Scene 5 : Is it edible?
はわわわわわわわ(蒼白)
気付いたらもう9月が終わってしまう!
こんな長い間更新しなかったのは、初めてです。すいません。
来月は、もう少し頑張りますので、見捨てないでやってください〜。
ユリアとニーニャが唖然としていた。開いた口はきれいな縦型の楕円形を描いていて、どうやら二人ともそうなっている己の姿に気付かないようだった。ふたりはぽかんと口を開いたまま、まばたきすら忘れて、前方に見入っている。ふと我に返ると、まばたきだけをせわしなく繰り返し、それでもまだ口はそのままで隣と視線を交わすと、また前方に向き直って、今度はやや眉根を寄せてゆるゆると首を左右に振った。
その一部始終を、グレンは何の感慨もなく見つめていた。
なんで、こうなったんだっけ。
思いながらふと手をあげれば、その中にはずしりとした剣が一降り。塚を握っているのは確かに自分の手だろうに、まったくその感覚がない。刀身には血が一滴付いていて、それを振り払おうと剣を振ると、己の頬にそれは飛び移る。
これが、勇者?
「ちょっと、ちょっとお!」
ニーニャがぱたぱたという擬音語が似合う走り方で、こちらに駆け寄ってくる。後方からは、ゆったりと女豹のそれで歩むユリアの姿。
グレンのもとへ辿り着いたニーニャは喜色を露わに、両手を大きく左右に広げて見せた。
「すっごいじゃない!」
「なにが?」
「これ! 聞いてないよ〜、グレンがこんなに強いなんてさ〜」
「強い? おれが?」
「そうだよう。めちくち強いじゃん、あたし、びっくり。どこで習ったの?」
「なにが?」
「戦闘の仕方。 あたしたちは、一応魔法学校を出てるんだけどね。そこで、たまあに親善試合とかっていって、剣士とか戦士とかと模擬試合をしたことあるの。でも、グレンみたいに強いひと、いなかったよ! まじでびっくりだよう。ねえ、ユリア?」
興奮した調子でニーニャが振り返ると、すぐそばまで来ていたユリアが微笑んで軽く頷く。
「賞賛に値する。 グレン」
賞賛、の意味を考えながらグレンが曖昧に笑みを返すと、少女たちはやおら安堵した顔つきになった。
「思わぬ拾いものだったよね。 それに、てっきりあたしたちのことを恨んでるかと思ったら、そうでもないみたいだし」
「確かになあ、初めはどこの田舎者かと思ったから。 妹と離れた直後は廃人みたいになっていて、それこそ、何の役に立つのかも分からなかったしなあ」
「そうそう。 アメリアちゃんが頼まなかったら、こんなどんくさそうなの、面倒見るわけないじゃない?」
「そうだな、アメリアちゃんは、確かに、可愛かったな……」
「あ、ユリア、顔が赤いよ? さては、結構好みだったんだな?」
「いやあ、そういうわけでは! ただ、純粋に、可愛かったなあという話だ」
「はいはい、ま、どっちでもいいけど。とにかくさ、グレンは想像以上に強いし、ちゃんと戦闘でも役に立つってことが分かったし」
「うむ、それに金穂の炎の威力は想定していた以上だったな」
「ほんと、ほんと。 どこのぱっちもんかと思ってたけど、ちゃんと使えるもんだね。あんなアンティークソード、料理に使うくらいしか使い道はないかと思ってたもん!」
「いや、私はそこまでは思っていないが……」
という会話はすべてヴェランデ語で行われており、すなわち、グレンにはハエの羽音と同じようなものにしか聞こえなかった。アメリアという単語が聞こえたのも、きっと気のせいだろう。
アメリア。兄ちゃん、勇者なんてやめたいぞ。全然、楽しくない。
死屍累々と横たわるモンスターを眺めて、はあ、と切なげにため息をつく。
こんなモンスターたち倒したって、全然楽しくない。森で狩猟をしていた方がよっぽど楽しかった。獲物だって、もっとすばしっこかったし。それに、こんなモンスター倒したって、どうせ食べられるわけじゃないんだろう? だったら、何のために倒したんだか。あのふたりが、ユリアとかいうのと、ニーニャとかいうのが、モンスターを倒せるかって聞いてきたから倒しただけだ。なあ、アメリア。これが勇者か? 兄ちゃんは、勇者はあんまり好きじゃないぞ……。
「なあ」
グレンが初めて、ユリアとニーニャに話しかけた。ここまでの道のりにおいて、アメリアを失ったショックから立ち直れなかったグレンはいつも意気消沈していて、それに少なからずの罪悪感を感じるふたりが必死に話しかけるという構図だったから。
驚いた顔を隠すひまもなく、ニーニャが応える。
「な、なあに?」
精一杯可愛らしく笑ってみせる。それが徒労に過ぎないことは分かっていても、だ。この重度のシスコン田舎男は、本気で妹以外の女性に魅力を感じないらしい。
「これ、食べれる?」
「これって……?」
訝しげに眉根を寄せて、グレンが剣先で指したものを見ようとユリアが上半身を傾ける。
「だ、だめだめだめだめ!」
ユリアよりも視力の良いニーニャが、いち早く大きなリアクションを返すと、グレンは諦めにも似た嘆息をつく。
「やっぱりな。だったら、何のために倒すんだ? 食べられないんじゃ、意味ないじゃないか」
息絶えたモンスターの皮膚を、剣でつんつんとしながらグレンが言う。慌ててユリアは両手を胸の前に広げ、制止をはかりながら、可能なかぎり優しい笑みを浮かべてみせた。
「いや、あの。よ、よく聞け、グレン。お前が倒したのは、モンスターだ。どこの世界に、モンスターを食す勇者がいるっていうんだ?」
「じゃあ、勇者はモンスターは食べないのか」
「というよりも、勇者でなくても、モンスターは食べないと思うがな」
「じゃあ、やっぱり、無駄だ」
無駄死にだよなあ、と独りごちて、グレンは血糊を払った剣を鞘に収めた。宝石による魔力測定をしたこともなければ、モンスターだの勇者だのという意味を考えたこともない、そのくせ、農業で培った体力と大自然の中で暮らしてきたが故に身についている天性の戦闘感覚を持ったグレンは、いわゆるエリートコースを進んできたユリアとニーニャにとって、まったく得体の知れないものだった。
「なあ」
「な、なんだ?」
「おれは、いつ勇者をやめてもいいんだ?」
「うわ、しょっぱなから消極的だね、グレンたら。一応、勇者っていったら永久就職だからねえ」
「どういう意味だ?」
「簡単に言うと、一度勇者になった者は、死ぬまで勇者だということだ。男に生まれれば、死ぬまで男であるようにな」
分かり易いユリアの説明に、グレンが顔を青ざめさせる。
「死ぬまで……?」
「ど、どうしたの、グレン?」
わなわなと震えるグレンに怯えて、ニーニャがユリアの陰に隠れる。
「それじゃあ、死ぬまでアメリアに会えないってことか……? だったらいっそ今死んじゃった方が……!」
思い切りよく剣を鞘から引き抜くグレンに、ニーニャがタックルをかましながら喚いた。ぴょんと身軽に飛ぶと、グレンの背中に飛び乗る。両脚で上半身を羽交い締めにして、その隙に、ユリアが手際よく剣をグレンの手からもぎ取った。
「わーわーわー! ちょっと待って〜! 早まらないでってばあ! グレンの面倒はちゃんと看るからって、アメリアちゃんとも約束したんだから。こんな序盤で勇者自害なんてエンディング迎えちゃったら、あたしとユリアがアメリアちゃんに血祭りにあげられちゃうから!」
「アメリア……」
ヘーゼルの瞳に大粒の涙を浮かべて、グレンはえぐえぐと泣き始める。大きな体を丸めてしゃがみ込む姿は、大型犬のそれを彷彿とさせて、ふたりの少女はため息をつきつつも苦笑した。ユリアの手にした剣は、それだけで手首が折れてしまいそうなほどに重くて、今更ながら、グレンの怪力に驚く。
「じゃあ、こうしようよ、グレン」
人差し指を立てて、ニーニャが微笑んだ。地面に座り込んでしまったグレンと目線を合わせようとかがみ込むような姿勢になると、パニエでふくらんだスカートから太ももが際どいところまで見えてしまう。誰もいないと知りつつ、片方の手でスカートを押さえながらニーニャは言った。
「勇者ってのはさ、まあ、色々と面倒臭い仕事もたくさんあるわけ。でも、その根っこの部分ってのはシンプルだから。つまり、人助けをたくさんしろってことなの。だからさ。 どかんと一発、大きな人助けをして、世界中のひとにグレンが勇者だってことを知らせてしまえばいいんじゃないかな。それならさ、アメリアちゃんだって、グレンのことを喜んで迎えてくれるはずだよ」
「ほんとに……?」
への字口のまま、グレンがうるうると光る瞳でニーニャを見上げる。意外に可愛らしいその仕草に、不覚にも一瞬ときめいてしまってから、慌ててニーニャは傍らにいるユリアと目を合わせた。こくりと頷くユリアを確認してから、ニーニャがアイドルスマイルを浮かべる。
「ほんとに。ね? だから、もうちょっと、頑張ろう?」
「……わかった」
「よし。決まりだな」
ユリアが言って、立ち上がったグレンに剣を渡す。塚を手にして刀身を見つめると、グレンは旅が始まってからようやく、素直な微笑みを顔に浮かべた。
「ユリア。 ニーニャ」
「ん?」
「何だ?」
「よろしく」
差し出された手は、今まで知り合った誰よりも大きく厚く、そして純朴な匂いがした。少し照れ臭そうにそれに手を重ねると、ふたりの少女は声を揃えて、
「よろしくね、グレン」
「よろしくな、グレン」
「うん」
麦穂のようなブロンドを揺らしてグレンが微笑み返す。
「あ。 あれ、一応持って行くか?」
「あれ?」
「モンスター。食べられるかもしれないから」
「いい、いい、いいよ、グレン! 食べないから! よしんば食べられたとしても、食べないから!」
「そうか……? もったいないなあ」
名残惜しそうに言って、グレンが手を引っ張られて、モンスターの残骸が散乱した地を後にする。
アメリア。兄ちゃん、頑張ってみるな。早く会えるように。早く、アメリアに会えるようにさ。