始末……今まで霞沢が苦労してやってきた事を警察が引き継ぐ。警察自身も怪恨退治のノウハウを教わりながら後方支援できるように訓練していく。これまでよりは怪恨との戦いに集中できるだろうよ」

「でもよ、怪恨は石川以外にもいるんだろ」と遠藤が疑問を投げかける。「他の地域の警察はどうするんだ?」

「『とりあえずは』って言っただろ。いずれは日本各地の滅恨士と警察が協力できる仕組みを作っていくつもりだ」

 一見すると、途方もない計画にも感じる。しかしこの不良刑事はきっとやってのけるのだろう。

「いったん東京には帰るが、また近い内に顔合わせる事になるだろうよ。そん時はよろしくな、葉月ちゃん」

「はい……! これからも一緒にこの街を守っていきましょう!」

 武田と葉月を目線を交わし、力強く頷き合う。

「……さて」自らが成し遂げた偉業の余韻に浸る間もなく、武田は杖を突きつつ立ち上がった。「俺はもう行く。……遠藤の兄ちゃんの邪魔する訳にはいかねえからな」

「はは……感謝するぜ、俺みてえなクズにも気いかけてくれて」

「人生の先輩から一つだけアドバイスだ。本当のクズってのはどうやったって誰も救えねえ奴の事を言うんだ。……そんじゃ達者でな」

 遠藤と葉月に背中を向けた武田は、杖を持っていない方の手をひらひらと振りながら一度も振り向く事なく去っていった。

 修練場には青年と少女の二人だけが残される。武田が開け放った扉からは、徐々に昇り始めた朝日が射し込んできていた。そよそよと吹き込んでくる風はやはり冷たかったが、陽光の暖かさが少しだけ寒さを紛らわしてくれた。

「……ねえ遠藤さん。ちょっと外に出ませんか?」

「……そうだな」

 どこか憂いを滲ませる葉月の誘いに、遠藤は微笑と共に答えた。

 荷物をまとめて少女と並んで和風建築から退出する。葉月の出で立ちはいつも通りだ。私服姿の脇には通学用の鞄と制服の入った袋が抱えられている。そう、彼女にとっての日常。修練場での修行を終えて近くの温泉に入ってから学校に行く——今までも、そしてこれからも繰り返されていく当たり前の事。

 だが遠藤は違った。

 彼の背には荷物がぎっしりと詰まったバックパックが背負われている。右肩には仕事道具が入った竹刀袋もある。

 すでにチェックアウトは済んでいた。今日は遠藤にとっての非日常が終わりを迎える日だった。この御影温泉を故郷とする葉月とは違い、遠藤は外から旅行のためにやってきただけの部外者だ。刈谷の策略により、普通の宿泊者と比べれば長く滞在する結果にはなったが、いずれは立ち去らなければならない身だ。

 淡い日の光を浴びながら舗装されていない坂を下り、中腹にある湖に着く。湖外縁に舗装された遊歩道を歩き、最も日の当たる場所まで来たと同時に葉月の足が止まった。

「……もう、行っちゃうんですね」伏し目がちに確認を取る葉月の表情は、遠藤には窺い知れない。しかし直接顔を見ずとも彼女がどんな目をしているかは手に取るように分かってしまった。

 その上で遠藤は答えた。「四十沢(あいざわ)が……いや、四十沢さんが待ってるからな」と眼下に広がる温泉街を見やった。「こんな俺を必要としてくれる連中がいる。何もかも上手くいかなくなって潰れそうになっちまってても、それでも俺を見つけてくれる連中だっている事を知れた」

「ねえ……その中には私も入ってますか?」

「馬鹿野郎。お前の名前が一番最初にあるっての」

 俯いていた葉月の顔が上がる。「えへへ……嬉しいです……」と頬を赤らめて微笑む姿が露わとなる。喜びと悲しみの感情がないまぜになったような笑みの裏で彼女が抱えているだろう葛藤を、遠藤は推し量ってやる事しかできない。

 だから金髪の青年はそっと少女の頭に手を置いた。わしわしと若干乱暴に撫でてやる。

「こんな時代だ。離れ離れになったところで『ハイさようなら』って訳じゃねえだろ」

「はい……! 当主になる前に……何度だって遠藤さんに会いに行きますから……!」

「ああ、待ってる」

 葉月の頭から手を離す。

 もう二人は言葉を交わさなかった。

 少女に背を向けて重い荷物と共に歩き出す。



 温泉街の端にあるバス停付近まで来ると、同じく重い荷物を背負った四十沢が待っていた。

「別れの挨拶は済んだのか」

「そんな劇的なもんじゃないですよ。話したければいつでも話せるし、会いたければいつでも会える。今だけですよ、寂しく感じるのは」

 遠藤はバス停の時刻表に視線を滑らせる。次の便が出るまであと五分もなかった。

「……敬語でなくとも構わないのだぞ。俺としては仲間は対等な立場だと思っている」

「あんたがそう思ってても、ついていく奴はそうは思ってないんですよ」青年は憑き物が落ちたように笑った。「敬わせてくれ。俺を地獄の底から引っ張り上げてくれた一人としてよ」

「……そうか」四十沢もこれ以上食い下がるつもりはないようだった。「ならば俺は君の上に立つ者としての振る舞いをせねばな」

「頼みますよ。四十沢さん」

 金沢駅へ向かうバスが到着する。扉が開くが、早朝過ぎるためかここで降りる人間はいなかった。それを確認した四十沢が乗り込む。

「……またな」乗り込む前に少しだけ御影温泉の景色を視界に入れ、大男のあとに続く。

 遠藤の非日常が終わりを告げる。明日から待っているのは新しい日常だ。

 いつか葉月と再会した時、自分は胸を張って彼女の前に立てるだろうか。

 一瞬考えてから、それは無理だろうと結論づけた。どう足掻いても遠藤は裏世界の泥を啜り続けるしかないのだから。

 ——それでも……。

 出発したバスに揺られながら、三流の殺し屋は一つの決意を胸に抱く。


 ——救われ続けてるって事だけは、堂々と言えるようにしとかないとな。

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