part2 sister
俺と紗々の特訓は続いた。
剣術は問題なく進んだがやはり行儀作法の点は懸念した通りの結果になっていた。
「ねえ兄者いつになったらマナーの特訓終わるの?」
「お前がどこに出しても恥ずかしくないお嬢さんになったらだな」
つまりはまだまだということだが。その言葉に紗々は不思議そうな顔をする。
「どこに出してもって紗々はアリサ姫の騎士になるんだよ?剣術だけ鍛えてればいいんじゃないの?」
いわゆる脳筋な発想だが彼女にはただの騎士以上の人間になってほしかった。
「エリザベート妃の話を知っているか?」
「えりざべーと?」
彼女はかの有名なハプスブルク家に嫁いだ女性だ。その姿は美しく幼少の頃より自然に慣れ親しんだ彼女は国王に見初められ結婚したが宮中では田舎娘と謗られたらしい。
俺も紗々にそんな苦労はかけたくない。だからこそ特訓にも熱が入るのだが本人のやる気は全くない。
「紗々スプーンの持ち方が違う」
「はい」
「紗々音を立てて物を食べない」
「う、うんっ」
「紗々姿勢が悪くなってる」
「ふええ」
いちいち指摘されてはへこむ彼女を見ているのは若干かわいそうだったが騎士としてのお披露目まで一週間を切っている。どうにか一人前の女性として生きていけるように教育しなければ。俺は燃えていた。
「あのな、お前が一生懸命やってるのは俺もわかってる。だけどな今は時間がないんだ」
「でも紗々は騎士になったあとも兄者に教わりたいと思っているよ」
無邪気にそういう姿は愛らしく、自分が彼女ともうすぐでお別れだと思うと胸に迫るものがある。
だが俺は何事もなかったかのように話を続ける。
「お前が騎士になったと決まったときから俺は住み込みの仕事を探している。それでようやく仕事が決まったんだ。俺の職場は宮中からは離れている。今暮らしている家も引き払う予定だ」
「引き払うって?」
「もうこの家とはお別れだってことだよ」
「お父様が残してくれたお屋敷は?」
「そっちの方も騎士修道会に明け渡すことにした」
彼らは宗教色は強いが収入も安定している。借り手としては申し分なかった。
そして父が残した屋敷を拠点に東方の開発を進めるつもりらしい。
俺の場合今は位も返上したので領民とのやり取りはない。
昔は領民たちが季節になると収穫したライ麦や小麦を運んで製粉する過程を見せてもらったりしたが父が亡くなってからは彼らは新たな領主に従うようになった。
彼らだってよく尽くしてくれたが俺はもう領主ですらないのだから仕方のないことだった。
「なに、お前には明るい未来が待ってる。アリサ姫の騎士になるんだ。だから特訓しないとな」
「兄者、暗い顔をしてる……」
自分としては明るく言ったつもりだったが紗々にはお見通しだったようだ。
「わかった!紗々がアリサ姫の騎士になったらまずお金をためてみんなが暮らしていたお屋敷を買い戻すね!」
「おい紗々」
「それと兄者が働かなくて済むよう紗々が兄者を囲ってあげる!」
「囲うって……。お前はそういう単語をどこから覚えてくるんだ?」
「へへっそれは秘密だよ」
嬉しそうに笑う姿は見ていて眩しく俺もつられて笑みを浮かべた。
「お前の調子のよさは相変わらずだな」
「それが取り柄だからねー」
ふふんと得意気に胸を反らす。
「兄者、心配必要ないよ。紗々と兄者は血を分けた兄弟だよ。何があっても味方だよ」
「紗々……」
彼女が自分をそこまで思ってくれてるのが心から嬉しかった。
そしてそういえる彼女の強さに改めて眩しさのようなものを覚えた。
「だからマナーの練習は騎士になってからでもいい?」
かわいく小首をかしげる姿に俺はうなずきそうになったが。
「うん。ってちょっと待て」
「なあに?」
「俺たちは特訓の最中だろう。いくらお前がいいこといって俺が感動したからといってやるべきことは変わらないぞ」
「ええー」
どうやら紗々は早く特訓を終わらせたかっただけのようだ。
「せっかく紗々が兄者の涙腺をゆるゆるにしたのに、そんなのってないよー」
「はっ。お前の企みに騙されるところだった」
いかんいかん。紗々のマナーがなっていないと苦労するのは本人だ。それ以上にアリサ姫に恥をかかすことになる。
彼女と面識があるため妙に現実感がある。
アリサ姫はしとやかで芯のある女性だ。性格は紗々とは正反対で落ち着いていて誰にでもやさしく接することのできる人格者だ。それは俺も例外ではなく身分の関係なく平等に接してくれた。
そんな彼女だからこそ自由奔放な紗々を自分の騎士に選んだのだろう。
アリサ姫は慎重な女性だ。年よりも大人びていて周囲からの信頼も厚い。
父帝である国王も彼女には一目をおいていてだからこそ彼女の騎士就任には多くの憶測が飛び交った。
一つの候補は修道会のトップであるハインリヒ。
もう一つの候補は有力貴族のオットー家の長男。
そして豪商のシュタット家の末弟。
彼らは騎士としては申し分のない身の上だった。
いずれはアリサ姫の夫となる可能性もある。
だが彼女は紗々を騎士に選んだ。
これは宮中では波乱を呼んだ。
あるものはアリサ姫を考えなしの稚ない少女だと笑った。
あるものは彼女を外部の人間をいれるのに怯えた臆病な子供だと謗った。
だが彼女には考えがあったのだと俺は信じている。
今国は傾いている。
外部には魔族が取り囲んでいるし、財政は度重なる出兵で疲弊している。
政治は国王の力だけでは立ち行かず元老院が牛耳っている。
だからこそ宮中の人間は三人の候補から騎士を選ぶことを望んだ。
だが彼らに頼るということは王家の失墜を世に知らしめることだ。
聡いアリサ姫はそれを知っていた。
王家を建て直すために彼女はなんの後ろ楯もない剣術だけが取り柄の少女を自分の騎士に選んだのだ。
まるで傀儡だな、と俺は低く笑った。
紗々は生け贄なのかもしれない。
そして自分の大切な妹をそのまま捧げるだけの俺は不孝者なのだろう。
彼女を待つ世界は明るいものだが、その先は険しいものだった。
「兄者、また難しい顔をしてるー」
「悪いな」
「それ兄者のくせだよねー」
なにも知らない紗々は得意気にこちらを見上げる。
まだあどけない顔立ちの少女はなにも知らないままアリサ姫のもとへ向かうのだろう。
それが無性に悲しかった。
「ああ俺の悪い癖だな」
「紗々は別に悪いとは言ってないよー」
キョトンとした顔で俺を見つめる。
「ただ、兄者の難しい顔はもう紗々見たくないんだよねー」
「どうして?」
「だって兄者はなんでも自分で決めてしまうんだもん」
紗々はスプーンを持ち上げマナー通りに姿勢正しくスープを口に含む。
「ねえこれで完璧でしょー」
「ああ今回はうまくいったな」
誉めると嬉しいらしく彼女は何度もその動作を繰り返した。
「もうお前ができることは分かったから」
「ええー」
少し不満げなところも愛らしい。
「俺もこの先を考えないとな」
「そうそう兄者も紗々の苦しみを越えるような茨の道を進むんだよ」
へへっと笑いながらもなかなか毒舌だ。
結構恨みに思っているようだ。
「俺とお前も来週には別れる。それまでに前哨戦といくか」
「おおー。戦いなら紗々も自信があるよ」
嬉しそうに跳ねる紗々を見ながら俺はこの先を案じた。
願わくば彼女に幸あらんと。