part7 brother
紗々の叙勲式が終わると大慌てで屋敷に戻った。
「界先生ギリギリセーフですね」
幸い警護のものたちは夢の中で俺たちが屋敷を出ていたことに気付く気配はない。
「おう久々の屋敷の外はどうだった」
「僕は楽しかったー」
弟のミルはぴょんぴょん跳ねて興奮を伝えてくる。兄のチャールズはというと。
「悪くはなかったですね」
それに先生の弱味も見つけましたからと付け足される。
「弱味?」
「妹の紗々さんのことですよ」
確かに俺の弱点と言うべき紗々は見るも無惨なスピーチを披露した。
あれではアリサ姫も苦労するだろう。
「たしか、この後東方に向かうんですよね」
「とーほーって?」
弟のミルは紗々とよくにている。無邪気に何でも聞いてくる辺りが。
「魔族が多くいるところだよ。俺の実家もそこにある」
「ふーん苦労人なんですね」
「そうでもないさ」
子供の頃は魔族の動きもそこまで活発ではなかったから平和な地域だった。
だが流行り病で多くの人々がなくなったあと魔族が頻繁に現れるようになった。
領主である父も亡くなったため騎士修道会が討伐を買って出た。
その延長線上で東方の領土を騎士修道会が手を出すようになるのだが。
「あっ忘れていた。騎士修道会のハインリヒに紗々が屋敷に来ることを連絡しなければ」
「自分の屋敷を明け渡したんですか」
「ああもう俺たちも住まないからな」
圧力がなかったといえば嘘になるが俺もよくよく考えて出した結論だ。
「家は住む人がいなくなるとすぐダメになるからな」
もったいないだろと笑うとチャールズはそうですねとうなずく。
「界先生の考えは尤もなことだと思います」
「そうだろう」
自信ありげに堪えると彼は苦笑する。
「でも自慢するほどのことではないと」
「ありゃそうか」
がっくりと肩を下げるとチャールズは小さく笑う。
「先生も案外可愛いところがありますね」
「それこそ俺は言われたことないよ」
どうやら屋敷を抜け出したという共通の秘密を持ったことで彼の態度も軟化してきたようだ。
「僕も先生のこと勘違いしてました」
「それはどう言った風に?」
おそるおそる聞き出してみるとチャールズは悪いことを考えている表情で答える。
「案外抜けてますよね」
「そうか?」
自分自身完璧超人だとは思っていないが年下にそう思われているのは意外だった。
「俺ももうちょっときちんとしないと君たちに信頼されないかな」
「僕はあなたのこと信頼はしていませんけど」
いつもと同じ辛辣さだったがどこかやわらかさも含んでいた。
「兄上しんらいってどういういみー?」
「人と人が信じることだよ」
「しんじるって?」
「うーんミルにはまだ難しいかな」
そうやって弟に笑いかける姿は優しい兄そのものだ。
「俺も紗々とこうやって何かを教えあったりしたな」
「まあ界先生シスコンですもんね」
「シスコンって……」
改めて人から言われると気恥ずかしいものがある。
「何一人で恥ずかしくなってるんですか」
チャールズがあきれたようにこちらを一瞥する。
「界せんせー恥ずかしいの?」
興味津々と言った表情でミルが俺の顔をのぞいてくる。
「は、はずかしい訳ないからな」
照れ隠しに顔を背けるとミルが腕にしがみついてくる。
「界せんせー恥ずかしいんだー」
「勝手に照れるのは結構ですけど仕事も忘れないでください」
「へっ?」
あれだけ家庭教師は不要だ。辞めさせるといっていたのにこれはどういうことだろう。
「あれ?君は俺のこと辞めさせたいんじゃなかったっけ?」
「先生、余計な一言が多いですよね」
少しムッとした表情だったが以前までの冷たさはなかった。
「僕も考えを改めたんです。家庭教師は今まで不要だと考えていましたがあなたは例外です」
「俺を特別だって言ってくれたのか。ありがとう」
「勘違いしないでくださいね」
それはツンデレということだろうか。
「僕は勉強においては家庭教師は不要だと感じていましたが弟のミルの教育上あなたのような人が必要だと感じたのです」
「ひつようってー?」
「幸いミルもあなたになついているみたいだし僕一人では自分の勉強とミルの教育両方はできませんから」
どうやら兄のチャールズも思うところがあったようだ。
「僕と違ってミルは勉強が苦手だ。それは今後生きていく上で障害になることは目に見えている。不得意なことに直面して乗り越えられるならばいいですが大抵のものは苦手なものを前にすると避けてしまう」
つまり勉強が苦手なミルの面倒を見てほしいと言っているようだが。
「君も素直じゃないな」
「はっ?僕はミルのことを思って言ってるんですが」
それだけ俺のことを信頼してもいいと思ってくれているのだ。それが嬉しかった。
「何はともあれ君は俺を認めてくれた。ありがとう」
「感謝されるようなことは何ひとつしていませんが」
ふんと鼻をならすが迫力はあまりない。
「母の探してきた家庭教師などみな愛人をあてがってきているだけだと思っていましたが」
彼らの母は奔放な人だった。俺もよく知っている。
だがパトロンとして人の才能を見つけるのは向いていた。
「僕は母のことが嫌いです」
「なんでー?」
純粋なミルはまだ気づいていないだろう。
「でも彼女には感謝しているんです」
また嫌みでも言うつもりかと身構えたが。
「僕は家の跡取りでひとりぼっちで過ごしてきましたが弟のミルができてからは変わりました。僕がミルを守るんだ。そう思えることができたからです」
ミルに対して並々ならぬ愛情を抱いているのだろう。端から見ればそれは歪だったが彼なりに足掻いて葛藤して生まれた感情だろう。
俺も彼のことを指図できる立場じゃない。
だけど一言だけ言っておこうと思った。
「君はいい兄貴だよ」
だからそれ以上無理する必要はないよと告げる。
「無理すると人は歪になっていく。無理に弟を守ろうとする必要はないんだ」
彼も十分強い男だからなと付け足す。
「君たちが大人になるまで色々なことがあると思う。それまで俺を家庭教師として見守らせてほしい」
「あなたは……」
チャールズは言葉を失ったようだ。
「あなたは変な人ですね」
そして小さく笑う。
「今まで誰のことも信用できずに母が家庭教師にやとった男どもを辞めさせることに生き甲斐を覚えていました。だけど僕もバカだったんですね」
ただひがんでいただけなのかもしれないとポツリと呟く。
「両親は不仲で誰も相手をしてくれない屋敷の中で僕はへそを曲げてしまったのかもしれない。誰も僕を見てくれないんだと」
だけどと付け足す。
「あなたみたいなバカな人に出会うまで気づかなかった。僕もバカだってことに」
「兄上はバカじゃないよー」
弟のミルは不思議そうな顔で兄を見守る。
「いやミルいいんだ」
「そうだな俺も大概バカだからな」
妹の紗々がいなくなってからは寂しさで取るもの手につかず。そんな状況でまともに仕事にもならないと思った家庭教師先でいびられる日々。
もう少し早く彼らの気持ちに気づいてあげられれば打ち解けるのも早かったのかもしれない。
「家庭教師が自分からバカだと言って大丈夫なんですか?」
「あっそうだった」
自分でも気づくのが遅いと思い苦笑した。
「もうマヌケですね」
「まぬけー」
ミルは兄を真似て指差す。
「おっと危ない」
ミルが腕にしがみついていたので落ちそうになっていた。
「あぶないー」
楽しそうにキャッキャとはしゃぐミルに笑みがこぼれる。
「それより仕事忘れてませんか?」
「今日の範囲か?」
炎の魔法十ヶ条と低学年向けの字の読み書きは教え終わっていた。
「違いますよ。あなたの仕事」
ハインリヒさんに連絡するんでしょうと教えられる。
「そうだったありがとうなチャールズ」
「べ、別にあなたが忘れてそうだから言ったまでです」
チャールズの刺々しい口調はなくなりそこにあったのはどこか照れたような少年の姿だった。
お互い言いたいことを言って打ち解けたのはよかった。
「じゃあちょっと詠唱魔法使うけどいいか?」
「どうぞ」
仕事時間はもう終了ですからと告げられる。
ということで連絡魔法を使ってハインリヒとコンタクトをとる。
「もしもしハインリヒ殿ー」
「ああ紗々・ウィンザーの兄の界か」
「俺のこと覚えてくれていたようで光栄です」
「それで何のようだ」
「近々その紗々が実家に泊まりたいといっている。部屋を一つ間借りさせてもらえないか?」
「ああそのことか。アリサ姫から連絡がすでに入っている。別に構わないが」
「ありがとうございます」
ということで無事紗々も実家に泊められるようで安心した。
それにしても紗々が東方遠征か。
あちらは魔族が大勢いるから制圧するのも大変だろう。
無事任務を終わらせられるといいが。
そう思いながら俺はチャールズとミルの元に帰るのだった。