スティミア②
世界は変わったけれど社会はあんまり変わらなかった。大人たちは「昔とはやっぱり違うな」というけれど、僕や同年代の友達の間ではそれこそが普通で変わったと言われてもわからないだけなのかもしれない。
人でないモノも魔法も不思議も見たこともない技術もまじってしまった僕らの世界。
「スティミア! 今の僕のエナジー量ならどのくらい飛べる?」
スティミアが飛ぶのに必要なエナジーを僕が供給できればこの大空を僕は飛べる。そう、自由に。
僕はどう生きたいのだろう。小さな頃から、スティミアと出会う前から青い世界を欲している。
青い海を。青い空を。潜りたいし、飛びたいのだ。ただひたすらに。なにになりたいのかわからない。僕は未来なんて見えず、ただ青に添っていたい。
『起動がやっとカナ。まだ十五ダロ』
「ギムキョーイクは済ませたし、あとちょっとだし!」
ふくれっ面の僕をスティミアが笑う。
僕の家はほんの少しだけ陸からはなれた場所にある。元はちゃんと地続きだったんだけど、切りはなされたのだとか。配管とか送電線とかがどうなっているのかわからないけれど何故か不具合はない。
うまくいく部分もうまくいかない部分もたくさんある。それでも時間は止まらないし、巻き戻らない。
学校の授業は新隣人とのつきあい方も含まれている。そろそろ八年なので新なのかどうかは疑問だけど多様さとわからなさは変わっていないのかも知れない。
あまり遠い情報は届きにくくなった。なんて事のない情報はSNSを賑わすけれど、国政の情報は表に出難くどうなっているのかわからない。
一般庶民の多くはライフラインと娯楽がそれとなく充実していればあまり疑問を抱かないんだろうとは友人談だ。
自分が困っていなかったら他人事だと言われて強くは否定できなかった。
海外への渡航は意思疎通のできない新しい隣人の影響でほぼ不可になっている。スティミアのような隣人と仲良くなった個人が国や企業の依頼を受けて世界を飛ぶ。時おり放送される彼らの姿に憧れてしまう。
ただ僕はスティミアと一緒にどこかに就職とか公務員になるとか考えていなくて自由がいいとスティミアと言い合っていた。
そんな日常。
教室の照明が急に明滅を始めた。雑談に興じる休み時間に不穏な空気が流れてくる。
理不尽な新隣人の迷いこむような襲撃は時々起こる。その影響で照明に影響が出たのかとひと呼吸おいた教室でぼやきと不満の声が上がりはじめていく。
幼馴染みな友人二人がどこか警戒するように寄ってくる。隣人が襲撃に来たのなら学校や自治体が準備している防衛ラインを突破してくる可能性は低くないはずだから。まさに隣人によるし、襲撃と決まったわけでもない。
「大事なものは確保しとけよ」
そう言ってくる友人の手には念のためとナップサックがぶら下がっている。移動時に両手をあけれるのは大事らしい。
僕の必要なもの。移動時用の水分とカロリー。あとはスティミア。これははずれてなければ大丈夫。
鬱陶しい照明の明滅が続き、いっそ消そうと言う生徒も動き出す。
「おいっ」
パリン。
そんな軽い破裂音とともに砕けたガラス片が降ってきた。
荒い呼び声とともに椅子から引き落とされた僕は机のむこうで散らばる細かなガラス片を見ていた。
「あっぶね。怪我ないな」
友人の声に頷きつつ、僕は気が急いて仕方がない。ひとつ下の妹は中等部にいるのだ。あの子も隣人とお友達らしいがあの子自身は体が弱く激しい運動もできない。避難時にはそばにいてやりたい。
友人二人はわかってるとばかりに出入り口まで誘導してくれる。その間に他のクラスメートに気遣う姿は偉いなときっと後で思うんだ。
「妹ちゃん心配はわかったからちょっと待て。ちゃんと行くから!」
そう言った友人がクラスの何人かに「そういう事ですから」と告げていた。
クラス単位で点呼を取った時所在不明は良くないからと階段を駆け下りながら言われた。僕は聞き流しながら一気に飛び降りたくて仕方なかった。スティミアの補助があれば三階からだろうと安全に飛び降りれるはずだった。
渡り廊下を駆ければ中等部だった。
「お兄ちゃん?」
どうしてかそこに立っていた妹が不思議そうに髪を揺らした。
「大丈夫か。気分悪くなってないか?」
「うん。大丈夫。お兄ちゃんは集団行動を乱しちゃダメなのよ? 私は保健室からの移動なんだからね?」
駆け寄る僕に怒ってみせる妹がかわいい。なによりも無事で良かった。
「もう。聞いてないんだから!」
妹の無事を確認していると腕時計がキィンっと甲高い警戒音を発した。
『上へ上ガレ』
スティミアの声が聞こえる。
「月華」
僕は妹を呼んで抱え上げる。多分、妹は同年代の同性に比べてずっと軽い。
「あんまり目立たない方がいいって」
僕の首にぎゅっと抱きついている妹が言う。たぶん妹の意見というよりかは妹の隣人が教えてくれてるんだろう。
高等部の方で閃光がはしった。
「先輩のうち何人かが襲撃者に反撃したらしい」
そう言って僕が放り出した荷物を回収してくれていた友人が教えてくれる。
「どうも隣人との契約をしている人間のあぶり出し要素もありそうでいやだな。強制就職は情報不足の世の中で旨味が薄い」
隣人との契約は申告推奨だけど現状は自己申告だ。無自覚だったりすることもあるし強制管理するほどの処理能力がまだ社会にないからだと言われている。
見上げた空は黒い雲が広がりじわりと湿気が強い。
「兄さんが雨雲を呼んだから。月華にコートかぶせて」
ジャージ姿で妹の影のようにいる少女が防水コートを差し出してくる。かぶせて体調が大丈夫そうか確認してスティミアの指示通り上へむけて床を蹴った。
屋上にはすぐに着いた。友人達もトレバーもすぐに追いついてくる。
いつかお互いの契約している隣人について語り合いたいななどと思ったりもする。
雨はまだ降り出してはいない。
「ミコト、手を出して」
屋上で一人待っていたらしいお兄さん(トレバーの)が手を差し伸べてくる。
「キミの子にエナジーを足してあげるから、さくっと自宅に帰っちゃうように」
は?
マジで!?
手首(スティミアを付けてる方)を掴まれて上空に向けて軽々と放り投げられた。視界の先は唐突に降り出した雨と閃光爆音が乱舞していて驚かさせられる。
「スティミア」
『……まぁ、不純物がまじったが非常事態だ。飛ぶゾ』
気がつけば操縦席にいた。妹は操縦室らしいこの部屋にいない。
慌てる僕にパネルがひとつ船内の様子らしいものを映し出した。妹と友人達は一緒にいるようでほっとした。
『現状で長時間滞空は不可。帰巣コースをトル』
操縦席に座っているとくらくらと意識が持っていかれそうになる。本当ならスティミアの中をしっかり味わいたいのに。
だから僕は初飛行を覚えていない。
妹と友達は興奮気味に僕の初飛行について話してたのを悔しさ抑えて聞いていた。
急に空から帰って来るなんて驚いたのよと笑う母から飲み物とサンドイッチをもらいながらSNSをチェックする。
襲撃は不意だったが警備機構と学生有志による撃退で大事には至らなかった。という政府(自治体と学校側)の公式発表があったと流れていた。
『先輩が就職しないかと誘われたらしい』
『自衛隊? 警察? 警備会社?』
『強い相手と契約できてると得だよなー』
『いやぁ、対価はいるんだし、お手軽にはなんともさー』
『えー、有力な将来有望株のあぶり出しみたいでヤダー』
『ヤラセかよー』
『でも、先輩達カッコよかったよねー』
雑多な会話を流し見て息を吐く。
確かに襲撃者を警備の人と共に撃退する先輩達の姿はヒーローっぽくてカッコいい。顔が映らないように動画を撮った投稿者にプロみを感じる。こっちもスカウトされんじゃないとか思ってしまう。
「あぶり出しかぁ」
隣人はそれだけで危険という相手から分かり合えて有益な友人まで多く種類がいる。八年の間で相互理解の不足からの致命的不仲な種もいるのだとか。
スティミアは友好的な個体で、僕の方のことも考えてくれている。僕が十六になったら共に生きるかどうかを僕に決めさせるというのだから。スティミアはそれくらい当然だと言うけれど強制でない配慮が嬉しいと思うんだから仕方がない。
「ミコトは対象になるだろうね」
ムサシの言葉に僕はサンドイッチを口に入れたまま視線をあげた。
「客室有りの航空機は単体戦力がなくても使えるってこと。戦力がないとも限らないし、明らかに収納が楽だし」
「問題は起動できないコトだよー」
スティミアに必要エナジーを与えれない限り意味がない。分けてもらって学校から自宅までギリギリ飛行というよりは滑空して力尽きた。サンドイッチを食べる手が止まらない。
「確か、ミコトは十六にやたらこだわってたよねぇ」
「十六になったら正式に契約できるって、それまでは仮契約なんだって言われてんだよ」
オレンジジュース多めのアイスティーが差し出される。飲んでいたらタマキがフライドポテトとチキンを持ってきた。
「たーすーかーるー。すっごい腹減ってるー」
なんだか食べても食べてもお腹が空いている感覚が消えない。エネルギーが不足している。スティミアはまだ反応を返してこない。
「隣人によって燃料になる力の摂取が違うって話だからなぁ。行動だったり血液だったり、生命力そのものだったりで。ミコトの場合、生命力っぽい? 気をつけないとな」
「そーゆーおまえは予想ついてんのかよ」
脅すような言葉に僕はふてくされる。そういえばタマキからは隣人と契約とか聞いたことがない。ムサシもだけど、あいつ絶対なんか居るし。
「期間限定共生と行動条件かなぁ。行動条件にハマると稼働後が筋肉痛でたまんない」
年齢条件はなかったからと笑ってる。
「へぇ」
「もう少し使い勝手が良かったら、おれが物理で撃退しておまえが退避って感じで駆除対象隣人ハンターやれそーだよなー」
けらけら笑ってるタマキに僕も笑う。
「どこまで逃げるんだよ」
「そりゃあもう安全圏までだって。おれ超近接ファイターだもん」
それには瞬発性とか必要なものが多そうで現状を思うと笑うしかできない。
「タマキが敵性とはいえ隣人に攻撃できるとかあんまり想像つかねー」
タマキは基本穏やかな気質だと思っているから。
「まぁ、通常生物風の隣人は無理かな。でもゾンビはイケる。条件行動が死霊撃破で、忌避感ハードル適正化されてるせいもありそうだけど。まー、服が汚れるのは勘弁して欲しいけどな」
会話から感じることはタマキは年齢関係なく隣人との契約で能力がとっくに使えるってコトだろうか。ちょっとだけずるいなって感じてしまう。
「ミコトもゾンビ退治したい?」
「え、やだ!」
接近で腐乱死体とかかなり嫌な感じしかしない。
「落ち着いてきたならおかわりは不要?」
チキンとポテトでようやく落ちついてはきた気がするけど、ムサシが持ってきたトレーの上にはコーンフレークやゼリー、スポンジにアイス、生クリームにチョコスプレーをトッピングしたセルフパフェがのっていて僕を誘惑する。
「甘いものは別腹!」
パフェを食べている途中でスティミアの意識を感じた。スティミアの方もエナジー切れでスリープモードに入っていたらしい。
友達二人と雑談しながらスティミアが静かになにかを計算しているのを感じてる。スティミアが居ることにほっとしてる僕がいる。
「どうやったら提供する力って鍛えられるんだろう?」
空を飛びたい。もちろん意識を持ってモニター越しであれ青を見たい。
確かに飛んだけど意識も飛んでいいわけじゃない。
『本契約で必要エナジーは軽減さレル』
スティミアの解答が意識にまじる。
「少なくとも外部からのエネルギー摂取は有効らしいよな」
ムサシとタマキがにやにや笑う。
「契約中は体重増加と無縁は羨ましいかも?」
「ただ食費がハンパなさそうですね」
「ぐぅ。食費が問題なく稼げなければ何もできないってことか」
「死霊系隣人の撃破は証拠が残ってれば報酬が出たりもするし、依頼を受けてから出向けば報酬確約だけど学業優先してるー」
得意をいかした労働をタマキが主張する。聞いていると生活費を自分で稼いでいるようだった。
「だから、ミコトが飛べるようになれば遠方にも行けるなって期待してるんだ」
少し照れ臭いのか首にかけていたゴーグルをさり気なさを装って装着するんだけど、屋内だから。室内でゴーグルって違和感あるから。照れ隠しっぽいからそっとしとくけど!
それに僕はさ。
「十六、十六になったらきっと飛べるんだ!」