ソナー②
おおよそ八年前、世界は他の世界とまじったらしい。多くの人は気がついたのに気がつかなかった。通信がライフラインが壊れなかったように見えたから。日常にちょっとだけ誤差が生じても実質的な不便不足がなければなんとなく暮らしていくような生活圏だった。適度に周囲に関心を持ち適度に無関心。そんな時代だった。
新しい隣人よりほんとうの隣人の方が得体が知れない不審者だったのかもしれない。
なにか変わったということに気がつかないわけじゃなかったけれど、それはすぐ身近な日常に変わっていった。子供だったからの馴染みのはやさなのか、大人によって多くの危険から遠ざけれられていた無謀さなのかはよくわからないけど。
つまりあの騒動変動真っ只中でも圏外とかなかったんだけどなぁ。
圏外!
ついなんども見直してしまう。
「圏外」
はじめてだ。
『失礼。タマキ。圏外なの……せっまぁいっ!』
おれと一時契約している聖槍ソナーが吠えた。ソナーは人具現化した時身長三メートルをこえる巨人娘(サイズ変更不可)である。
部屋が狭いから出てくんな。
とりあえず、必需品はあったのでソナーと話し合うために空の下に出ようとしてやめた。
さっきまで青空と穏やかな波だったはずなのにどしゃ降りだったから。豪雨の中ソナーがあらためて人型具現化する。具現化すれば会話は可能なんだから武器具現化でいいと思うんだけどなぁ。おれはもちろん濡れない屋根の下にいる。それでも風に嬲られた水滴でじわじわ濡れていく。
『圏外な理由はリンク圏外に出たからですわ!』
甲板を打ち洗う豪雨にも関わらずソナーの声を聞き取ることに阻害はない。
「リンク圏外?」
圏外だから圏外という主張を聞いた気がする。理解できるが理解できない。きっとおれは不審そうな表情だったんだろう。
ソナーが少したじろぐ様子をみせた後ググッと胸をそらして主張をはじめる。
『タマキの行動範囲には魔力のしるべが配置されていましたから、わたくしがそこからのデータを受け取り蓄積し流用できたのです!』
「つまりソナーが携帯の電波だったと」
わかるようなイマイチ要領を捕まえられないような。落としどころかと納得しようとしたらソナーがまじまじと見下ろしてきた。百センチ以上上から。
『違いますわ。タマキのオトウサマが仕込んだしるべの楔にタマキの魔力を少し流して情報を読み取ってモニターに反映しているだけですもの』
にこにことソナーが笑う。
『この周辺にはしるべがないので一切の情報が取得できないだけです!』
天候に似合わない爽やかな笑顔と言葉におれは茫然と立ち尽くした。ほら、わかりやすい説明でしょうと言わんばかりの表情を裏切るのが心苦しい。
母ラブということ以外よくわからない父親から受け継いだソナー。八年前から一緒にいる。実際にはおれが生まれた時からおれの血の中で眠っていたらしいし、おれの血を引く男子をだれかが孕ればソナーはその子供に移る。
つまり期間限定のおれの契約隣人なのだ。それでもその信頼信用知識判断基準はいまだにおれより父にかかっている。
「タマキだー、おはよー」
後ろからの声におれは笑顔をはりつけて振り返る。
「はよ。ミコト、誕生日おめでとう」
手首でしゃらんとソナーが鳴る。他人の気配に具現化を解いたのだ。相変わらず素早い。
「ありがとー。起きたら船上ってひどいよなー」
笑ってるけれど、その表情はどこか不満そうだ。家族に祝われない誕生日に慣れてないからかなと思う。家族愛強いからなぁ。いってきますも言えなかったと拗ねているんだろうな。
ウチみたいに年の近い甥がいるわけでなく、ムサシんとこのようにふたつ下なだけな兄の孫がいるわけでもないしな。
「ミコト、タマキ、朝食にしよう。状況も打ち合わせたいし」
「あ。ムサシもいたんだ!」
さびしさが少し紛れたのかにこにこしてる。
で、ミコトとムサシの端末は情報を拾っていた。なんかその差が悔しい。
朝からクリームで飾られたパンケーキなんて甘めの食事は少々重いけどミコトにおめでとうを言いながら今後を話し合う。まぁ『冒険の旅』には出るつもりだったし。というか、おれだけ情報拾えないのマズいだろ。今まで大丈夫だったのは父親がおれが生まれるまでに移動して『しるべ』と呼ばれる楔を撒いてきたからだなんて想定外過ぎる。
契約隣人の存在で携帯端末が圏外にならない説を二人に話すと二人ともちょっと黙ってから頷いた。それぞれの隣人に確認したらしい。
おれ、ソナーとは具現化してもらわないと会話できないからそこも羨ましい。じっとソナーのもうひとつのカタチである腕輪を見つめてみる。当然ながら無反応だ。
「スティミアが取得した情報を端末を通して僕に伝えてくれてたらしいよ。直は負担が重いんだって」
言いながら嬉しそうにパンケーキを頬張る。
隣人の気遣いが嬉しいんだな。知ってる。ミコトはそういう奴だ。ところで朝から思ってたんだけど、左目が人間してないぞ。指摘するとそわそわしたから鏡見てこいと促したら食事の中座を気にしつつも駆けていった。どんだけだ。
「圏外は少し困ったね」
ムサシが抹茶ミルクを飲みながらパンケーキにジャムを足す。足すのか。いや、なんでもないと頭を振る。気にすんな。
「しるべってなにかわかんねーし、おれの隣人はどこまで答える気があるかもわからないしな」
てか、アイツ理解しているかどうかもあやしい気がするしなぁ。
「一応、こっちで検索かけてみるけどあんまり期待しないよーに。自分の契約隣人に聞くのが本当は一番いいはずだしね」
えー。あの反応的にあてにならなさそうだったけどなー。
ちりん
小さな音におれとムサシの視線がおれの手首、ソナーに集まる。不思議そうなムサシにウンザリしたおれ。
つーか、ここ海上だぞ?
こんなところに死霊系討伐対象?
強引に動かれるよりは自分から行動は開始しておかないとあとあとキツイ。
「ちょっと出てくる〜」
「雨だぞ?」
「知ってる」
甲板は雨で濡れすごく滑りやすそうだ。
おれ自身は外に出るという行為にすごく抵抗がある。
先行する手がおれを外にと連れ出す。
叩きつけてくるような雨が痛い。
「はっ!? 馬鹿か!? 出てくんな。ガキ!」
『聖槍ソナー参ります!』
腕環になっていたソナーが武器具現する。
ああ、もう。参りますじゃねーよ。参りますじゃ。
おれの身長よりずっと長い槍。おれ二人分とは言わないが近い長さ。ひらひらと飾られた布紐が雨をものともせずはためく。
「お、おう。戦力かよ。気ぃつけろよ」
……おっさん。一度は怒鳴ってくれたのにあっさり納得しないで。おれは戦いを苦手とするモノだから戦闘法は基本ソナーが誘導する。ソナーを握りながら振り回される体への負担を少しでも軽くなるように受け流す感じで動くのみだ。
雨音波音に紛れて海から船に上がって来ようとする命なき隣人達の物音はない。薄暗い中、濡れた輪郭がじわりと闇をまとって浮き上がっているように見える。てらりと自発光するソナーの光を照り返しているのでぶよりとむくんだ体型もフジツボまじりの骨格もよくわかる。
「こら! ガキ! ちゃんと見ろ! シロートか!」
おっさんがよくわからない武器をもって敵性隣人たちを弾き飛ばす。
おれはシロートですともー。
『破邪陰滅』
ソナーの発する浄化呪文がきこえる。
「鍛えろ。武器任せにすんな。死ぬ気で鍛えろ」
目をさますと操船担当だと自己紹介してきたおっさんに殴られた。暴力反対。
破邪陰滅で海上から敵性隣人は失せたが、それは安全になるとはイコールではない以上全力を使いきる大技を武器任せの発動は死を招くという話というか、今まで誰もなにも言われなかったのかと懇々と説教された。
気を失うような大技は滅多に使わないし、使っても気がつけば自分の部屋で目を覚ましてきていた。そんな話をすれば「武器が運んでいたのか」と納得したようだった。が、数秒の沈黙の後、「ムサシの坊ちゃんから聞いた情報とあわせると今後それじゃダメだろ!」とより怒られた。
オフライン。周囲の情報を得れないということは避難できないということだろうと言われてそう言えばそうかと気がついた。
おれが驚いたりするよりおっさんが過剰反応してくれていたのでおれは比較的落ち着いていられた。
ただそのあとは意識を失ったおれは海に放り出されるところだったらしいよとムサシに苦笑いされるし、海を渡る旅になったのは自分のせいだとオタつくミコトに謝られまくるわで疲れた。
その日の昼からおっさんに足腰を鍛えろと船の掃除を命じられた。
クソだるいと断る前にミコトがうきうきと参加するものだからけっきょく強制的にするハメになった。ムサシも操船マニュアル読みながら掃除していたようだし。で、途中ちょっとハードなチャンバラごっこがまざった。
デッキブラシはソナーより短くてソナーより重い。障害物を避けながらどれだけ早く掃除をできるかなと言われてはじめた。見本は早々にミコトだ。
「家の掃除があるからさぁ」
慣れてる慣れてると笑うミコトは頼もしい。
「でも、ちょっと目測がズレてるから調整手伝ってくれる?」
「ズレてる?」
「うん。スティミアの目をうまく使えてないんだと思う」
金属光沢を感じさせる片目を指してよろしくとデッキブラシで襲ってきた。
受けようとして足が滑る。
つい目を閉じかけたおれにおっさんの声が飛んできた。
「しゃんと目ぇあけて回避しろ!」
慌てて目をあけると手すりが見えた。たたらを踏んで手すりをつかもうと手を伸ばす。爪の先が金属を掠って滑る。
おれの明日はどっちだ!?




