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 葉月が遠藤の宿泊する部屋を訪ねてきたのは夜の九時を過ぎた辺りだった。愛刀の手入れをしていた遠藤は、葉月の神妙な面持ちから、ただ遊びにきた訳ではない事を感じ取った。刀を置くと、「どうしたんだ」と訊く。

 葉月は一瞬言い淀んだ様子だったが、すぐに遠藤を見据え、「お話があります」と言った。「私個人からではなく、霞沢一族からです」

 それはつまり彼女の母親から話があるという事だろうか。葉月の母親——霞沢十六夜が本家の当主だという事は知っている。とはいえ十六夜とは『久穏荘の女将』の時に言葉を交わしただけだ。実際のところ『霞沢本家の当主である滅恨士』として相対した事はまだ一度もない。そんな十六夜がいったい遠藤に何の用だろうかと考えていると、葉月が先を促してきた。

「すでに他の方々は集まっているようです。あとは遠藤さんだけ。……もし着いてきてくれるのなら、お願いします」

 最後の方は消え入りそうな声になっていた。青縁眼鏡越しのアイスブルーの瞳は頻繁に遠藤から視線を外しており、彼女自身が遠藤を連れ出すのを躊躇っているような印象を与えてくる。

 ——他の方々って事は……あの刑事絡みか?

 あの不良刑事の目的は霞沢と警察との協力関係を築く事だったか。その話が上手くいったというだけの事であれば何も言う事はない。しかし葉月の様子はどこか引っ掛かる。

 遠藤は、「分かった。すぐ行く」と言って手入れ途中の日本刀を鞘に納め、さらに刀本体を竹刀袋に収納する。床に放り出していたダウンジャケットを掴むと、Tシャツの上から羽織った。下は寝巻き用のジャージだったので特に着替える必要もないかと判断し、そのまま立ち上がる。刀の入った竹刀袋も忘れずに背負う。

 葉月と並んで部屋を出ると、廊下を早足で通り抜けていく。

「武田って刑事から話は聞いたのか?」遠藤が探りを入れるように訊くと、葉月は小さく頷いた。

「はい。遠藤さんと別れたあと刑事さ……武田さんと話しました。最初に凄く丁寧に謝ってくれましたよ」

「……? 何か悪い事でもしたのか、あのおっさん」

「この前、武田さんが学校まで訪ねてきた時は凄く怖い顔で詰め寄ってきたので」と葉月は苦笑しながら説明する。「あの時の武田さんにとっては私は未知の存在なので、警戒して接するのは当たり前と言えば当たり前なんですけどね。でも、その事について何度も何度も謝ってくれて……」

「まあ、俺も少し話した程度だが悪い奴じゃねえのは確かだな」遠藤は厳つい顔の不良刑事を思い浮かべる。「ちゃんと一本芯の通った人間だ。……それだけに、ああいうのが敵に回ったら目茶苦茶おっかねえんだけどな」

 遠藤のような裏社会の人間にとっては普通の警察は天敵だ。何せ常に様々な法を犯して生きている存在なのだ。しょっ引かれる理由には事欠かない。

 ——あの刑事が普通の警察じゃなかったのが唯一の救いだぜ……。

 内心でそんな事を零しながら、脱線した話を軌道修正する。

「で、おっさんの申し出についてはどうなった? 滅恨士と協力したいって話だろ」

「その事についてなんですが……」葉月は僅かに逡巡し、「もちろん当主には私から伝えました」と言った。自身の母親を身分で呼び現したという事は、今彼女は十六夜の娘としてではなく霞沢本家の滅恨士として話しているという事だ。「結論から言えば、話はそこで止まっています。それも含めて、これから当主自身が話すそうです」

 葉月がそこまで言い終えたところで久穏荘の出口を潜った。彼女に追随するように歩みを進める。修練場へ向かう方角ではなく、その反対——温泉街の入口に当たる方角へと向かっていく。稽古終わりに寄る入浴施設の横を通り過ぎ、他の旅館や飲食店の建ち並ぶ通りを抜けていく。御影温泉行きのバスが停まるバス停付近まで来ると、「こっちです」と葉月が方向転換した。通りから分岐したように伸びる舗装された坂道に遠藤を誘導してくる。

 本来なら車を使って登る道なのだろう。曲がりくねった坂道の両端に街灯は全く見当たらず、葉月の持つ懐中電灯の明かりだけが頼りだ。

 一○分ほど道なりに行くと開けた場所に出た。温泉街と湖を見下ろせる見晴らしの良い広場の先には、他の旅館と比較しても見劣りしないほど豪華絢爛な建造物が確認できた。和洋の特徴を取り入れたようなデザインの二階建ての建物は、余り古さを感じさせない容貌をしていた。実際に他の旅館よりも新しいのかもしれない。

 葉月に連れられて和洋折衷の建物のモダンな雰囲気のドアを開けて中に入る。暖色系の明かりが燈されたエントランスの両端には、二階へ続く螺旋階段が伸び、吹き抜けから上階の木製の冊が見て取れた。先を行くパーカーワンピースの少女が階段の方へ向かうのを見て、遠藤もそれに倣う。

 上階に到達すると、葉月はすぐ近くにあったドアを開ける。最初に飛び込んできたのは大勢の人間の気配。そして次にダンスホールのような広々とした空間が目に入った。

 ——こいつら全員滅恨士なのか……?

 集まっていた人間はざっと見て五○人ほど。格好も年齢も様々だ。カジュアルな私服で来ている者もいれば、スーツや作業着姿の者もいる。まだ学生らしい雰囲気の若者もいれば、四、五○代くらいに見える中年層もいた。そして、そんな一般人の見た目をした集団に混じって見知った異能力者の姿も確認できた。今朝会った沼井紗耶に潮野泰牙、数日前に葉月に喧嘩を吹っ掛けて返り討ちにされた泉亮。当然、葉月の母親でもある十六夜の姿も。

 葉月がそっと耳打ちしてくる。「もうすぐ当主からの話が始まります。遠藤さんはここで待っていてください」

 遠藤が頷くと、葉月は集団の中に溶けるように合流していった。

 遠藤は周囲を見回し、群集のさなかに佇んでいた不良刑事の姿を捉える。武田の方も遠藤の存在に気がついたようで、片手を上げて挨拶してくる。遠藤も同じように返した。

 同類はまだいた。ホールの隅の壁に背を預けている熊のような大男——数日前に遠藤をスカウトしにきた四十沢だ。

 遠藤は思わず首を捻った。なぜ四十沢がここにいる? これは滅恨士の集まりではなかったのか。遠藤や武田が連れて来られたのは、この世界に片足を突っ込んだ身としてまだ分かる。しかし四十沢に関しては滅恨士との繋がりは一切ないはずだ。そもそも彼は遠藤との別れ際に『大阪に帰る』と言ってはいなかったか。

「……何であんたがいるんだ?」と遠藤は四十沢へと歩み寄って行きつつ尋ねてみた。

 遠藤が声をかけた事で、四十沢も遠藤の存在に気づいた。「驚いたな」と相変わらずのタイプライターじみた口調で返してくる。「君も滅恨士との繋がりがあったのか」

「金沢に来た初日に襲われたぜ。ジェフリー=ダーマーを自称するイカれた怪恨にな。そんでこの御影温泉の滅恨士に助けられて、今はこの通りだ」

「奇遇だな。俺もあのあと君と別れてすぐに怪恨から襲撃された。犬と人間のキメラのような化け物にな」

「下級怪恨……だったか? 葉月が言うには、他の怪恨の『種』になるっつう奴みたいだが……」

 そこで遠藤は思い出す。あの大鉈を振るい、下級怪恨を引き連れた非正規滅恨士の男と対峙した時の事を。

 ——やっぱり霞沢の本拠地に下級怪恨送り込んだ程度じゃ殺せないよな。

 あの男は間違いなく遠藤に向けてこの台詞を放っていた。しかし遠藤はあの場で葉月を助けに入った時以外、下級怪恨と戦った経験はなかった。戦闘中はあえて無視した言葉だったが、四十沢の説明で得心が行く。本来なら遠藤を襲撃するために送り込まれた下級怪恨だったが、何らかの手違いで無関係の四十沢を襲い、そして返り討ちにされた。これにより四十沢が霞沢と繋がりを持つに至ったという事だろう。

 その時だった。ホール内に厳格な声が響き渡った。「——これより霞沢本家当主、十六夜様のお言葉を承る。全員静粛に」

 聞き覚えのある声だなと思って発信源を探してみると、やはり口火を切ったのは知り合いの滅恨士だった。大学生風の格好にブラウンとアメジスト色のオッドアイを持つ潮野泰牙だ。彼の隣には、ゆったりとした和服姿に黒絹のごとく艶やかな黒髪を湛えた大和撫子を体現したような美女が佇んでいる。彼女こそが葉月の母親であり、霞沢本家の当主である霞沢十六夜である。

 十六夜と泰牙は群集の中央に位置取り、全員の注目が彼女らに集まるまで数秒ほど待つ。やがて滅恨士と真人間三人の視線が全て注がれると、十六夜の傍らにいた泰牙が身を引く。和服の美女は艶やかな唇を開き、「まずは非正規滅恨士の皆さん、本日は本業で忙しい中、お集まりいただき心から感謝致します」と深々と頭を下げた。「今日集まっていただいたのは他でもありません。ここ最近金沢で頻発している強力な怪恨の出現についてです」

 僅かに場内がざわついた。アクションを見せたのはほとんどが一般人の見た目をした者達。彼らが霞沢家とは別系統の滅恨士なのだろう。

「この数ヶ月で八人の非正規滅恨士が命を落としています。今までにない異例の事態です。皆さんの中には共に怪恨討伐を行っていた仲間を失った方もいる事でしょう……」

 非正規滅恨士は霞沢の純血達と違って異能の力が弱いらしい。先日対峙した男の事を思い出し、確かに非正規の連中の直接的な戦闘力があの程度しかないのであれば、強力な怪恨相手では為す術もないだろうと思う。

「長い間この事態に対し有効な手を打てなかった事を謝罪すると共に、今日はようやく姿の見えてきた『黒幕』についてお話ししたいと思います」と十六夜は切り出した。「数日前、この温泉街にて一人。そして街の建設途中のビル内で我が一族の滅恨士と二人の人間が野良の滅恨士の襲撃を受けました」

 名前は伏せているが、前者は四十沢の事で、後者は葉月と遠藤、武田の事だろう。

 十六夜は透き通るような声でさらに言葉を紡ぐ。「霞沢の統率下にない野良滅恨士は下級怪恨を完璧に支配下に置いていました。ここ最近の不自然な怪恨の増加と無関係とは思えません」

「ちょっと待ちな」と十六夜の言葉を遮るように口を挟んだのは不良刑事の武田だった。泰牙の制止も聞かずに武田は自身の考えを述べていく。「あの野郎が使役してたのは、あくまで『下級』なんだろ? だったら『強力な』怪恨を自分の意思で動かせる訳じゃねえはずだ。あいつと、今テメエらが直面してる状況を結び付けんのは早計じゃねえのか?」

「ええ、武田さんの考えは最もです。そして私も野良滅恨士が強力な怪恨を完全に指揮下に置いているとは思っていません。活動を休止している最中の怪恨に何らかの手を加えて攻撃性を持たせ、無差別に暴れさせる……仮定の話ですが、それならば野良滅恨士が完璧に手綱を握る必要はない訳です」

 十六夜は周囲滅恨士達を見回し——

「野良滅恨士がどのような術を用いて怪恨を使役しているかは分かりません。……しかし私はこの程度で終わる事はないと考えています」

「……奴の力が成長するかもしれねえって事か」

 武田が腕を組みつつ呟くと、十六夜は頷く。

「考えたくはありませんが、野良滅恨士がさらなる力をつけ、強大な怪恨を意のままに操れるようになる可能性もあります。そうなれば滅恨士と怪恨の力関係は逆転してしまいます。この一点だけでも、あの滅恨士を逃す訳にはいきません」

 そこで十六夜は目を閉じた。一拍置き、再び言葉を紡ぎ始める。

「野良滅恨士の捜索は急を要します。そこで、かの滅恨士もしくは使役された怪恨と直接対峙した者達に協力を仰ぎたいと考えています。遠藤さん、武田さん、四十沢さん……あなた方三人は真人間の身でありながら怪恨と対等以上に渡り合える実力を持ち、そして対人戦闘においては滅恨士以上に秀でた存在です」

 十六夜が遠藤達に目配せすると同時に、他の滅恨士達の視線も一斉にこちらに向く。

「失礼を承知でお願いします。……私達にはあなた方の力が必要なのです」

 真摯な表情で頼み込んでくる和服の美女を見て、遠藤は思う。彼女は一族とその他の滅恨士の運命を一人で背負っている。失っても良い——捨て駒にして良い命など一つだって存在しないのだろう。だからこそ不確定要素でしかない遠藤達にさえ頼る。その慈悲深さは果たして集団のトップとして適切か否か。

 ——葉月が俺を連れて行くのを渋ってた理由が分かったぜ……。

 葉月としては遠藤を滅恨士のいざこざに巻き込むのは本意ではない。元々、彼女が怪恨から遠藤を守るという条件で金沢に滞在しているのだ。先日の一件などは遠藤が自ら首を突っ込んだものだが、やはり葉月の方は気が気でなかったはずだ。

 葉月の胸の内を慮れば、遠藤が導くべき答えは決まっている。

 だからこそ、遠藤はこう答えた。「悪いが、俺には先約がいるんでな。十六夜さん、あんたの頼みは聞けねえが、こっちは葉月との約束がある。まだ俺の技術の半分も教えられてねえからな。そんな状態でのこのこ逃げ出す訳にはいかねえ。だから俺は葉月に着いて行く。あんたの娘さんが怪恨と戦うんなら俺も手伝う。それだけだ」

 集団の中にいた葉月が驚いた顔でこちらを見やったのがすぐに分かった。みるみる内に困惑と少しの嬉しさの混じった表情に変わっていく葉月を見て、遠藤は軽く肩をすくめて見せた。泉亮という分家の少年が恨めしそうな視線を送っていたのにはさすがに気がつかなかった。

「……分かりました」そう返す十六夜の口許が僅かに綻び、異能者のトップではなく一人の母親としての表情になっていたのを遠藤は見逃さなかったが、ここで口を挟むのは不粋だと思い、無視した。「ありがとうございます」

 次いで宣言したのは武田だった。不良刑事は腕を組んだまま、「元々、俺の目的は滅恨士と手を組む事だったんでな」と言った。「こっちとしては願ったり叶ったりだ。ここらで警察の有用性って奴をしっかり見せつけて、正式に協力関係を結ぶ話に持って行きてえからな」

「俺の方もこの提案を突っぱねるほどの理由はない」と四十沢が言う。「この身が有用な駒となるのであれば、存分に使ってほしい」

「遠藤さん、武田さん、四十沢さん……あなた方の勇気ある選択に心からの感謝を申し上げます。これで次の話に移れます」そう言うと十六夜は自身の背後に控えていた三人の男女の名を呼んだ。「泰牙、透子、重勝。前へ」

 泰牙以外の二人は和服姿の歳を重ねた男女だった。おそらくは三○代前半のくらいの女性の方が透子、還暦間近に見える男性の方が重勝だろう。

 そして潮野泰牙の身分を知っている遠藤は、すぐに残り二人の肩書についても察しがついた。

 ——分家の当主か。どっちが沼井でどっちが泉かは分からねえが……。

 三人の分家当主を従えた十六夜は、「現在の状況を鑑みて、これまで通りの動き方では犠牲者を増やすだけだと判断しました」と真剣な面持ちで言った。「これ以上の損害を抑えるため、件の野良滅恨士討伐までの間、特別体制を敷きます。……泰牙、説明を」

「承知致しました」と十六夜から話し手の役割を引き継いだ泰牙が前に出た。泰牙はジーンズのポケットからスマートフォンを取り出す。それを集まった滅恨士達に見せつけるように掲げ、「先ほど全員の端末にメールを送ってある。内容を確認しながら聞いてほしい」と言う。「霞沢一族、非正規問わず全ての術者の動きを正確に把握するために指揮系統を四つに分ける。総指揮を執るのは十六夜様。そして、その下に各分家の当主がつく。分家の滅恨士は基本的に各家の当主に従え。非正規滅恨士の振り分けについては先ほど言ったメールに記載してある。良く確認しておくように」

「ちょ、ちょっと待って!」と声を荒げたのは葉月だった。彼女は慌てた様子で自分のスマートフォンの画面と泰牙を交互に見やっている。

 泰牙としては葉月の反応は予想の範囲内だったらしい。どっちの立場が上なのか、もはや分からなくなっているが、泰牙は冷静なまま、「葉月様の役割に関しては、そこに記載された通りです」と言い放った。「これは私ではなく、本家当主の決定です。どうか従っていただきたい」

 当然、遠藤他真人間三人にはメールなど届いていない。だから今どういう状況なのかはいまいち掴めない。

 それを見透かしたのかは分からないが、泰牙は葉月に対して言う。「葉月様には本家の次期当主として、客人三人を含めた別働隊を指揮していただきます。人間相手の捜査や戦闘は彼らに分がある。野良滅恨士を仕留められるかどうかは、葉月様に懸かっています」

「そ、そんな……」

 泰牙に容赦なく畳み掛けられ、すっかり葉月は意気消沈してしまっていた。大役を任されたのが気に入らないというよりは、役割を全うできるのか自信がないといった様子だった。

 少しの間、目が泳ぎっ放しの葉月を見守っていた遠藤だったが、一向に平静を取り戻せない彼女を見かねて歩み寄っていく。

「遠藤さん……」

「そういうところは子供だな。そんなに俺らを『使う』のが不安かよ?」

「だって……もし私が間違えた指示でも出してしまったらと思うと……」と葉月は伏し目がちに弁明する。「下に着いてくれる人の命を預かる責任なんて……私にはまだ……」

「何言ってんだ。葉月ちゃんは将来この一族全員率いる立場になるんだろ? 俺ら三人程度扱えねえでどうするよ、なあ遠藤の兄ちゃん」いつの間にか不良刑事の武田も葉月の傍らにやってきていた。武田は遠藤の方を見やると、「お前もそう思うだろ」と同意を求めてくる。

 遠藤は肩をすくめつつ、「違いねえ」と言った。「当主になる前の予行演習だとでも思っとけよ。怖がらなくても、ここにいるクソッタレ共は簡単に死にはしねえだろうよ」

 遠藤は葉月の頭を乱暴に撫でる。綺麗なセミロングの黒髪が一瞬にしてボサボサヘアーと化したが、彼女は嫌がる素振りも見せずに少しだけ安心したかのように口許を綻ばせた。

 やがて多少は前向きになれたのか、ただの強がりなのかは判断がつかないが、遠藤と武田の言葉を受けて、「……分かりました」と滅恨士の少女は答えた。遠藤、武田、そして四十沢の方を見やり、「皆さんの命、私が預かります」と宣言する。「必ず、私達で野良滅恨士を討ち取りましょう!」

「——良いねえ、そういうの。茶番劇っつって馬鹿にする奴もいるだろうが、少なくとも俺は好きだぜ」

 突如としてホール内のどこかから響き渡った声。武田や四十沢が放ったものではない。しかし声の主は葉月に対して欠片ほどの敬意も抱いている様子はなく、どこか他人事のように受け止めている様子があった。分家の滅恨士達がそのような言葉遣いで葉月と接する事はないだろう。非正規の内の誰かかと思い、遠藤は周囲を見回すが、彼らでさえ困惑した表情をしている辺り、この場で滅恨士が発するに相応しくない発言であった事は間違いない。

「……ッ! 不味い!」最初に正体を看過したのは武田だった。「()()! 下級怪恨とやらが来んぞ!」

 不良刑事が口角から泡を飛ばしながら警告したが、一手遅かった。ホールのあちこちでブラックホール状の門が展開し、そこから人間と犬の混合体のような容貌の下級怪恨の群れが姿を現す。

「クソ野郎が!」遠藤は毒づきながらも、とっさに葉月を庇うように前に踊り出る。竹刀袋から得物を取り出し、日本刀を抜き放つ。

 遠藤と同時に武田がモスバーグM500散弾銃を、四十沢が個人防衛火器のH&K MP7を、泰牙が虚空から出現させた善討槍を構えて臨戦体勢を取る。僅かに遅れて紗耶や亮達分家の滅恨士や非正規滅恨士が各々の武器を取った。

 しかし、すでにこの場に集まった人数にも劣らないほどの頭数を揃えられた下級怪恨が包囲網を完成させつつある。ジリジリと後退させられていく滅恨士陣営。遠藤は目に全神経を集中させて下級怪恨を支配下に置く術者を探すが、奴がここに侵入できた時点で半分はこちらが負けていたようなものだった。

 おそらくは非正規の誰かの悲鳴だろう。苦痛の断末魔と共に首筋から鮮血を噴出させた滅恨士が倒れた。その後ろから血を滴らせる大鉈を携えた人影が現れる。ファー付きのモッズコートのフードを目深に被った中肉中背の男だった。男はニヤつきながら自身のフードを剥ぎ取り、その相貌を面前に晒す。「まずは一人だな」

「————」

 瞬間。

 姿を見せた野良滅恨士の男へと遠藤、泰牙の両名が突撃する。何の変哲もない日本刀と闇の力を纏った善討槍が交差するように野良滅恨士へと襲い掛かる。さらに二人を援護するように角度をつけて回り込んだ武田と四十沢が銃撃を浴びせ掛けた。

 四方向から放たれた攻撃。だが野良滅恨士は顔色一つ変えず、周囲に侍らせていた下級怪恨を呼び寄せて肉の盾とする。不気味な四即歩行の怪恨達は瞬く間に斬殺され、刺殺され、銃殺され、光の粒子と化してこの世界から消えていく。

「いきなり物騒だな」と野良滅恨士が嘲笑するように言った。「しょせんは霞沢の血の一滴も流れていない非正規の捨て駒だろ? そんなに怒るような事か?」

「血の繋がりなど関係ない」泰牙ははっきりとした口調で断じる。「武器を取って怪恨と戦う以上、俺達は仲間だ。そこに本家と分家、非正規の区別はない。故に仲間を討った貴様にかける慈悲はない!」

 善討槍に纏わり付くように紫電が発生し、葉月ほどではないが、泰牙の力が膨れ上がっていくのを感じる。そして刹那の溜めから一気に攻勢に出る。

「——貫け! 『邪龍突牙(じゃりゅうとつが)』!」

「うらあッ!」

 泰牙から放たれる神速の刺突と遠藤の斬撃。野良滅恨士の男は、「ちッ!」と苦い顔を浮かべて回避行動に移ろうとする。だが泰牙の攻撃の軌道を先読みしていた遠藤が逃げ道を塞ぐように攻撃していたために八方塞がりに陥る。さらにニューナンブM60の銃口を向けつつ距離を詰めてきていた武田がゼロ距離で発砲。下級怪恨を重ねて防御する男だったが、まともに防げたのは通常武器による攻撃だけ。泰牙の滅恨術を乗せた善討槍が肉の装甲を紙屑のように引き裂き、野良滅恨士の脇腹を浅く削った。「ぐッ……!」と男が呻く。

 膝をついた野良滅恨士へ向けてPDWの銃口を突き付け、四十沢が言う。「お前が何者かは知らないが、襲撃を仕掛けるタイミングはもう少し考えるべきだったな。俺達でさえ簡単に仕留められる怪恨程度で、本職の滅恨士達に挑む事自体が間違いだ」

「ははっ……酷い言われようだな。こっちはせっかく間抜けなお前らのために、間違いを訂正してやろうと思って来たのによ」

「何だと?」

 野良滅恨士は顔中から脂汗を流しながらも、不敵な笑みを崩さないまま、「分家の当主さんよ、あんた、強力な怪恨が現れ出したのは俺のせいって言ってたよな?」と泰牙を見やった。「笑わせるなよ。俺程度の力でバカスカ強い怪恨操れる訳ねえだろうが。やるなら入念に準備して確実に一体だけを動かす」

「……! まさか……!?」

 泰牙の眉がぴくりと動く。他の滅恨士達も心当たりがあるようで、皆一様にざわつき始める。

「『怪恨の凶暴性を増幅させ、広範囲に多大な被害を撒き散らす怪恨』……俺は『終末(しゅうまつ)回廊(かいろう)』を起こしてやったのさ」

「馬鹿言わないで! あれは災害級の怪恨よ! そんな簡単に操るなんて事……!」

 紗耶が狼狽して男に突っ掛かったが、「違う……操ってはいない」と葉月が訂正した。「この人は『起こした』と言っただけ……」

「その通りだ。俺がどんなに時間かけて準備しようが、あのレベルの怪恨を完全に制御下に置くなんて事到底できはしない。現に『終末の回廊』の影響にしては、怪恨共の狂暴化度合いもまだまだ大した事ないだろ? 『終末の回廊』は本調子じゃない。奴が眠っていたところを無理矢理起こしただけだからな。こいつが完全に覚醒するのはあと数十年は先だろうが、それでも十分過ぎるほどの脅威にはなる」

 男はゆっくりと立ち上がり、自身よりも数段上の使い手達を見下すように見据える。

「信じたくないのなら信じなくても良い。だが『終末の回廊』はここからの三日間で徐々に覚醒し、本調子の一割程度の力は出せるようになるはずだ。それが何を意味するか……本家と分家の連中なら簡単に想像できるだろ」

「テメエの目的は何だ?」何も知らない武田が問い掛ける。「テメエらが殺す対象であるはずの怪恨まで利用して、一体何をしようとしてやがんだ」

「霞沢一強体制の終焉」と男が嬉々とした様子で答える。「たとえ『終末の回廊』が猛威を振るったとしても、この国が滅亡しちまうほどじゃない。けど少なくとも霞沢側は壊滅的な被害を受ける事になる。それ自体が俺の目的だ。だから最終的に『終末の回廊』が討伐されようが、目標の被害規模を達成できればそれで俺の勝ちなんだよ」

 男の周りに次々と下級怪恨が集まっていく。

「俺は伊庭。数千年続く霞沢の歴史を終わらせる異端者の名だ。良く覚えておけ」

 野良滅恨士——自らを伊庭と名乗った男は、大量の下級怪恨を盾にして後退していく。もちろん、それをみすみす見逃す遠藤達ではない。

「お前の目的が何であろうが関係ねえ。ここで取っ捕まえちまえば終わりだろうが!」と日本刀片手に伊庭へと迫っていく。

 他の滅恨士達もそれに続くが、「いいや、俺は今回逃げ切れる。そう決まってるんだよ」と伊庭は余裕の表情で手を背後にかざした。直後、伊庭の真後ろにブラックホール状の門が形作られた。「——せいぜい足掻け。そして自分達の無能さを噛み締めながら没落していけよ」

「……ッ! 待ちやがれ!」一足先に伊庭の元へと駆け寄った遠藤が刀を振り下ろしたが、すでに標的の姿はなくなっていた。閉じつつある門の奥から伊庭の笑い声が洩れてくるだけだった。

 遠藤は前歯を噛み締め、ホール内の床に転がった非正規滅恨士の亡骸を見やった。

「……くそッたれが」

 情報を得る事には成功した。

 しかし、その真偽さえ定かではなく、こちらは早々に一人が犠牲となった。

 これが等価交換だったなどとは口が裂けても言えないだろう。

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