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「しつこいね、武田さん。何度も言わせないでほしいんだけどね。僕らは警視庁に協力する気はないよ」
武田の目の前にいるのは石川県警の刑事である赤松だ。くたびれた雰囲気を纏う刑事は無造作な黒髪を乱暴に掻きつつ、武田を鬱陶しそうに睨みつけている。
武田は今にも赤松に掴み掛かりたくなる衝動を抑え、「状況が変わったんだよ」と言った。「繋がりを持てた滅恨士の連中曰く、終末の回廊っつうとんでもねえ怪恨が現れるって話だ。奴が覚醒すればこの金沢の中心街が凶暴化した怪恨に蹂躙されちまう」
「だから専門家達が早めに手を打とうとしてるんだろう?」赤松はやはり武田の言葉を疑ってはいない。しかし信じた上で非協力的な態度を示すのも同じだった。「僕らが太刀打ちできない化け物共がさらに手がつけられなくなって数も増えるときた。ははっ、どう考えても八方塞がりじゃないか」
「それは違え! 確かに怪恨共は正真正銘化け物だ! だが実体のある奴らなら俺達でも対処できる!」
「僕らに支給されてるチャチな拳銃で戦えって? いったい一匹仕留めるまでに何発弾が必要になる? 何人の犠牲を覚悟しなきゃいけない? 馬鹿も休み休み言ってほしいものだね!」
武田は不機嫌そうに舌打ちした。「くそッたれが、平行線だな」
「あんたの行動力だけは認めてやるよ。このたった数日の間に化け物の専門家とパイプを作り、協力を打診されるくらいの信頼関係も築き上げられたんだからね」赤松の表情がさらに剣呑なものとなっていく。「でも僕らまで巻き込まれたら堪ったものじゃない。何度も言うが、そっちで勝手にやってくれれば良い。特殊部隊の応援も来るんだろう?」
「まだ正式に決まった訳じゃねえ。あいつらを呼ぶ以上はいくつか面倒な手続きがある」
「滑稽だね」と赤松はせせら笑った。「味方でさえすぐには駆けつけられないんじゃないか。なら、あんた達の賛同者でも何でもない僕らが動くはずない事くらい簡単に分かるじゃないか」
「俺達の考えなんて関係ねえんだよ! 自分が勤務してる地域の市民の命が危険に晒されてるっつうだけで十分だろうが! 動く理由なんてのは!」
「いい加減理解しなよ。そういう正義の味方みたいな考えができる警察そのものが少数派なんだとね。……僕らは自分と家族、友人の命の方が万倍大切だ。名前も顔も知らない市民の生死なんて知ったこっちゃないのさ」
「……そうかよ」武田の表情に暗い影が落ちた。「その台詞、あの世にいるテメエの同僚共が聞いたら何て言うだろうな?」
「……っ! あんた……まさか……!?」
赤松の表情が武田への敵意で染まった。音が鳴るほど奥歯を噛み締め、突き刺すような視線を武田へ向けてくる。
武田は悪びれずに言う。「テメエの事をちょいと調べさせてもらった。——赤松宏輔。元は警視庁の出世株だったみてえだな。同じ場所で働いてた時期もあっただろうに、意外と知らねえもんだな」
「……やめろ」
「一○年前の連続不審死事件の捜査中、現場にいた人間が大勢死んだ。生き残ったのは赤松、テメエだけだった」
「やめろ! その話をするんじゃない!」激昂した赤松が鬼の形相で武田の胸倉を掴み上げた。
「そいつが怪恨だったのか、それとも全く別の異形だったのかは分からねえが……とにかく化け物に襲われた捜査班はテメエ一人を除いて全滅した。それまで出世街道突っ走ってたエリートにとっちゃあ耐え難い挫折だっただろうな。左遷で済んだのは当時から異形の存在を知ってた上の温情か?」
「違う! 僕は出世になんて興味はなかった! ただ仲間達と日本を少しでも平和にしていこうと……!」赤松は搾り出すように苦痛の感情を明かしていく。「でも……無理だったんだよ……! この世界には人間じゃ敵わない化け物が溢れていた……あんな連中から全てを守り切るなんて、できるはずがないじゃないか……」
ワイシャツの襟を掴む赤松の手が震えていた。正義感に溢れていた一人の警察官の心をいとも容易く折ってしまう。それがこの世の理から外れた異形の恐ろしさだ。志だけではどうにもならない。ある種の真理を知ってしまった人間はもう異形に立ち向かえないのだ。
そして、それを分かった上で不良刑事は告げる。「ああ、テメエの言う通りだよ。俺達真人間が全部を守り通す事なんかできやしねえ。俺も異形を追ってる最中に部下を死なせちまってる。おそらくはこれからも取り溢す連中はごまんといるはずだ」
「なら……なぜ……!? 何であんたはそれを理解していながら戦えるんだ……!? 赤の他人を守りたいなんて思いだけで化け物に立ち向かい続けられるはずが……」
「人間ってのは一個の思いだけで動く生き物じゃねえだろうが」
「……っ!」
「俺だって怖えよ、あんな化け物と闘り合うのは。だがな、俺がここで立ち止まっちまったら死んでいった奴らの意志はどうなる? 俺を信じてあとを託した奴らの犠牲……そいつが全部無駄になるんだよ。そんな事、俺は絶対に許さねえ。あいつらの死には意味があったって証明しなきゃなんねえんだよ! だから突き進む! たとえ何回挫折を叩きつけられようとな!」
人間は人間である以上、端から端まで清廉潔白ではいられない。どこかで淀みが生じる。武田も例外ではない。だが、それを飲み込んだ上で辻褄合わせをして立ち上がれるのも人間だ。
「市民を守る。部下の意志を無駄にしない。——どっちが俺の戦う理由として重いかは俺自身にも分からねえ。けどよ、それで良いんだよ。異形に立ち向かうための原動力になってんならな」
「……やっぱり、あんたは特別だ。異形共ほどじゃなくても十分ぶっ飛んでるよ」赤松は力の抜けた声で武田を評しつつ、襟を掴んでいた手を離した。
「そう思うんなら、そいつはテメエに覚悟がねえからだ。それさえありゃあ人間はいくらでも命を懸けられる」武田は踵を返すと、「……赤松、テメエの過去をほじくり返した事については謝罪する」と素直に言った。「だが近い内に金沢を凶暴化した怪恨共が跋扈する事実は変わらねえ。警察としてどういう立ち位置を選ぶのか……考える時間はほとんど残ってねえぞ」
これ以上は言わない。赤松の方を振り返る事もしない。武田は警察署を出て一人次の目的地へ向かう。
——やれる事はやった……。あとは奴らが動くかどうかだけだ。
——俺は本来の目的を果たさねえとな。
一時的に霞沢の傘下に入っている武田が従うべき相手は葉月だ。用事が済んだのなら彼女と合流しなければならない。
スマートフォンではなく、連絡用の折り畳み式の携帯電話を取り出し、葉月の連絡先を探そうとした矢先——
「……んん?」と武田は眉をひそめた。画面には知らない番号が表示されていた。訝しみながらも通話ボタンを押してスピーカーを耳に当てる。「誰だ」
「こちら潮野泰牙。武田さんの携帯で合ってるか」
「何だ。泰牙の兄ちゃんか」
「どうやら間違いないようだな。武田さんの耳に入れておきたい情報があるんだ」
「手短にな。俺は今から葉月ちゃんのところへ合流しなきゃなんねえんだ」
「それなら心配いらない。俺が伝えたかった事がちょうど葉月様達の動向だからな」
「つまり?」
「葉月様と遠藤さんが終末の回廊の居場所を特定したかもしれない」
「信憑性は?」
「まだ何とも言えないがな」通話越しの声は溜息混じりに答えた。「二人には一直線に目的の場所へ向かってもらっている。予想される怪恨の潜伏場所は兼六園、もしくは卯辰山公園の二カ所だ。葉月様と遠藤さんには兼六園の方へ。四十沢さんには卯辰山公園を目指してもらっている」
「テメエはどうする気だ?」
「俺は配下の者達を連れて卯辰山公園に向かう。武田さんは兼六園で二人と合流してほしい。それが葉月様から預かった指示だからな」
「了解だ。すぐに動く」
そう言って携帯電話を閉じた瞬間、武田の背に悪寒が走った。その直感に従い、すぐさま拳銃を抜いて背後を振り返る。視界を埋め尽くすほどに接敵してきていた下級怪恨が歯を剥き出しにして武田を噛み殺さんと遅いくる。
——ムカつくほどに良いタイミングじゃねえか!
武田は回転式拳銃の銃身を握る形で持ち替え、そのままグリップの底で下級怪恨の顔面を強打。鈍い感触と共に地面に叩きつけられた四足歩行の異形の腹部を爪先で蹴り飛ばし、反撃の隙すら与えずに距離を詰めて頭部を踏み潰す。活動停止した怪恨が消え去っていくのも見送らず、武田は一気に駆け出した。視界の端に数匹の下級怪恨の姿を確認したからだ。
——伊庭の野郎……俺達の動きを把握してやがるのか?
——こいつらを撒かねえ限りは葉月ちゃん達との合流もできねえ。
この辺りは一般人の行き交いも多い。むやみやたらと発砲するのも好ましくない。肉弾戦だけで怪恨共を捌きつつ突破するしかない。
「くそッたれが」と武田は吐き捨てた。「面倒くせえ展開だぜ」




