ACT II ; Scene I : テディ・ベアの暴走
ニーニャが書いたとは知らずに、愛する妹アメリアからの手紙の内容に号泣し、尚かつ大変に感動したグレンは、燃えたぎるような使命感に包まれていた。
何かをせねばならない。勇者として、何かを。
その思いは、腰にした名剣『金穂の炎』が放つ炎のように猛々しく、グレンの少し足りない頭脳のように若々しい熱情は、彼を無目的に走らせた。
「うううううううおおおおおおおおおおううううう」
そこいらを通りすがるひとたちが、一様にぎょっとして目を見開くのにも全く気付かず、グレンはただただ、ひたすらに走った。 真っ直ぐに走り続けようとして、そうそう、真っ直ぐの道路ばかりでない事実に直面すると、突き当たりにぶつかるたびに、またしても無目的に右に左に道が伸びる方へと走った。 お世辞にも頭脳的とは言えないその戦略はもちろん、ただでさえ、アメリアに会えないと意気消沈して街の構造を把握していなかったグレンを混乱させる。 しかして、急に止まることも出来ないと、グレンはそのまま、体力の持つ限り走り続けることにした。
その体力が、常人からは、遠くかけ離れていることなど、露にも知らず。
「もう、最低だよぅ」
薄い口唇を突き出して、頬をピンクに染めたニーニャが文句を垂れた。
「仕方ないだろう」
額にうっすらと滲んできた汗を、手の甲でぬぐってから、ユリアが肩をすくめる。
「普通さあ、走り去る? 街の構造も知らないのにぃ? 妹から手紙が来ただけで? 勇者さまだからって? 走って、迷って、何で止まらないの? 何で、あたしたちを探そうとしないの? それともなに、あたしたちなんて必要ないとか思ってるの? もう、最悪だよぅ。 あんな、単細胞で扱いづらい奴、あの剣がなかったらとうの昔に路上に廃棄してるっつぅのっ。 しかも、勇者勇者って言うけどさ、ぶっちゃけ、勇者の意味なんて知らないでしょ、あいつ。 ああん、腹がたつぅ〜!」
肩で息をしつつも、両手を握りしめ、き〜〜と小動物のような声を上げながら地団駄を踏む。
すでに辺りはうっすらと暗くなってきているので、幸い、ひとりコントを始めてしまった少女に、人々の視線が向くことはなかった。 相棒の喜怒哀楽の激しいことには慣れっこのユリアは、何となく首の後ろに手をやって、ぐるりと周りを見渡してみる。
「帰巣本能みたいなものは、ないんだろうか」
「え? きそ、なんだって?」
「帰巣本能。 例えば、飼い犬が間違って外に飛び出して行ってしまっても、そのうち家に帰ってくるだろう? あれのことだ」
「グレンに、帰巣本能があるかって?」
ジト目で半笑いを浮かべるニーニャに、苦笑しながらも頷いてみせると、
「そんなもの、原始人のプロトタイプみたいなグレンにあるわけないじゃない! せいぜい帰るんだとしたら、アメリアちゃんちじゃないの〜? グレンなら、アメリアちゃんの匂いがするーとか言って、どんな長距離でも走って帰っちゃいそうだよね」
確かにな、とユリアが相槌を打って、ふたりは爽やかにグレンのことを馬鹿にする。軽やかな笑い声を上げていたが、ふと、ふたり同時にあることに思い当たって、その表情を強張らせた。
「今、帰られたら……」
こくり、と喉を鳴らしてユリアが言う。
「絶対、二度とアメリアちゃんから離れない……」
絶望的に目を瞠るニーニャが言えば、
「勇者なしの旅……」
と、ユリア。
「名声……」
「プロモーション……」
「スポンサー……」
「コネクション……」
「お金……」
狸親父か悪徳政治家のような単語を連ねて、少女たちは顔面蒼白になると、強い決意を持ってお互いを見つめ合い、頷き合った。
「グレンー!」
「グレン、どこだー」
「グレンやーい。 ほーら、グレンの好きな山羊のミルクだよー」
「ニーニャ、それはちょっと……」
「え、何で? だって、いっつも飲んでるじゃん、山羊のミルク」
「いや、そういうことじゃなくて……」
少女たちの姿は、次第に夕闇の中に消えていった。
食堂から飛び出してから、きっかり三時間後。 とっぷりと暮れてしまった街並みは、ところどころに灯ったランプ以外の灯りは見えず、行き交う人の数もまばらないなっていた。
明らかなるアドレナリン過多で、体力を消耗する以外にその発散方法を見つけられなかったらしいグレンは、しかし、ぴたりとその足を止めた。
うっすらと汗が滲んでいるものの、息はまったくといって良い程あがっておらず。 ディグオス村の中でも驚異的というよりも脅威的な体力を誇るグレンの無尽蔵なエネルギーは、最早モンスターと同レベルである。
「うん?」
小首を傾げれば、さらりと髪が流れる。 その仕草には、通行人を微笑ませるような何かがあって、何人かはくすくすと微笑を洩らした。
本人は、まったくそのような事態を飲み込んでおらず、ただ壁の一点を食い入るように見つめている。
「…………」
真剣な眼差しで見つめるその姿からは、まさか、頭脳レベルが稚児並であることなど微塵も感じさせず、客観的に見つめても、意外と様になっていた。
背後からの跳び蹴りが、電光石火の勢いで命中するまでは。
「ぐえっ」
変声期中の蛙のような声を上げてグレンが前につんのめる。 かろうじて壁にキスするのを防ぐと、ぽりぽりと後ろ頭を掻きながら振り向いた。
頬を真っ赤にした、自分よりも随分と小さいツインテールの少女が、烈火の如くグレンに怒鳴り散らしてきた。 少女のやや後ろには、膝を折り曲げ、その上に両腕を置いて、はあはあと荒い息を繰り返す、褐色の肌の少女の姿も見える。
「この、馬鹿! 単細胞! 抜け作! とんま! 役立たず!」
「あ、ニーニャ」
「あ、ニーニャ。 じゃ、な〜〜〜いっ! あのねえ、グレン、あたしたちがどれだけの間、あんたを探していたと思ってるのよ!?」
「……さあ?」
「きいいいいっっっ! むかつく! むっかつくわ! その言い方! まるでそんなの気にしてませんでしたよ、みたいな言い方。 むしろ、おれ別に悪いことしてないじゃん? 何そんな怒ってんの、ニーニャ? 老化が早まるよ? みたいな言い方っ!」
「あ、ユリアだ」
「ひとの話を聞きなさいよぅ!」
むきーーーっと怒髪天を衝いたニーニャは、力任せにぽかぽかとグレンの胸を叩くが、異様に堅いそれはびくともしない。 あろうことか、叩いているニーニャの拳がじんじんと痺れてきた。 豆腐に鎹を打ち込む虚しさを味わったニーニャは、悔し紛れにグレンのすねを自身のブーツの一番堅いところで蹴ってみせる。
「どうしたんだ、ニーニャ? 欲求不満か?」
「ああもう、グレンは喋らないで! グレンの口から、欲求不満とかって言葉を聞くと、何故だか無性に腹が立つからっ」
「そういうときには、あっためた山羊のミルクを飲むと落ち着くぞ。 アメリアが眠れないときなんかに、よく作ってやったりしたもんだ」
視線だけでひとを殺められるのではないかというほどの苛立ちを募らせて、ニーニャの瞳が暗闇の中、ぎらりと光った。 息を整えるのに必死だったユリアは、ニーニャの暴走を恐れて、素早くふたりの間に入り込む。
「話の腰を折ってすまんが、グレン」
「ん?」
にこにこと笑ったままのグレンは、幼い少女が抱えるテディベアを彷彿とさせて、ユリアは心中でそっと息をついた。 悪いやつではないのだが。
「どうやら、何かを見ていたようだが……。 何か気になるものでも見つけたのか」
どーせ、シスコン単細胞が見つけたものでしょ、虫とかじゃないの? ったく、世話かけさせないでよね、と完全にへそを曲げてしまったニーニャが毒づくが、グレンはその笑顔を崩すことなく、背後の壁を指さした。
「これ」
「ん? どれどれ」
グレンの体で遮られているため、ユリアの位置からは何も見えない。 疲労困憊しきった脚を動かして、彼の背後の壁に近付く。 そこには、ポスターのようなものが一枚、貼ってあった。紙の状態からして、まだ新しい。 万年筆で書いたようだが、インクの滲みがところどころにあって、印象としては乱雑である。
「助けて、って書いてあるんじゃないのか? これ」
「ええと……」
グレンほどの野性味溢れる視力を持っていないユリアは、暗がりの中、もっとはっきりと判別しようと更に数歩近付いた。
「何て書いてあるの、ユリアー?」
ポスターには何か絵のようなものが中心に書かれている。長くまっすぐに伸びた髪を持った、どうやら幼い子供のような顔。 襟元しかそこには含まれていないが、そのレースのようなものが幾重にも重ねられていることから、そこそこの身分の者だと思われる。 そして、その絵の下に、滲んだインクでこう書いてあった。
『アレックスを、助けて』
さっと顔色を変えてユリアが振り返る。
「ニーニャ。 仕事かもしれん。 グレン、よくやった」
さあ、やっと話が動き始めてきましたね!
ブログを始めました。裏話などもしていく予定ですので、よろしかったら遊びにきてください。http://sanjyo.exblog.jp/