弟子
あの雨の夜、素材回収の帰りにあいつを見つけていなかったら。
土砂降りの雨に晒され倒れていたあいつを見つけたのは本当に偶然だった。血は出てるし気は失ってるし、何より服もボロボロだったあいつを助けたのは気紛れと言っても間違いはなかったかもしれない。
三年前──────
「あぁくそ!雨が降るなんてついてねぇ!せっかくの調合素材が濡れちまうじゃねぇかよ!」
まるで水の入ったバケツをひっくり返したように雨が降る森の中をカゴを背負って走る。カゴの中に入っている火薬ダケは水に濡れてしまうと調合素材としての価値が失われてしまうから、出来る限り濡らさないように自分の上着を蓋がわりにしている。
全速力で走っている最中にふと近道の事を思い出した。
確か村人どもがそんな話をしていたと思い出せば、利用せざるを得ない。
「ったく、近道を聞いておいて良かったぜ!」
躊躇なく獣道に飛び込んで、木々を避けながらスピードを落とさないように駆け抜ける。
こちとら昔から山で育って来たんだ。こんくらい余裕だぜ!
「……あ?」
そう思ったのが悪かったのか。足下でズルッという滑る感覚がしたかと思いきや、少しフワッと体が浮く感覚の後にゴロゴロと坂道を転がり落ちていく!
「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!?」
枝や石などに体をぶつけながらもドンドンと転がっていき、やがて再び体が浮く感覚を味わいながら強く地面に体を打ち付けた。
「いでー……ちっ、最悪だ。カゴも壊れちまってるな。うわっ、服も破れてら」
泥だらけになった痛む体を見ると、枝や石に引っ掛かったせいで服が破れて細かい切り傷と打撲傷が見える。家に戻ったらさっさと治療しよう。
カゴの中身も全てダメになっちまった。これで今日の調合予定は全部パーだ。
「とことんついてねぇぜ……あ?なんだありゃ」
ある程度汚れを叩いて落とし、壊れたカゴを持って歩き出そうとすると向こう側に何かが倒れているのがチラッと見えた。熊とかならいいが、万が一魔獣だったりすると色々と面倒なことになる。
まぁ村人どもには多少なりとも世話になってる訳だし?ここで少し魔獣かどうか確認してやってもいいか。
痛む体を動かしながら近づくと、顔が引きつるのがわかった。
「……おいおい。魔獣よりもめんどくさいことになりそうじゃねぇか……」
そこに倒れていたのは自分よりもボロボロになった服に、結構な出血をしていたエルフの少女だった。少女は気を失っており、顔色も悪くなっている。このまま放っておけば死ぬことは明らかだろう。
だが迂闊に助ける訳にもいかない。そもそもエルフがこの村の近くにいることは有り得ないし、エルフは人間を嫌っている風潮がある。下手に助けでもすればこっちが殺されるか自殺されかねない。
一番の選択は何も見なかったことにして、こいつの仲間がこいつを見つけることを祈ることだ。
しかし仲間がいたとして、普通こんなに服がボロボロになるものか?エルフは仲間意識が強く、仲間を助けるのが普通だ。だからここまでボロボロで、尚且つこれ程の出血量は不自然だ。
これじゃまるで一人で来たみたいじゃねぇか。
「……あぁくそ!仕方ねぇな!恨むんならここでぶっ倒れてた自分を恨むんだな!」
壊れたカゴを投げ捨ててゆっくり少女を背負うと、なるべく揺らさないように下山を始める。背中越しから感じる体温はすっかり冷たくなっており、このままでは危険な状態だ。かといって体を暖められる魔法は覚えていない。いや、使えないと言うべきだな。
「もう考えるのもめんどくせぇ!飛ばすぜぇ!」
ダメだ。もうガッツリ揺らしてやろう。そもそもあんなところで倒れてた奴が悪いってことで!
こうして俺は駆け足で下山していったのだ。
現在──────
「─し───しょう───師匠───」
「……んあ?」
「師匠。こんなところで寝ては風邪を引きます」
「……風邪引いたのはお前だろうが……」
「?わたしはいつもベッドで寝てますが」
「あ……?」
ぼんやりとした視界の中、働かない頭を何とか回転させて状況を把握する。
火が消えかけた暖炉、申し訳程度の膝掛け毛布、膝の上の本、こちらを覗くようにすぐ近くにある弟子の顔。
おけ、把握した。
「取り敢えず顔が近い。さっさと離れろ」
「はい、師匠」
素直に弟子が顔を離した後、固まった体を解すように体を伸ばす。するとバキバキっと小気味いい音が鳴った。
どうやら暖炉の前で本を読んでいたら寝ていたようだ。
んで、それに気付いた弟子が起こしに来たというところか。
「師匠、師匠」
「なんだ」
「リアクションが無さすぎてつまらないです。もっと何か反応があっても良いと思います」
「悪いな。見慣れすぎた顔じゃ何にもリアクションは取れん。諦めろ弟子よ」
代わり映えのしない無表情で、んな事言われてもなんとも言えんわ。もっと表情豊かになってから出直せ。
「本と毛布片付けておきます」
「頼んだ。時間は……まだあるな。よし、後で調合を手伝え」
「分かりました。すぐ戻ります」
テキパキと毛布を畳んで本と一緒に持っていく弟子を見送ると、大きな欠伸が思わず出てしまった。
最近ずっと睡眠時間を削っていたからだろう。その疲れが出てしまったか。
「やれやれ。大魔導師としての道はまだまだ長いな」
「師匠。最近は魔導師と言うよりも錬金術師にしか見えなくなってきました」
「ほっとけ!どうせ魔法は三流だよ畜生が!」
部屋の向こうからひょっこりと顔を出した弟子の言葉に思わずつっこむ。
特に弟子に言われるのではもう終わりかもしれん。
「大丈夫です、師匠。師匠が錬金術師になっても師匠は師匠です」
「何が大丈夫だ!?いいから早く戻ってこい!」
全く。こいつはいつも要らんことを言う。
まぁ、でも、なんだ。
「あの時の選択は間違ってなかったかもな」
「あの時…とは?」
「なんでもねーよ。ほらさっさと始めんぞ」
「はい、師匠」
今日も今日とていつもの作業。
だが存外こんな日々も悪くないかもしれないと思えるのは、きっとただの気の迷いだろう。