02――雪とアイドル
雪が新しい学校に通い始めて1週間、女子として初めて経験する学校での生活に苦戦しつつもなんとか溶け込もうと頑張っているみたい。帰ってくるとこういう時はどうすればいいのか、こんな事があって困ったみたいな報告を頼まなくてもしてくれるので、私としては雪の学校生活をまるで見てきたみたいに把握できてるのはありがたいと思っている。
一応女の子の友達もできたみたいだしね。会ってみたいから一度家に連れてくる様に言ってあるけど雪があんまり乗り気じゃないみたいだったから、残念ながら実現するのがいつになるのかはわからないけどどんな子達か楽しみだ。
雪が学校に行ってから、基本的に私は夕方まで自由時間になる。家事は午前中で粗方済ませて、午後は資格試験の勉強をする事にした。中学を卒業するくらいまでは雪のそばにいてあげたいけど、そこから先はどんどん手が離れていくと思う。そうなったら、今度は私も自分の人生を考えないといけない。資格だけ持ってても実務経験がなければ雇ってもらえないという話もよく聞くけど、まったくの素人よりも資格だけ持っている素人の方がまだ選考に引っかかりやすくなるのではないだろうか。
今は通信教育で取得できる資格も多いから、取りやすいものから手当たり次第に取っていこうと思う。両親は自分達で貯めたお金で老後は施設に入るから面倒を見る必要はないって言ってたけど、念の為に介護の資格とかも検討した方がいいのかも。でもあれって現場に出て研修みたいなの受けないといけないんだっけ? よく調べてから検討しなきゃだね。
「ねーちゃ、ただいま!」
そんな事を考えながら通信教育のカタログを見ていると、元気のいい雪の声が聞こえてきた。そのままトテトテと軽い足音が聞こえてきて、リビングに入ってくる。この間エオンで買ってきたシャツと膝丈のスカートを身に着けた雪は、何が嬉しいのかニコニコしている。手を広げて私に抱きついてくるのもいつもの事だ、だから私は抱きついてきた雪の頭をポンポンと撫でていつも通りの言葉を口に出す。
「はい、おかえり。先に手洗いとうがい済ませてきてね」
私が雪の体を離しながらそう言うと、雪は『はーい』と機嫌よく返事をして洗面所へと向かった。その間に私と雪の二人分のジュースとおやつを用意しておく、毎日こうやっておやつを食べながら学校であった事を聞くのが日課なのだ。
今日は買い物に出たついでに、この間ポストに入っていたタウン誌に載っていたケーキ屋さんまで足を伸ばした。そこはロールケーキが美味しいことで有名らしくて、とりあえず1本お試しで買ってみたのだ。
男の子だった頃の雪は食べない事もないけど、自ら進んで甘いお菓子を食べる子ではなかった。でも女の子になって味覚がちょっとだけ変わったのか、この間のクレープといい最近は甘いものを欲しがる傾向にある。太らないかどうか心配だけど毎日一緒にお風呂に入って体型も見てるし、体重計も目の前で乗ってくれているから数値チェックも容易い。
そこまで気にするなら甘いものを食べさせなければいいのだけど、幸せそうに頬を緩ませる雪の顔を見るとついつい与えてしまうのだ。だからせめて保護者として注意深く、雪の体重や体型をチェックしていきたいと思う。
そんな事を考えながら今日も美味しそうにケーキを頬張る雪を眺めていると、突然何かを思い出した様に雪が口を開いた。
「ねぇねぇ、ねーちゃは好きなアイドルっている?」
「……アイドル? 学校でそんな話になったの?」
あまりに唐突な質問だったのできょとんとしながら問い返すと、雪はこくりと頷いた。
「しおりちゃんとこころちゃんはダニーズの前田くん……だったかな? その人が好きなんだって。わたしも聞かれたんだけど、全然アイドルの人を知らなくて答えられなかったから」
どうやらアイドル初心者の雪に彼女達はアイドルの事をたくさん教えてくれたみたいなんだけど、人って興味のない未知の世界の話って頭に入って来にくい生き物だから、うまく消化できなかったのだろう。それでも友達と合う話題をこうやって学ぼうとする雪の姿勢は、保護者として嬉しいし眩しく思う。
でもアイドルかー、私全然詳しくないんだよね。というか、そうなった原因が目の前にいる雪なんだけどね。この子はとにかくヤキモチ焼きで、私がテレビを観ている時に若い男の人が映っただけで癇癪を起こす子だった。外に出かけると男の人とすれ違う度に私を反対側に押し遣ろうとしてくるし、店員さんが男の人だったら『ゆきがはらってくるから、ねーちゃはあっちいってて!』って勇敢にレジに並ぼうとするし。そんなヤキモチ焼きな雪が、イケメン揃いなアイドルグループが出る番組を私に見せてくれるはずなかったんだよね。おかげですっかりそういう話題に疎い成人女性が出来上がってしまった。
「私も雪と一緒であんまりアイドルの事わかんないんだけど、お友達が好きなアイドルの事を一緒に応援してあげるのがいいんじゃないかな。私が学生の時の友達も好きなアイドルがいて、話を聞いて頷いてあげてるだけでも嬉しそうだったから」
『雪のせいで私もアイドルに疎いよ』とはなんだか格好悪くて言えないので、私の学生時代の処世術を教えてあげた。仲良くしたい相手にはとにかく共感を示す、話を合わせるために最低限の情報を仕入れる。これさえやっておけばそれなりに間はもつし、私の場合はどうせ学校の中だけの友達だったからそれで十分交流が持てたんだよね。放課後は雪のお迎えとか家事とか色々やる事があったから。
私のあんまりすぐには役に立たないアドバイスを聞いて、雪は『ねーちゃも一緒に前田くんの事調べてくれる?』とお願いしてきたので、私はこくりと頷いた。我が家には私のノートパソコンがあって雪が調べ物をしたい時は貸してあげるんだけど、私の監視下で行う事という約束事がある。だからお願いしなくても私も一緒に調べる事になるんだけど、雪の上目遣いが可愛かったので細かい事はいいや。
早速ノートパソコンを持ってきてその前に座ると、雪が私の膝の上にちょこんと座ってきた。小さかった頃は全然軽くて何時間座ってても問題なかったけど、小学4年生にもなるとちょっと重い。そして私も背が高い方じゃないので、雪が前に座ると全然パソコンの画面が見えない。嬉しそうな表情を浮かべている雪には悪いけど、膝から降りてもらって隣に座ってもらった。ちょっと寂しそうな表情をしていたけどすぐに私の腕にしがみついてニコニコしてたのを見て、雪は相変わらず立ち直りの早い子だなと感心する。
夕ごはんの準備をするまで、雪と他愛のない話をしながらネットサーフィンができて、私も楽しい時間を過ごす事ができた。今日調べた事がちょっとでも雪の友達付き合いに役立てばいいなと思いながら、私は雪に言われるがままサイトへのリンクをクリックするのだった。