スティミア①
フッと息を吐いて、滑る斜面をスピードを殺しながら目的地へと駆け下りる。
手に持った木刀はあくまで御守り程度のものだ。
「スティミア!」
呼びかければ少し間をおいてから怯えたような声が返ってきた。聞き取りにくくてもっと奥かと不安になる。
『ココ!』
「今行く!」
思ったより声の位置が近くて気持ち安堵する。まだ日差しが届く位置に見えた。
砕けた岩で体を切らないように気をつけながらおりる。ぽっぽっぽっと青白い光が点滅する。
それがスティミアだ。
スティミアは人ではない意思ある物体で八年前からのつきあいだ。
腕時計タイプの端末にスライドひとつでセットできる。
『エナジー切れ起こすカト思った!』
吸収しているのは共生体というパートナーの生体魔力だという。つまり僕がごはんだ。
「勝手に動くからだろー」
ピンと軽くスティミアを弾く。
手のかかる下の弟妹の一人のような人ではない存在。
スティミアを装着すると僕の運動能力がその補助によって跳ね上がる。斜面の上にほんの数跳びで戻れるほどに。
海風が僕らを撫でていく。海向こうに見える街並みはまだ朝の静けさだ。
僕の住んでいる世界は八年前大きな変化があり混乱を含みつつも変わらない生活をおくっている。
十年前の風景写真と今の世界は似ても似つかない。それでも僕らは変わらずに普通に生きている。
父さんは時々出かけてたりするけれど母さんは家に居る。
だから家に帰ると「おかえりなさい」とかろやかに言われ、汚れていることにお風呂への指令を受けるのだ。
ふわりとしたワンピースの上で揺れるエプロン長めの黒髪。優しい物腰。甘いお菓子や美味しい料理の匂い。僕ら兄弟の理想の女性が母さんなのはおかしくないと思うんだ。妹に馬鹿にされるけど。
変化前からある僕の家は海洋環境研究の研究施設でもあってよくわからない水槽やサンプルが保存されてるフロアがあったりする。廃業した水族館跡を改装した建物設備で、レストランエリアとかけっこう流用されているらしい。以前はお店やってたらしいし。どちらかといえば生活エリアがかなり大雑把な改装で済まされていたのが僕が小学校にあがる頃大幅に改善された。それまで子供用個室にエアコンなかったって聞いてるし。
今はエアコンの効いた部屋でくつろげてるんだけどさ。
シャワーを浴びて服を放り込んだ洗濯カゴを洗濯室に運ぶ。途中弟のズボンが見えたからポケットをひっくり返すと貝殻と石とじゃりがこぼれた。全部ビニールの上でひっくり返してじゃりやゴミをとりのぞいた。
ひと呼吸ついて洗濯機に放り込んでスイッチを押す。乾燥まで自動なのだから楽ちんだ。
八年前、空が破れて世界がまじった。
よくわからないけれど、今まで存在しなかった生き物や構造物が僕らの世界にあふれ出した。もしかしたら僕らがそちら側にまじったのかもしれない。
だから、僕はスティミアに会えた。
スティミアは普段薄っぺらい小さなカード。腕時計タイプの携帯端末はスティミアに貰った契約の印だ。
僕は十六になったらスティミアと空を飛ぶのだ。
新しい世界を見て回るんだ。