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 遠藤(えんどう)は別にサラリーマンという訳ではないので、普段から特に時間に縛られて動く事はない。とはいえ毎日遅くまで寝ている訳にもいかないので、申し訳程度にスマートフォンのアラームくらいはセットしている。そして今日からはそのアラームすら解除した。そもそも二週間に渡って、仕事をする必要がなくなったからだ。

 インスタント無職と化した遠藤は半開きの状態の目で、不機嫌そのものといった表情をしていた。和室に置かれた時計が指す時刻は朝の四時過ぎ。普段ですら、まだ夢の中な時間だった。

 布団を引っぺがされ、薄い浴衣のまま肌寒い空気に晒される遠藤。その目の前にはグレーのパーカーワンピ姿の少女。手に持っているのは遠藤の寝床から奪った布団。

 髪型も整え、体からうっすらとシャンプーの良い匂いが漂ってくるくらいには人前に出る準備万全の葉月(はづき)は、「おはようございます! 稽古、行きましょう?」と満面の笑みで促してくる。

 髪の毛ボサボサで無精髭生やした寝起きの二四歳は、「……もしかして、毎日これ?」と半分呂律の回っていない口で訊く。

「だって昼間は学校ですし、夕方からは家の手伝いもありますし。ちゃんと稽古に当てれる時間って、朝しかないんですよ」

「それはテメエの都合だろが。ていうか俺が金沢いる間の護衛って話と矛盾しまくるじゃねえか。どこで守る気だったんだ」

「まあまあ、細かい事は気にしたら駄目ですよ?」

「俺の命が懸かってるって言ってんだよ」

 そのままもう一度布団に倒れ込みそうになる遠藤だったが、そうは問屋が卸さない。若さのエネルギー溢れる中学生にズルズルと引きずられながら連行されていく。



 頭が冴えてくるに従い、「さすがにこのまま外に出るのは不味いのでは?」と思い直した遠藤は葉月の拘束から逃れ、いったん部屋へ戻った。とりあえず持参した電動シェーバーで髭を剃り、シャツとチノパンに着替えた遠藤はダウンジャケットを抱えて久穏荘の自動ドアを潜り抜ける。外には鞄を抱えた葉月が待っていた。昨日、彼女と出会った時にも持っていたものなので、通学用の鞄なのだろう。

「制服は?」

「この中です。稽古終わりに着替えようかと思いまして」と葉月は膨らんだ鞄をポンポンと叩く。

「しかし寒いなおい……」遠藤は我慢ならずダウンジャケットに袖を通す。「雪でも降りそうだ」

「この時期ですし、今週か来週のどこかでは降ると思いますよ」

「堪んねえな。大阪で暮らしてたんじゃ、こんな寒さとは無縁だからな」

 葉月と並んで人気のない温泉街を歩く。寒気がこの場所にだけ停滞しているのかと思うほどにキツい。道の端に等間隔に並べられたガス灯のようなデザインの街灯がうっすらと暗闇を照らしている。淡い光に照らされた場所が少し暖かそうに見えた。

「でだ。稽古っつってもどこでやるんだ? ここから連れ出したって事は、旅館の中にそういうところがある訳じゃないんだろ」

「はい」と葉月が肯定する。「人目につかず稽古に打ち込める修練場があります。こっちです、着いてきてください」

 そう言って、久穏荘の出入口から見て右手にある駐車場を突っ切っていく。遠藤もそれに続く。駐車場の奥には整備のされていない坂が待ち受けていた。おそらくは徒歩のみでの侵入しか想定していないのだろう。葉のない木々が乱立する坂道を上っていく。ある地点を境に街灯の明かりが一切届かなくなると、葉月は鞄の中から懐中電灯を取り出して点灯する。かなり明るいモデルのようで、数メートル先までしっかりと照らされる。

「踏み外したら危ないので、私から離れないでくださいね」

 緩やかな勾配の道をしばらく歩くと、大きな湖が見えてきた。この場だけはまばらに街灯が立ち並び、少しだけ視界が開けている。

「へえ……山奥だと思ってたが、こんなところもあるんだな」

 遠藤が興味深げに言うと、葉月はにこやかに笑って——

「晴れてる時は凄く綺麗に見えますよ。この辺りまでなら許可なしで入れますので、また昼間にでも来てみてください」

 さらに後を着いていくと、再び坂に差し掛かる。先ほどよりも勾配が急で、道の状態も悪い。

「まさかとは思うが、毎日この道通って修練場まで行ってんのか?」

「慣れたら何て事ないですよー」

「おっかねえ……」

「さすがに雪が積もってる時は諦めますけどね……。雨が降ってるくらいなら全然問題なく行きますよ」

 これが若さという奴か、ともうすぐアラサーに差し掛かる遠藤は嘆息する。

 しばらく進んでいくと再び開けた場所に出た。先ほどの湖ほど広くはなかったが、そこには小さな和風家屋が(そび)えたっていた。玄関らしきものはなく、縁側の奥に襖が見える。

「今日は誰もいなさそうですね。さ、遠藤さんも上がってください」

「今日は……って、ここ他にも来る奴がいんのか?」

 遠藤が目を丸くして問うと、葉月は頷いて——

「御影温泉にいる滅恨士は私だけじゃないですからね。本家の私以外にも、分家の方々が来る事がありますよ」

 そこで遠藤は思い出す。「そう、それだよ! 結局、昨日何にも聞けてねえんだよ! 滅恨士ってのは何なんだ! 怪恨って化け物についても教えろ! ここにいたら、また奴らに襲われるかもしれねえんだからよ!」

「それなら……」葉月は軽快な動きで縁側に上がり、襖を開けて屋内に入っていく。と思えば、すぐに戻ってくる。彼女の手には二振りの竹刀があった。その内の一本を遠藤に投げ渡してくる。「稽古しながら話しましょう。たぶん言葉だけで説明するより、その方が早いですから」

「……上等だ」遠藤も靴を脱いで修練場に上がり込む。板張りの床が氷のように冷たかったが気にしなかった。ダウンジャケットを脱いで竹刀を構える。「防具は付けなくて良いのか? 学校行く前に怪我するぜ」

「問題ありません」葉月も好戦的な笑みを見せ、「この修練場の中において、私達が傷を負う事はないので」と臨戦体勢を取る。「滅恨術の一端を見せてあげます。だから……遠藤さんも、その技術の全てを私に見せてください」

「言われなくてもそのつもりだぜ!」竹刀を中段に構えた状態で、葉月へと突っかけていく。華奢な体へと渾身の力で打ち込む打撃——と見せかけた逆サイドからの回し蹴り。とっさにそちらをガードするために竹刀を掲げた瞬間を縫って、さらに踏み込む。

「……っ! 二重のフェイント……!?」

「まだまだ序の口だぜ」

 遠藤は右手に持った竹刀の柄で葉月のみぞおちを狙い、握り締めた左拳で顔面を狙う。選べない選択肢を押し付けられた葉月の判断が一手遅れる。ゴゴッ!! という鈍い音が重なった。少女の矮躯(わいく)がのけ反り、遠藤は様子見のためにバックステップで距離を取った。

「どうだ? 剣術ってのは馬鹿正直に剣に頼るだけじゃねえ。武器の攻撃力が高ければ、それだけで『他』が生きる。斬撃で相手の行動を制限して、今みたいに体術で畳み掛ける事もできる訳だ」

「勉強に……なります……!」体勢を立て直した葉月の顔には痣一つ見当たらなかった。表情から鑑みるに痛みも特に感じていないようだった。

 ——こいつを殴った左手も何も感じねえ。

 ――痛覚とダメージが両方ゼロになってる感じか。

「これも術の効果って奴か?」

「その通りです。この修練場の中に限っては、互いに負傷する事がありません。だから全力で戦っても大丈夫なんです」

「そいつは良い」

「次はこちらの番ですよ!」葉月は竹刀を持っていない方の手を前にかざす。

 遠藤はすぐに行動の意味を把握。昨夜、葉月がダーマーに使った技だ。それを裏付けるかのように葉月の周囲に氷の刃が生成されていき、彼女を中心として周辺の温度が一気に冷え込む。

「——穿て! 『凍閃華(とうせんか)』!」葉月が腕を払うと、それを合図に刃が射出。

 遠藤は身を屈めながら再び接近。自身を狙う凶刃を紙一重で躱し、直撃コース一直線のものを竹刀で弾き飛ばした。竹刀のリーチ内まで接敵し、今度こそ刀身ど真ん中をぶち当てるように振り下ろす。葉月の方も水からの得物で迎え撃ち、鍔競り合いに持ち込む。

「昨日も使ったそれが滅恨術とやらで良いんだよな……!?」

「ええ……! 術者本人の生命力を触媒として放つのが滅恨術……! この滅恨術は怪恨に対する特効性を持ちます……!」

 ガンッ! と遠藤が竹刀を薙ぎ払い、距離を離す。葉月の滅恨術を誘いながら、反撃に即応できる間合いで攻め立てる。

「俺がダーマーの野郎に致命傷を与えられなかったのもそのせいか!?」

「その通りです! 通常の武器では全く歯が立たないとは言いませんが、自己修復能力を持つ怪恨とは滅法相性が悪いですね! 再生能力がなく、実体のある怪恨ならば、遠藤さんの腕を持ってすれば倒せるはずです!」

「ずいぶんと買い被られたもんだぜ! こちとら地元じゃ単なる有象無象だってのによ!」

 攻め切れない事に我慢の糸が切れたのか、葉月が踏み込んでくる。流麗な動きから繰り出される、逃げ道を塞ぐような連撃。遠藤は腰を据え、全ての攻撃を直撃寸前で捌いていく。最後の一撃——遠心力を乗せた右回転斬りを逆方向の力を加えたパリングで相殺し、返す刀で左の正拳突をお見舞いする。鈍い衝撃。たたらを踏む葉月。してやられたように見せている葉月の左手が不穏な動きをしているのを遠藤は見逃さない。

 ——分かってるぜ。させねえよ!

 直後に遠藤の頭上から八本の氷柱が降り注ぐ。対象の周囲をピンポイントで氷柱によって囲み、動きを阻害する技。葉月が『凍獄樹(とうごくじゅ)』と呼んでいた滅恨術だ。

 遠藤の周りに先端の尖った氷柱が突き刺さり、即席の氷の牢獄が建造される。こちらからはまともに身動きが取れなくなる。しかし——

 ——このあとの動きさえ分かっていれば問題ねえ。

 ——この状態でも上か下かには動けるんだからよ!

 とっさに頭を下げる。すぐに真上から風斬り音と氷柱が砕き割られる音が鳴り渡った。攻撃が不発に終わった事に驚嘆する葉月の顎めがけて竹刀の先端を突き込む。彼女が後方に吹っ飛ばされた隙にサイズダウンした氷柱を越えて牢獄から脱出する。

「攻撃がワンパターン過ぎんぞ! 詰めも甘めえ! 動きを止めたんなら殺し切れ! 逃がさない方法を一瞬で考えろ!」

「はい!」

 剣を交えながらの互いへのレクチャーはまだしばらく続く。


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