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「どうやら当たりのようですね……!」と兼六園に到着するなり、葉月が確信を含ませた声色で言う。しかしすぐに表情を曇らせ、「でも……この反応は……!?」と周囲を見回した。

「何だ? 俺にも分かるように教えてくれ!」

 遠藤が催促すると傍らの葉月は彼を見上げて答える。

「人払いの術です……! 準備さえ整えればほとんどの滅恨士が扱えるもの……」

「人払いだあ? にしてはこの辺観光客だらけだぞ?」

「兼六園の敷地内にいくつかの『区切り』を作って、その範囲だけに術をかけてます……! 今私が確認できただけでも四ヶ所……!」

「あからさまだな……」と遠藤は若干苛立った様子で呟いた。「この四ヶ所の中に当たりがあるのか、それとも本当に見つけられたくない場所を隠すためのダミーなのか……」

「まだ他の人達は着いてないみたいですからね……」

「捜索に当てられる人員が足りなさ過ぎるな。武田のおっさんや非正規滅恨士共は何してやがんだ……!?」

「……どうします?」

 上目遣いで見つめてくる葉月を横目で見やり、遠藤は最短で答えを導き出す。

「手分けして探すしかねえな。『人払いの術を使ってる場所』と『それ以外の場所』でだ。……その上で一つ訊いておきてえんだが、仮に俺が終末の回廊潜伏場所に辿り着けたとして、俺はそれを判断できるのか?」

 生粋の異能力者である葉月と違い、遠藤はただの人間だ。本来なら、この世のものとは異なる常識に振り回される側だ。人払いがされている場所を認識して踏み込めるのか、終末の回廊の潜伏場所を見て気づく事ができるのか。

「心配ありません」葉月は遠藤の懸念を取り除くように断言する。「大切なのは『知っている』事です。人払いの術式もその存在を知っていれば、不自然に人がいない空間の違和感を掴み取れます。終末の回廊についても同様です。すでに空間掌握を得意とする黄昏の骸を知っている遠藤さんは、潜伏場所から洩れ出る僅かな気配を感じ取れるはずです」

「なるほどな」納得すると次の指示に移る。「なら『人払いの術を使ってる場所』は俺が回る。こっちには兼六園全体を走って回れるほどの足はねえからな。術が使われてる位置の情報をくれ」

「……分かりました!」

 タブレット端末の地図アプリで敷地内の図を表示させ、葉月に該当ヶ所をチェックしていってもらう。

 それが済むと同時に互いに頷き合い、それぞれの仕事を果たすべく二手に分かれた。

 ——他人の目の届かない場所を用意してるっつう事は、そこに踏み込んだ瞬間に物量で攻められるのも想定しておかなきゃならねえ。

 砂利道を全力疾走し、目的地を目指す。道の左右を彩る木々も、走るマナーの悪い客に迷惑そうな視線を送ってくる群衆も何も気に留めない。

 術が展開されている地点は瓢池、金沢神社、山崎山、霞ヶ池の四つ。遠藤と葉月が入ってきたのは真弓坂口からなので、回るのもこの順番でだ。

「さてと……この中に当たりはあるのかね……!?」

「どうだろうな。いずれにせよお前はそいつを確かめる事さえできない」

「——ッ!?」

 予想していなかった。このような大勢の目につく場所で仕掛けてくる事はないだろうと高を括っていた。

 だから、そこを突かれた。

 判断が一瞬遅れる。

 木陰から奇襲してきた伊庭の姿を視認してから回避行動を取ったが、もはや、その前の段階で読み負けていた。横薙ぎの一閃が遠藤の左脇腹を浅く裂いた。直後に鋭い痛み。歯を食い縛りながら痛覚を押し殺し、即座に反撃に移行する。

 竹刀袋に入れたままの日本刀を鈍器として振り回し、追撃しようとしていた伊庭の大鉈を弾く。さらに先端を槍術の要領で腹へと突き込み、伊庭を大きくノックバックさせる。その隙に後ろへ跳んで距離を取りつつ、刃を抜く。

「毎度毎度登場の仕方に芸がねえな……! この一発屋がよ……!」

 人間を殺せる凶器を持った男達の激突。余りにも非現実的な光景に、周りにいた観光客達は呆然としていた。それで良い、と遠藤は思う。下手に暴動が起きれば余計な二次被害が起こる可能性さえある。このままドラマの撮影か何かだとでも思ってもらうのが一番都合が良い。

「はははははッ! 嬉しいねえ! そっちから会いに来てくれるなんてよ! この前はまんまと逃げられちまったからな! ようやくテメエをぶった斬るチャンスが回ってきたぜ!」

 だから遠藤はわざと芝居がかった口調と動作で伊庭を煽り立てた。

 先手を打たれた伊庭は、「ちッ」と舌打ちする。当初の予定では自身の登場と共にもっと場を混乱させるつもりだったのか。表情に若干の不満を滲ませ、非正規滅恨士は自らの盾となる怪恨を召喚する。人間というのは意外と鈍感なもので、これだけ世の理から外れた景色を見せられても、動揺する者は一人も現れなかった。

 伊庭が召喚した五匹の下級怪恨が猟犬よろしく遠藤を追い立てるように襲い掛かる。遠藤は後退しつつ日本刀で怪恨を斬り払い、優先するべき目的へと歩を進めていく。

 ——こいつに構ってる暇はねえ!

 ——俺が真っ先にやるべきは終末の回廊を見つける事!

 わざわざ相手の誘いに乗る必要はない。そして伊庭がここに出ばってきたという事は、ここに正解がある証左でもある。

 ——追い詰められてんのはテメエの方だぜ!



 伊庭の追跡を躱しながら最後のポイントの探索に入る。瓢池、金沢神社、山崎山の三ヶ所は空振りだった。残りは兼六園の中心部にある霞ヶ池だ。

 遠藤は荒い息を吐きながら、広大な池を見やる。これだけの観光客スポットであるにも関わらず、不自然なほどに人がいない。先刻見てきた場所と同じく人払いの影響だろう。

「ここ全部探すのは骨が折れるな……」と煩わしさを含んだ声を洩らした時、遠藤は何かを感じ取った。見た目的には何も変わったところは見受けられない。しかし確かに肌を突き刺してくる違和感。同じような感覚を最近感じたばかりだ。

 ——これが怪恨の気配って奴か……?

 確信は持てない。だが先の三ヶ所とは明らかに感触が異なる。

 仮にここが正解だったとしても具体的にどこに隠れているかまでは分からない。順当に行けばここで専門家たる葉月の意見を仰ぐために連絡を入れるべきなのだろうが——

「——ま、そう簡単に動かせてくれる訳ないよな」

 遠藤は背後から忍び寄る気配を受けて振り返る。下級怪恨を引き連れた伊庭が不敵な笑みと共に近づいてくる。

「一石二鳥だ。テメエをここでぶっ殺して終末の回廊も滅してもらう。それで一連のゴタゴタは終わりだ」

「探し当てたのは褒めてやる。だが、この貴重な情報はお前から上に流れていく事はない。なぜなら俺がお前を殺すんだからな」

「はッ! 俺にタイマンで敵わなかった奴が何をほざいてやがる!」

「そうだな。確かに一対一じゃ俺はお前に勝てない」認めた上で、しかし伊庭の余裕の表情は崩れない。「だが今のお前は手負いで、こっちには手駒もいる。こいつらを引きつけてくれる味方も、そっちにはいない。どっちが有利かは説明するまでもないよな?」

「言ってろ!」遠藤が開戦ののろしを上げる。低い姿勢で踏み出すと同時、左手を伊庭から隠しつつ大きめの砂利を拾う。目くらましを兼ねてそれを投げつけ、伊庭が思わず顔を覆ったところで肉薄する。

 主人を守るために割り込んできた下級怪恨を胴体から破断する。遠藤の二撃目に備えようとしていた伊庭の意表を突くように、彼の軸足を思い切り踏みつけた。

「痛つッ……!?」

「喧嘩は得物を使うだけじゃねえんだよ!」

 伊庭の額めがけて勢い良く自身の額を叩きつける。渾身の頭突きがクリティカルヒットし、伊庭がたたらを踏む。横合いからダイブしてきた下級怪恨を姿勢を低くしてやり過ごし、両手で持ち直した日本刀を振り上げる。大鉈が斬撃の軌跡の延長線上に突き出され、紙一重で防御された。ガギイッ! と金属同士が擦れ合い、不快な音を奏でる。

 そのまま攻め立てようとしたところで、遠藤は目を剥いた。「うおッ!?」と焦りながら顔を傾ける。直後に先ほどまで顔面があった位置を小型のプラスドライバーが通過。大鉈のガードの隙間を縫って投げ放ったのだと躱してから気づく。一瞬でも反応が遅れていれば鼻に風穴を開けられていたかもしれない。

「良い事教えてやるよ部外者。勝つために使えるものは何でも使う――これも立派な喧嘩のやり方だ」

 そう嘯いてモッズコートの内側からカッターナイフを取り出す。親指でスライダーを滑らせ、鋭利な刃を最大まで伸ばす。右手に大鉈、左手にカッターナイフを手にした伊庭が接近してくる。当然、先行して襲撃してくるのは配下の怪恨だ。

 ——時間差で俺を殺し切る算段か。考えが甘過ぎるぜ!

 両サイドから現れた下級怪恨を日本刀の一閃で斬り伏せ、すぐさま手首を反転。柄の底面部をすぐそこまで接敵してきていた非正規滅恨士の側頭部に叩きつける。バランスを崩した伊庭が最後の抵抗とばかりにカッターナイフを投げつけたが、録に狙いもつけられていない投擲に脅威はない。カッターは明後日の方向に飛んでいき、遠藤はそれを見届ける事もなく目の前の敵を排除するために動く。

 下段蹴りで伊庭の脚を振り払い、駄目押しとばかりにボディブローを打ち込んだ。地面へ仰向けに倒れ込んだ伊庭の心臓へと日本刀の先端を突き下ろす——その直前で背後からの風斬音。背中にゾクリと悪寒が走り、伊庭へのとどめを諦めて回避を優先させる。横に跳躍し、飛来してきた黒曜石の刃を持つ槍を避けた。

「お前は……!」遠藤が驚きに目を見開いて術を放った人物を捉える。「何で邪魔しやがった!? こいつを殺して終末の回廊を滅すれば終わるんだろ!」

「俺にはまだそいつが必要だからさ」真顔のまま邪魔をした滅恨士は答えた。「伊庭を返してもらうぞ。代わりに彼を返してやるからさ」

「彼……?」

 傷だらけの泰牙は左手で何かを——いや違う、誰かを引き摺っていた。ミリタリージャケットの襟を掴まれた熊のような大男。遠藤からは背を向けている形となるので、その人物の顔は確認できない。しかし遠藤はすぐにその正体が分かってしまう。

「四十沢……! 何で……!?」

「さすがに強かったよ。人間を殺すために洗練された技の数々……滅恨士が持つのとは全く別の強さだ」

「そんな事を訊いてんじゃねえ! テメエがやったのか!? 四十沢を! いったい何のために!?」

「動揺して文脈を読む事すらできなくなってるぞ、遠藤さん」泰牙は滅恨術で強化された身体能力で、筋肉質の大男を軽々と放り投げた。宙を舞い、背中から砂利塗れの地面に落下した四十沢。身につけていた衣服はボロボロの布切れと化し、露出した肌には無数の刺し傷や切り傷が見受けられる。明らかに槍によって刻まれた負傷だった。「凄いよな、さすがプロって感じだ。こんなになっても武器だけは手放さないんだから」

 傷だらけの四十沢の右手には彼の愛銃であるMP7が固く握り締められていた。これが死後硬直でないのなら、彼はまだ生きているはずだ。

「殺す……テメエらを即効でぶち殺して四十沢を病院に連れていく……」日本刀を構え、倒れた四十沢を庇うように前に出る。

 遠藤にはこの状況の全てが把握できている訳ではない。だが起き上がった伊庭が泰牙の方へ近づき、こうべを垂れるのを見て一つだけ確信する。

 ——泰牙(こいつ)が黒幕だ。

 伊庭はただの手駒。霞沢の一員として表立って動き、裏では伊庭の手を引いて暗躍する。そうしてこの状況を作り上げた泰牙は、ついに牙を剥いた。

「ははっ、面白い冗談を言うじゃないか」投擲した善討槍を手許に引き寄せつつ、泰牙は悪辣な笑みを浮かべた。「ダーマーにさえ一人では勝てない遠藤さんが俺を殺すって? しかもその傷でか? 強がりにしては下手過ぎるんじゃないか?」

 泰牙の言う通りだった。伊庭にもらった初撃の傷からは徐々に血が滲み出し、カーキのワークシャツの生地を赤く染め上げている。血が足りなくなるのも時間の問題だろう。

 その上で、「馬鹿が」と遠藤は吐き捨てた。「さっきテメエが言った通りだろうが。俺や四十沢の専門は人間だ。心臓を潰せば死ぬ。首を撥ねれば死ぬ。テメエが滅恨士だろうが、その常識は崩れねえ。こいつで一撃でもどっちかに入れちまえば終いだあッ!」

 先手必勝とばかりに泰牙へと斬りかかる。

 ——先入観は植え付けた。

 ——奴は俺が心臓か首のどっちかを狙うと思うはず。

 ——その隙を突いてまずは脚を払

 バギインッ! と遠藤の思考を遮るように金属が砕け散る音が響き割った。遠藤の視界にキラキラと銀色の欠片が舞い、その内いくつかが顔の肌を薄く斬り裂いた。そこで初めて遠藤は自らの得物に目線を移す。「は……?」

 根元から刀身が失われていた。先ほどまでそこに切れ味鋭い刃があったのを証明するものは、かろうじて柄に残っていた残骸だけしかない。

「悪いが、飛び道具のない遠藤さんは俺からしたら赤子にも等しい存在だ」

「ぐッ……!」

 耳をつんざくような雷鳴音が鳴り渡り、泰牙の持つ善討槍に爆発的に紫電が集まっていく。そこから放たれる刺突の威力は今しがた彼が見せた通り。金属の刃を紙同然に引きちぎる。

 それが人に向けられればどうなるか。想像する必要さえない。

 遠藤は尋常でない冷や汗を吹き出させながらも、とっさに身をよじる。「——貫け! 『邪龍突牙』!」滅恨術発動の雄叫びと共に神速の突きが放たれ、遠藤の左肩の肉を抉り飛ばす。

「があああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 尋常でない痛みが神経を圧迫し、喉を裂くような絶叫が迸る。思わず傷を押さえて後退りする。

 そこを好機と見たのか、泰牙の背後に控えていた伊庭が下級怪恨をけしかけてきた。

「舐めんじゃ……ねえよ! くそッたれがあああッ!」叫び、腰の後ろにつけたホルダーからダガーナイフを引き抜く。逆手でナイフを構え、飛び込んできた下級怪恨三匹の内、正面にいた個体の首を撥ね飛ばす。死体が霧散する前に尻尾を掴み、左にいた個体めがけてズタ袋をフルスイング。首のない死体と共に吹っ飛んでいく怪恨を見やる事もなく、最後の一匹——右手から噛みつこうとしていた下級怪恨の腹部へ、刃渡り一五センチの刀身を根元まで突き込む。そのまま手首を捩って肉を抉り、思い切り地面へ叩きつける。起き上がる前に頭部を踏み潰し、確実に息の根を止めた。

 その間に体勢を立て直していた二匹目が遠藤の背後を取った。

「……助かるぜ、単細胞のクソ野郎が」身を屈め、頭上を通り過ぎた下級怪恨の首根っこを乱暴に掴み上げる。そのまま二匹目を泰牙へ向けて投げつけた。

 泰牙の方は眉一つ動かさずに投擲された怪恨をひょいと躱したが、面食らったのは彼の後ろにいた伊庭だった。意表を突かれた伊庭が硬直した瞬間、遠藤は怪恨の陰に紛れ込ませるようにナイフを投げ放つ。それと同時に自身も駆け出した。肉塊が伊庭の顔面に直撃し、脳を揺らす。続いてナイフの切っ先が左太ももを貫いた。さらにゼロ距離まで迫った遠藤が渾身の正拳突きを顔面にぶち込み、意識を奪い取った。

 ナイフを無理矢理引き抜き、さらに伊庭の大鉈を強奪する。

 すぐさま近くにいた泰牙へ向き直り、「死にッ……やがれえええええッッ!!!」と吠えながら斬りかかる。

「これだけ追い込まれても諦めないか。良いじゃないか。俺も遠藤さんに敬意を評して本来の力の一部を見せてやろう」

 泰牙が不敵に笑うと、彼のアメジスト色の右目が不気味に輝く。その輝きが爆発的に増していき、それに比例するように彼の力が膨れ上がっていく。そこから発せられる威圧感は葉月の比ではない。『分家の滅恨士は本家に才能の面で遥かに及ばない』——その前提が根本から覆されていく。

「——喰らえ。『万象壊侵夜(ばんしょうかいしんや)』」

 瞬間。

 遠藤の眼前が夥しい物量の闇の槍で埋め尽くされた。

 その全てが泰牙によって精製され射出された滅恨術だと気づいたのは、槍の雨が降り注ぎ、遠藤の全身を串刺しにしたあとだった。

「ッか……あ、あああ、ばあっ……!?」口腔から粘っこい血液と言語の呈を成していない呻きが洩れる。

 四肢や胴体を貫いた無数の槍が溶解し、気体のように消えていく。栓を失った傷口から一斉に赤い体液が流れ出ていった。

 体中の神経という神経から力が抜けていくのが分かる。脳裏に靄がかかったように意識が朦朧とし、視界のところどころが黒く霞む。

 膝から崩折れた遠藤は、最後の力を振り絞って大鉈を地面に突き立て、ギリギリのところで倒れるのを耐える。「ごほッ! げぼッ! ……この……クソ野郎、が……!」

「まだ倒れないか。遠藤さん、いったい何があんたをそこまで奮い立たせる?」

「テメエに……教える義理はねえッ……! 裏切り者は黙って……死んでろ……くそッたれが」

「……まあ良いか。いずれにせよ遠藤さん達部外者は不確定要素だ。ここで確実に排除する。あんたを殺ったら次は四十沢さんだ。……武田さんだけは潰せなかったのが心残りだが、そこは臨機応変に対応するとしよう」

 泰牙が魚に向けて銛を突き刺すような動作で槍を向けてくる。その切っ先で狙うのは心臓か頭か。いずれにしても人間として損傷してはいけない部位だ。

「滅恨士や怪恨との戦いでは得られないスリルを味わえた。遠藤さん達には感謝してる」

「……そうかい」遠藤は唾でも吐き捨てるように言った。「なら、さっさと殺れよ。早くしねえと他の滅恨士共が裏切り者を始末しにくるぞ」

「今さら分家や非正規が来ようと大した問題ではないが、その助言は聞き入れるよ。行動は速い方が良い」

「全くだぜ」

 善討槍が振りかぶられた直後、遠藤は動いた。最後の力を振り絞り、大鉈を投げ捨てて両手でダガーナイフを構える。そのまま倒れ込むようにして泰牙の懐へ滑り込み、刃の切っ先を青年の心臓部めがけて振るう。

「——くッ!?」と泰牙が驚愕に目を見開き、呻く。命の危険を察したのか、遠藤へのとどめの一撃を中断し、無理矢理体を捩った。彼のとっさの判断が功を奏したのか、ダガーナイフの先端はギリギリのところで心臓を外れて左脇腹を斬り裂いた。

 だが確かな手応えはあった。遠藤が伊庭から受けた傷よりも圧倒的に深い。泰牙の顔が苦痛に歪む。

 ——もう一発……!

 軸足を反転させ、体勢が整いきっていない泰牙へと向き直る。接敵しようと足を踏み込んだ瞬間、そこを起点にして地面からあらゆるエネルギーを吸い取られたかのように力が抜けた。足の踏ん張りは利かず体は前のめりに倒れ込む。握力が完全になくなり、ダガーナイフを取り落とす。顔面から砂利だらけの地面にダイブし、顔の皮膚が擦り切れる感触に襲われる。

 泰牙が何かした訳ではない。単に遠藤の限界が訪れただけだ。

「……ッ、……っ……!」もはや震える唇からは言語の程を為したものすら発せられない。無様に倒れ伏した遠藤は指先一つ動かせずに、目前まで迫った死に怯える事しかできない。

「……今度こそ終わりにしてやるさ。心臓を一突きだ。それで終わる」痛みに顔をしかめた泰牙がゆっくりと善討槍を掲げる。

「——残念だが、このチャンスも空振りだ。こいつらは返してもらうぜ。泰牙の兄ちゃんよ」

「……ちっ」

 横合から割り込んできた威厳のある声に、泰牙は痛みとは別の意味で表情を歪める。目だけをギロリと動かし、乱入者を睨みつけた。

「あの数の下級怪恨を一人で捌いてここまで辿り着くとは。全く……手間取らせてくれるな……」

「動くんじゃねえぞ」と武田は回転式拳銃の銃口で泰牙を牽制したまま、脅しをかける。「今のテメエに鉛弾防ぐほどの体力は残ってねえだろ? 妙な事しやがったら、こいつで脳味噌ぶち撒けさせてやる」

 泰牙は舌打ちしながら、視線を自身の脇腹に向ける。

「ここは痛み分けといこうぜ。お互い、こんなところでくたばりたくはねえだろ」

「ははっ……良いのか? 武田さんからすれば俺は『犯罪者』だろう? 警察が悪者を見逃すのは褒められた行為じゃないんじゃないか?」

「馬鹿言え。このまま俺が引き金引こうとすりゃあ、テメエは遠藤の兄ちゃんや四十沢を道連れにすんだろ。助けられる命助けねえで何が警察だ」

「……その選択、後悔する事になるぞ。武田さん、あんたは俺を殺す絶好のチャンスを棒に振ったんだから」

「良いからさっさと行きな。他の滅恨士共が合流したら泥沼になっちまうだろうが」

「…………」顔中に脂汗を浮かせた泰牙は武田を警戒しながらも後退りし、気絶していた伊庭を抱え上げる。そして泰牙が指で何かの合図を送ると同時に、空間を塗り潰すようなブラックホール状のゲートが出現した。

「伊庭が下級怪恨送り込むのに使ってた奴か。合点が行ったぜ。そいつもテメエの力だったって訳か」

「非正規滅恨士の力を底上げするには中々良い方法だったろ。伊庭一人でここまで状況を引っ掻き回せたんだから」

「強くはねえが優秀な駒だ。だからこそ出し抜かれた訳だがな」

「もう俺が霞沢の元に帰る事はない。俺は伊庭と共に目的を果たす。またすぐに戦う事になるだろうさ。その時はどちらかが死ぬまで終わらない」

「上等だ」

 武田の方を向いたまま、泰牙はゲートを潜る。すぐに空間に穿たれていた穴は閉じられ、二人の滅恨士の姿は跡形もなく消え去った。

「……たけ、だ……のオッサン……あんた、何で……何でだよ⁉︎」

「何だ。まだ気い失ってなかったか」

 息も絶え絶えになりながら、遠藤は鬼の形相で武田の足首を掴み取る。

「何であの裏切り者を殺さなかった……⁉︎ 俺が……つけた傷を無駄に……しやがって……!」

「……頭に血昇り過ぎだ、クソガキ。しばらく大人しく寝てやがれ」

 少しの間怨嗟の呻きを洩らしていた遠藤だったが、すぐに意識を失い、異常な静寂が辺りを包む。

 倒れ込んだ二人の男を交互に見やり、武田は溜息をついた。「ま、助かるかどうかはテメエ次第だがな」

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