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Act V ; The origin of こんなはずじゃなかった

 こんなはずじゃなかった。


 そう言われたことは多々あったけれど、彼自身がそう思ったのは、それが初めてだった。


 小さい頃からなんでも手に入る環境にあって、小さい頃からなんでもできた。やろうと思ったことは笑ってしまうくらい簡単にマスターできてしまって、周囲の大人はそんな彼を天才だと持ち上げたけれど、彼自身はそんな賞賛の言葉に何ら心動かされなかった。


 それが劇的に変わったのは、彼の体がが周囲の思うような速度で丸みを帯び始めなかった頃からだ。


 そのうち、城内でささやかれる様々な憶測の声が、彼にも届くようになった。荒唐無稽で、いっそその仮説をもとに小説でも書いてみれば良いのではないかと勧めたくなるような馬鹿げたものから、父親に比べれば幾分、出自の劣る母親をこれでもかと貶めるようなものまで、色々な声を聞いた。


 そしてその時、人間はあてにならないと学んだ。

 彼らは、その性格の根本が善であれ悪であれ、すぐに意見を変える。流される。翻弄される。およそ筋というものを持たない。

 そんな彼らの価値観に振り回されるなど、これ以上に愚かしいことなんてない。


 そう思ったからこそ、彼は城内でも背筋をまっすぐに伸ばして歩くことができたし、井戸端会議に精を出す使用人たちが、彼の姿を認めて恥ずかしそうに俯くのにも微笑みをもって対処できた。


 両親が方々を頼ってやって来させた医者たちは、軒並み役に立たなかった。分からないと首を振る医者たちは、彼のことをどこか不気味そうに見ていたし、彼らが帰ると、父親は怒り狂い、母親は嘆き悲しんだ。彼自身は、医者が来るたびに素っ裸にさせられることに、マイルドなストレスを感じただけだ。


 でも。


 その日やってきた医者は、これまでの者と違った雰囲気をまとっていた。極東の国からはるばるやってきたという彼は、白い山羊のような髭に隠れた薄い唇をもごもごと動かして、訛のきついオード語で


 「公爵令息は、女性ではありません」


と言った。


 この発言の意味は、文章の平易さと反して、その場にいる彼自身にも両親にも理解しがたく、三人はただ目を瞬かせるだけだった。


 「でも、ドクター。アレックスには、その…」


 「ええ、マダム。おっしゃろうとされることは、いかにも。しかし、この年齢では、然るべき成長のサインがあっても良いもの。それがないのではありませんか?」


 医者の指摘したことこそが、母親を悩ましていた内容だったので、彼女は素直に頷いてしまいたいのを我慢して、ただ奥ゆかしく目を伏せただけだった。


 「アレックス様」


 未だ一糸まとわぬ姿で仁王立ちになっている彼の手を、医者が握った。それはひんやりと冷たく、しわくちゃではあったが決して冷酷な人間のものではなかった。


 「性別など、些末なことなのです」


 この発言は、彼にとっては大きな影響を与えるものだったが、それ以上に、この場に置いて彼の父親の逆鱗に触れた。少なくなってきた頭髪が逆立って、たんぽぽの綿毛よろしく風にさらわれてしまうのではないかというくらいに頭頂部でそよいでいるのを、彼はおかしそうに見つめていた。


 そうだ、些末なこと。


 そもそも、彼は生まれたときから彼だった。周囲がドレスを着せたがるから、それでもいいかと思って着ていただけだ。男子が嗜む趣味は、彼にはあくびをしながらでもマスターできたし、同等に女子が嗜むものも簡単に会得してみせた。


 美しいものは、ただ美しい。それでは駄目なのか?


 そんな問いを投げかけられるような大人はいなかったので、彼は自分の意見や気持ちについてのディスカッションをしたことはなかったけれど、それは表面上は彼がおとなしく振る舞っているだけで、決して彼が考えない子供であることの証明にはならない。なのに、周囲は彼が何も言わないのは、何も考えていないからだと思っている。


 実に愚かしい。


 東国からの医者が罵倒を浴びせられ、部屋の外で待機していたガードたちが呼び入れられ医者を引きずるように連れ去るのを、ガードたちに体を見せないように素早く母親が彼にガウンをかけるのを、彼はうっすらと笑って見ていた。


 「え、ちょっと待って。こんなはずじゃなかったって思ってないじゃん」


 「お前な。ひとの話は最後まで聞いたらどうだ?」


 「だってー。アレックスの話ってやたらと文学的な言い回しばっかりして、しかももったいぶってるから、つまんないんだもん」


 「ニーニャ!」


 「なによう、本当のことでしょ。あ、あれでしょー。アレックスってば、今までお嬢様だかお坊ちゃまだか扱いされてたから、こういう真実の声を聞いたことないんじゃない?」


 「そうだな、陰口ではよく聞いたが、面と向かって言われるのは初めてかもな」


 「えーでもあたし、アレックスのこと嫌いじゃないよ?」


 「そりゃどうも」


 確実に頭の回転以上に口の回りの良い少女を、彼はニヒルに笑って見つめる。


 アレックスの話の腰を折ったニーニャに気分を害した風でもなく、彼はただ、ぺらぺらと話し続けるニーニャと、それを止めようと躍起になるユリアを横目で認めただけだ。


 「ていうか、あたしが気になってるのは、そのお医者さんの行方なんだけど」


 「東国のか?」


 「そう」


 歩くアレックスの目の前に立って、ニーニャが胸の前で両の拳を握る。手に力が入ると同時に、脇が締まってすでに見えている胸の谷間がさらに深くなる。


 「さあな。それまでも、他の医者にはたんまりと口止め料を払ってはいたみたいだが、全員が全員、口が堅いわけじゃないからな」


 「え、なにそれ。怖いんだけど」


 「あ、アレックス。それはもしや、その、ちょっとでも口外したら、その…」


 なぜか怯えたようにユリアが眉根を寄せる。その顔が、いつもの冷静な彼女には似合わず、少女のようだったので、アレックスは吹き出してしまう。


 「分からない。調べれば分かることだろうが、残念ながら、そこまでは俺にも興味がなかった。まあ、セクハラまがいの触診をしてくる医者もいたからな。自業自得だろう」


 「セクハラ? ああもう、男っていっつもそうだよね。別にあたしは、あいつらに見られるために胸が大きくなったんじゃないっつーの!」


 自分との共通点を媒介に大きく共感し、憤慨しているニーニャの怒りの炎に、グレンが油を注ぐ。ちなみに彼は、今の今まで歩きながら眠っていた。


 「違うのか?」


 「違うに決まってるでしょ! グレン、怒るよ!」


 「もう怒ってるようにみえるんだけど…」


 「グレンのせいでしょ!」


 げし、とニーニャがグレンの膝の裏を渾身の力で蹴るが、勇者どのはびくともせず、代わりに、蹴りを入れたはずのニーニャが「痛い! どういう肌してるの、石なの、石でできてるの?」と涙目で訴えた。


 「で?」


 アレックスが鷹揚に尋ねる。


 「え、なにが?」


 「話の続き。聞くのか、聞かないのか?」


 「聞く聞く!」


 予想通りの反応をするニーニャに、アレックスは満足そうに口元を緩める。


 あの日のことなら、事細かに覚えている。

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