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Scene 3 : 目覚めには喉越しスッキリの蹴りを

 城の中の住人は、グレンたちを除くすべての人間が時を止める魔法にかかっていると思われる。人気がないのはそのせいだが、アレックス・テレンシアの寝室として使われているこの部屋は厚い壁で覆われていて、通常時でも人の声を通さない部屋だったのだろうと容易に想像できた。ひどく静かな部屋だ。


 足首まで埋まるのではと思わせるくらいにふかふかの絨毯。グレンの家の総面積よりも広い寝室には、出窓が合計五つ。そのすべてに天井から床まで届く長いカーテンがかかっていて、趣味良く使われた金糸と銀糸が窓から射す光に反射してキラキラと輝く。おとぎ話のような光は淡く柔らかく、部屋の真ん中に位置どる豪奢なベッドへとたどり着く。直接の日光が貴族の肌を傷めないよう、十分に考慮された位置だ。


 そのベッドのマットレスは、グレンの村で豊作だったときの麦をしこたまかき集めて山にしたような厚さだ。座ってみたときにも感じたが、雲の上とはこういう感覚なのかもしれない。四隅には木製のポールが天井近くまで伸び、天蓋へとつながる。神話に出てくる霞のような布が、天蓋からベッドをふわりと包んでいた。その一角、グレンが座っている面は布が開いて、出窓からの光が他と比べると強く差し込んでいる。


 足を踏み入れることの許されない雪景色のごとく真白い布団にくるまれていた、テレンシア公爵令嬢アレックスは先ほどまで、その雪に囲まれて瞳を閉じていた。


 他の住人と同じく時を止められていたのだろうと思っていたら、グレンの本能に任せた荒療治で、どうやら目を覚ましてしまったらしい。


 開いたアレックスの瞳は瞳孔は深い緑、虹彩にはセラフィナイトのようなシルキー模様が入っていて、艶やかな黒髪と相まって、見る人を惹きつけて離さない力を感じさせる。中にどれくらいの量が羽毛が詰められているものか、頭の重みでも沈まない弾力を持った枕から離れ、ゆっくりと起き上がった。さきほど見た公爵や公爵夫人とは違い、まだ寝間着姿のようだ。華奢な鎖骨が見え隠れする。


 眠っていたときからその美貌はわかりきったものだったが、いざ起き上がって動くアレックスは、他を圧倒する淡麗さだった。グレンが強制わいせつ罪で捕まるのではと心配していたニーニャとユリアも、唖然としてその場で硬直していた。可愛いが正義なら、美しいは凶器だ。


 「おい」


 その美少女としか言いようのない容姿にはややそぐわない、低く艶っぽい、そしてどこかしら乱暴な響きのする声で、アレックスはグレンを睨んだ。真正面から視線を受けてなお、グレンはぽかんと口を半開きにしたまま、アレックスに見とれている。


 「ちっ」

 舌打ちをすると、もったいぶった仕草で、視線と顔とをニーニャたちに向けた。


 「こいつ、馬鹿なのか?」

 「残念ながら」

 「確実に、馬鹿です」

 「ふうん。見たまんまだな」


 コクコクコクコク!と何度も首肯して答えれば、アレックスは気にした風でもなくグレンに流し目を向ける。その妖艶さに朴念仁だったはずのグレンが奇声をあげるのを興味深そうに見て、そして、もう一度ニーニャたちに問いかけた。


 「オレを起こしたのは、こいつか」


 再度、コクコクコクコクコクコク!と首を上下に激しく振る。決して、アレックス嬢の眠りを強引に覚まさせたのは我々ではなく、そこにいる知能の足りない田舎者ですと言わんばかりに。


 「どうやって?」

 「え」

 「どうやってオレを起こしたと聞いたんだ」

 「それは……」


 素早くニーニャとユリアが目配せをする。答え方を間違えれば、グレンを唆した者として裁かれるかもしれない。有名にはなりたいが、犯罪者にはなりたくない。


 「そこの彼は、その、アレックス様があまりにお美しいので、眠り姫と混同し、その」

 「オレが? 眠り姫だって? は!」


 皮肉に口元を歪めていても、アレックスの美貌に影が射すことはない。


 「で?」

 「そ、それで、その……。止めたのですが、アレックス様の、その唇に」

 「キスしやがったのか、こいつ」

 「は、は……い……。そ、そういうことになるかと」

 「ははは! 面白い。このオレに触れようなんて気概のあるやつは、そうそういないからな」


 両腕を布団の上に投げ出して、アレックスは屈託なく笑った。一緒に笑うべきか否か悩んだニーニャたちは結局、半分笑顔になろうとした中途半端な顔で固まる羽目になる。上半身を屈めて、いまだ見とれたままのグレンにアレックスが微笑みかける。


 「おい、お前。名前は?」

 「…………」


 アレックスに時でも止められたのか、アホ面のまま微動だにしないグレンの肩を、ニーニャが激しく揺り動かした。


 「グレン! アレックス様が話しかけていらっしゃるのよ! 返事して!」

 「……へ?」

 「……へ? じゃなくて! 名前! ちゃんと自分で言って!」


 脳と視神経がもう一度繋がったらしい。グレンの瞳がアレックスを認識するやいなや、ニーニャの胸を見てもユリアの脚を見ても何の反応も示さなかった、妹命のグレンが赤面した。


 「どうした?」


 低い声でそう呟くアレックスが、さらに上半身を屈めて、膝を抱くような形でベッドに座っている。むき出しになっている二の腕に、絹のような髪がかかる。グレンは真っ赤になったまま、消え入りそうな声で、


 「ぐ、グレン・トライブです……」

とだけ答えた。


 「なあ、グレン。オレを起こしたのはお前だって話だけど、本当か?」

 「ホントウデス」

 「オレにキスしたんだって?」

 「……眠り姫は、キスで目を覚ますから」

 「ふふ、ロマンチックだな。でも、眠ったままのオレじゃ、キスした実感なんかなかっただろ?」

 「…………」

 「遠慮なんかしなくていい。本当のことを言え」

 「実感は、なかったデス……」

 「だろうな。なあ、グレン。もう一回、してみるか? 目を覚ましたオレにキスをしてみたいか?」

 「…………」

 「グレン。お前は、オレを目覚めさせてくれた恩人だ。なあ、どうなんだ?」

 「シテミタイデス……」


 ニーニャとユリアが、この変態野郎が!と軽蔑の炎を目に宿し、グレンに無言の火刑を与えている間も、アレックスは余裕の笑みでグレンを見つめていた。膝を抱えていた手を離し、グレンの方へと手をついて近寄る。アレックスに引き寄せられるように、グレンも体を動かした。グレンの両頬に、アレックスの陶器のような白い手が添えられる。


 「いいぜ。もう一回だけな」


 囁いて、目を細めた。花びらのように瞳孔から開く虹彩を間近で見て、グレンはいよいよ頭頂部から湯気を出しそうな勢いで体全体から熱を放出している。


 「……なんて言うと思ったのか、この豚野郎が!」


 ドスのきいた声が聞こえたかと思うと、アレックスが頬に添えた手に力を入れてグレンの顔をロックすると、その鼻頭に向けて迷いなく頭突きをくらわせた。類稀なる石頭の持ち主で、アメリアにはよく「お兄ちゃんって脳みそがほとんど入ってないから、その分筋肉で頭が硬くなったのよね」と褒められたグレンだが、鼻の頭は軟骨で柔らかい。そこに潔い頭突きが入ったので、チカチカと目の奥で星が飛んだ。


 反射的に顔を天井に向けると、無防備になったその喉仏に、これまたキレの良い手刀が入る。カエルの潰れた声を出して、グレンは盛大に咳き込んだ。


 「このオレの寝込みを襲おうなんて、一万年早いんだよ、カスが」


 言い捨てて、アレックスは胡乱な目つきをニーニャたちに向けた。その美しさと恐ろしさに、二人は悲鳴を上げて、お互いの手を取ってすくみあがった。


 「おい、お前ら。名前は?」

 「ニーニャ・ガルダスです!」

 「ユリア・モースタンです!」

 「……ヴェランデ人か?」

 「は、はい!」

 「ニーニャ、ユリア。着替えるから手伝え」

 「は、はいいい!」


 体力馬鹿で脳筋で、体が丈夫なことしか取り柄がないと思っていたグレンを肉体的にやりこめたアレックスに慄いて気づかなったが、アレックスは発音の良いヴェランデ語でニーニャたちに命令していた。つられて、二人はヴェランデ語で返事をしている。


 「げほげほ、げほっ……」

 「お、もう話せるのか。お前ただの馬鹿じゃなくて、体力馬鹿なんだな」


 ベッドの真ん中に、寝巻姿で立ち上がったアレックスは、むせながらも声を発したグレンを面白そうに見下ろした。そんなアレックスを見上げると、グレンは顔を赤らめて言った。


 「い、今のが、本物のキスなのか……?」

 「違うに決まってんだろ、ばーか!」


 アレックスの容赦ない蹴りが、グレンの顔に命中した。


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