ポイント
あっ、とシフィルが素っ頓狂な声を上げた。
「ダメです! こんな外にいたら! あんなに光って目立っちゃ、奴らに見つかります! 本当に、何考えているんですか⁉ 今すぐ、室内に隠れてください!」
「お、おう」
少女に背中を押されて、ディルビアールは元の屋内へと戻る。それと一緒に、さも当然かのように野次馬たちが入ってきたが、やはり無理があったので何人かは泣く泣く帰ることになった。
ディルビアールが部屋の中央に座ると、話はまた動き出す。
「まず、俺は世界の敵などでは断じてない。定義的には天界にいない場合は『堕天使』ってことになってるが、俺はお前らをたぶらかして悪の道に進ませようなんて気はない!」
彼は高らかに言った。
「考えてみろ。俺が神々に逆らったとすると、俺はこの場にいるはずがない。
あの方々だったら『上』で俺を木端微塵にして終わりにするだろ。
わざわざ簡単に干渉できない下界に落とすわけがない」
彼の言い分には、村人たちを納得させるだけの筋が通っていた。彼らは皆、「神々は絶対だ」という考えが根底にあるからだ。
しかし、その考えとディルビアールの主張の一つの食い違いが、村人たちの動揺を招いた。
「ええ! じゃあ神様に祈るってのは意味ないじゃないか!」
村人の一人が言うと、同意する声が続いた。そう、神々は下界に直接関与できない、というのが村人たちの「神々は全能」という常識に当てはまっていなかったのである。
(しまった! 疑いを晴らすのに必死になりすぎて、変なこと漏らしちまった)
ディルビアールは自分の失敗に気づくと、深く後悔する。
「……まぁ、そのために俺たち天使がいるんだけどな。人間の祈りに、神の使いとして答えているってわけ」
そう弁明すると、ざわめきはいくらか収まった。
ディルビアールは嘘をついているわけではなかった。ただ、村人たちの信仰や信念を潰さないように、頭を少し働かせて、いくつかの事柄を隠しただけである。
神々は、彼らの大事な箱庭たちがどれほど繊細かを理解しており、それゆえに触れることができない。
そのため彼らは自身よりも低次元な存在である天使を作り出し、間接的に調整を行っていた。
……だが、その天使が下界に降りるというのも、とてつもなく稀なことである。
いくら神と比べて低次元な存在とはいえ、下界に与える影響は甚大。同時に複数体降りることや、頻繁に出入りすることは下界の崩壊に直結する。
そのため、天使は数百年に一度、一体だけ降りるというのが通例であった。
つまり、人々の願いに答えることは、ほとんどない。
(こいつら結構信仰とかに熱心らしいけど、全部知ったらどうなっちまうんだろうな)
そう、自分の犯しかけた罪にゾクリとするディルビアール。そんな彼を置いて、村人たちは安堵のため息をついた。
「なるほど! 天国にも色々事情があるってことね!」
誰かが言ったことに、皆がかぶりを振った。
「……そういうわけで、俺は世界の敵でも、悪魔の手先でもないってこと」
村人たちは得心がいったというような顔をしている。クワも持った男だけは違ったが。
ディルビアールは直前の失敗を振り切るかのように、次に進む。
「次は右手のこれについて。これが、俺がここに落とされた理由だ。一言でいうと計測器だな」
天使はブレスレットを左手の指ではじく。
「計測機?」
シフィルは首を傾げた。
「でも、それさっき光っていましたよね? 光る計測器なんて、見たことがないです」
「ああ、計測値が変化した時の知らせみたいなもんだ」
「……なるほど。それで、一体それは何を計測するのですか?」
たっぷり間をとって、ディルビアールは答える。
「これはな、『善行ポイント』を計測しているんだ」
「『ぜんこうぽいんと』?」
聞きなれない単語をシフィルは気の抜けた声で復唱した。村人たちも頭の中で疑問符を浮かばせている。
「善行ポイントってのは、そのまんまの意味だ。いい事したら増える。アテネ様……神様はそれを一定数集めれば俺は天使に戻れると言っていた」
「……そんな曖昧な」
「そう、信じられないくらいはっきりしない条件だろ。『いい事』が具体的に何なのかも言われてない。そして残念ながらそれがアテネ様から頂いた使命だ。終わるまで俺は帰れない」
あまりにも突拍子もない話に、その場にいた者たちは言葉を失っていた。絶大で、神聖な力を持った天使が、神からの命令で奉仕活動に打ち込む姿など、シュールすぎる。
「俺だって、ふざけてるって思うぜ。冗談にしちゃ最悪だ。……笑うなら笑えよ」
ディルビアールは苦虫を噛み潰したような顔で言う。これで誰も笑わなければ格好もついたのだろうが
「プッ」
シフィルが噴き出したのを皮切りに、爆笑が起こった。
「……まぁ、見てろよ。『上』に戻るのもそう遠くない。俺はもうこの任務の鍵を見つけた」
天使は笑いをかき消すかのように声を張り上げて言う。
「それがシフィル、アンタだ」
「え?」
目を丸くさせるシフィル。それに構わずにディルビアールは言葉を繋げる。
「善悪の基準なんて曖昧で、ぶれやすい。だからポイントが入るまでしばらくは調査が必要、と俺は思っていた。だが俺は下界に降りたその場所で、アンタに出会ってポイントを得た」
ディルビアールは右手首を天井に向けて突き出す。すると、ブレスレットから白い文字が浮き出した。確かにそれは、数字の100を表していた。
「これは偶然じゃない。俺は確信した。アテネ様は何らかの意図があって俺をここに送り込んだ。
それが何かは分からないが、俺はアンタと一緒にいた方がいいっていうのは確かみたいだぜ」
ディルビアールの口はそこで止まらなかった。
「俺のことはこれで全部だ。それで、そろそろいいんじゃないか。今度はアンタらの番だぜ。
色々気になってることもあるんだ。
俺の聞いている限りだと、ここまで貧しく攻撃的な村なんてそうそうない。
それにシフィル、アンタは俺の翼に触れただけでその本質を理解した。
アンタとこの村、一体何なんだ?」
いつの間にか笑いは消え、緊迫した空気が部屋を包む。
――少しして、シフィルがゆっくりと口を開けた。
「わかりました。私は貴方を信じることにします。全て、お話ししましょう」
つづく