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Scene 5: How extraordinary this ordinary day is...

や。や。やっと、更新、でき、た……(ばたり)。


忘れられた頃に更新される小説として悪名高くなってませんでしょうか。な、なってますよね、きっと(汗)

すすすすす、すみません……!!

Act IIIはあともうひとつで、終了です。

そうしたら、もっと書きやすいあのひとがついに登場です!

読んでいただければばれちゃうと思うのですが、私、シーニャがかなり好きなのです。好きすぎて、どんどん彼女の出番が増えてしまいました(滝汗)


 ある日、ニーニャに突然腕を掴まれ、校内を走らせられた。起伏が激しいというか、行動が突然というか、予測出来ないことを予測出来ない速度で行動に起こすというか。兎に角はちゃめちゃな行動が多いニーニャではあるが、これにはさすがのユリアも目を丸くした。

 手首を掴んだまま、前を一心不乱に走るニーニャについていくので精一杯で、疑問を挟む余地などない。とうに二人とも息は上がっていて、会話をするどころか、足がもつれないようにするのに集中しきっていた。


 「ど、どう、した」

 息も切れ切れながら、少ない言葉で何とか尋ねてみる。

 「いい、か、らっ」

 案の定というか、ニーニャらしいというか。何の答えにもなっていない答えが返ってくる。ちらりとこちらを振り返ったニーニャは、チャーミングに片目を瞑ってみせる。


 広大な敷地を擁する魔法学校は、四方を高い壁に挟まれている。この学校から、次代を担う大魔導士や賢者が生まれるのであるとすれば、ここで育てられる才能の卵ひとつひとつが重要機密になりかねない。というのが学校側の見解だが、生徒として身を置くユリアにしてみれば、取り越し苦労に過ぎないと思う。もっとも、ニーニャに言わせると、自分を高く売ったもん勝ちなのだから、あながち学校も馬鹿ではない、ということらしいが。

 その四方の壁から校舎までは更にまだ距離があるので、よしんば壁の上によじ登れたとしても、授業風景などは見えないのが現状だ。だからこそ、ユリアは学校の神経質さに嘆息したくなる。

 そして今、ニーニャに手を引かれて走り続けるユリアは、その壁のひとつに向かっていた。

 灰色の無愛想な壁が目の前に近付いてくるにつれ、走る速度を段々と緩めはしたものの、ここまで全力疾走してきたせいで、上がった息はまったく整わない。息を吸うと同時にひゅうひゅうと肺が悲鳴を上げる音までする。幸い、最近気温がぐっと下がったおかげで、あまり汗をかかずにすんだ。


 「に……」

 膝頭に手の平をおいて、背を丸めて息をしているニーニャのツインテールに声をかけようとした。


 「おーおー。そない走らんでもええのに」


 ひとを小馬鹿にしているような、それでいてこちらを労るような独特の口調。入学と同時にヴェランデ標準語に変える生徒が多い中、北ヴェランデアクセントを使い続ける、その甘い声。

 肩を上下させたまま、声がした方向に視線を向けた。


 やはり、というべきか。


 見知った顔はそのままに、いつもよりも少しだけ困ったような、苦笑に酷似した笑みを浮かべて、そのひとは壁の上に腰掛けていた。タイトなミニスカートは黒。そこからすらりと伸びる脚は黒いタイツに覆われていて、足元はごつい黒のレースアップブーツ。もちろん、ヒールなんてついていない。シンプルな服装なのに、足を組んでこちらを見下ろすたったそれだけの仕草がとても色っぽい。そう、同性ですら見惚れるくらいに。


 「し……」

 「ああ、ええて。まだ息が上がって喋られへんのやろ? 無理せんでええ」


 首を軽く左右に振って、ユリアの言葉を止めると、軽い身のこなしで壁から降りてみせる。結構な高さがあるはずなのに、大した音も立てずに着地する様は、猫のよう。

 黒のノースリーブタートルの上には、真白いマント。防寒用にしては少し生地が薄い気がするが、彼女は寒さなど気にしていないようで、ぜいぜいと息をするユリアとニーニャとを見つめていた。


 闇夜にあっても光り輝くであろうダークグリーンの双眸を細めると、す、と片手をふたりにかざす。

 「あ……」

 ニーニャが小さく感嘆の声を洩らした。それもそのはず。あれだけ体中に広がっていた倦怠感が、ふわりとどこかへ浮いていくように消えていく。そして代わりに注入されるのは、夏のお日様にあてられたような暖かい充足感。


 「どや? ちょっとはましになったか?」


 回復リクペラシオン精神向上メンテメホーラを同時に、しかも複数の人間に。その上呪文詠唱なしで。顎が外れるくらい桁違いな魔導の才を見せつけられて、ようやくユリアは今のこの状況を現実と認識出来る。自分が今対面している相手が、そういった非現実を扱う人物なのだと。非現実なほどの魔導で、現実感を感じるだなんて、おかしな話ではあるが。


 「ありがとうございます、エモリス先輩」


 律儀に礼をするユリアに、シーニャ・エモリスはふんと鼻で笑って応える。


 「いいや? ここまで走ってもろたんは、うちやさかいなあ。これくらい、礼を言われるうちにも入らんわ」

 さばさばと言い切ってから、首だけを校舎の方に向ける。小さく、

 「ふん……。頭の堅い教師に勘付かれると、ややこしいことになるな。ちょっと、消そか」

 「消す? 何を?」

 「ちょっとの間、見えへんようにすんねん」


 言うや否や、三人を白く淡い光が包み込む。半球体をしたそれは、こちらからは磨りガラスのように外が見える。


 好奇心に駆られて、ニーニャがそれに触れようとしつつ、半身だけをシーニャ・エモリスに向ける。

 「これ、なんですか?」

 「んー? 何やろな。オリジナルやから、名前はないんと違う? 教科書にも載ってへんし、一応歴史書にも目を通したけど、それにも載ってへんかったわ。似たようなんなら、色々載ってたけどな」

 「オリジナル、ですか」


 決して浅くはない魔導の歴史の中で、複合魔導や混合魔導と呼ばれる類は、えてして難易度が高い。効果と呼ばれるほどの効果すら起こせず、机上の論として扱われるだけのものも多数ある。その中で、オリジナルを作り出せるというのは、並大抵のことではない。

 目を瞠って、というよりも目をひんむいて凝視するふたりに、シーニャ・エモリスは片眉を上げて困ってみせる。


 「なんやなんや。そないな顔せんでもええやんか? たかがオリジナルのひとつやふたつや。それも、そこまで実戦力はない類や。別に自慢するようなことやないで」

 「聞いても分からないかもしれないんですが、ひとつ、お尋ねしても良いですか?」

 「ユリア。あんたのそれは、美徳かも知れへんけど、あんまり褒められた癖とちゃうなあ。必要以上に自分のことを謙るのは、逆に相手に失礼になったりすんねんで。あんたは、自信過剰になる心配がない代わりに、もうちょっと、自分のことを客観的に評価する癖をつけた方がええわ。……と、説教臭くなってしもたな。あかんなー。年やな。ほんで、何や? 聞きたいことて」

 「今の、この光の膜、何の複合魔導なんでしょうか?」

 「外側が迷彩カムフラーヘで、内側が沈黙シレンチオ、仕上げに半径一キロほどに回避エヴァシオンをかけただけや。周りからはうちらのことは見えへんし聞こえへん。そんでもって、こっち近くに来たとしても、魔導が発動しているとは気付かへん、ちゅうわけや。今日みたいな日にうってつけやと思わへんか?」


 そう言って、片頬だけを動かして微笑む彼女は、暫くぶりに見たからこそ、直視するのも憚られるほどに美しかった。


 「呼び出して悪かったな、ニーニャ」

 少しだけ、声のトーンが変わる。それを感じ取ったユリアは姿勢を正し、ニーニャは再会の感動で潤んだ瞳はそのままに、何度も首を左右に振った。

 「いいえ! そんな、悪いだなんて。嬉しかったです。本当に」


 ユリアの心中を読んだのか、それともその質問をあらかじめ予測していたのか。どちらにせよ、内心、どのように尋ねれば良いのか考えあぐねていたユリアにとっては好都合だった。


 「ニーニャにな、うちが連絡を取ったんや。うちは確かに、この学校の自慢の種のひとつかもしれへん。せやけどな、同時に厄介な問題児でもあったさかいな。煙たがられてるねん。そんなうちが、生徒のひとりに会いたい、言うたらどうなるか、まあ予想はつくわな。それでなくても、ここを出るときに、金輪際、在学生との接触は取らんでくれ、言われてるからな」

 「どうしてですか?」

 「悪影響やからとちゃうか?」

 「そんな! シーニャ先輩が悪影響なら、他のどの先輩だって悪影響ですよ!」

 「ははは。可愛いこと言うてくれるやんか、ニーニャ」


 言いながらも、ニーニャの言葉に心動かされた様子はなく、シーニャ・エモリスはその猫科を連想させる瞳を細めて、ユリアに視線を動かした。


 「……なんですか?」

 「これ。預かりもんや」


 一目で上等なものだと分かる、一通の封筒。少し小振りなそれは、シーニャ・エモリスの手にすっぽりと収まっている。封筒の角のひとつを指でつまんで、ユリアに差し出した。


 「私に、ですか?」


 指先に触れた封筒は、見た目から想像された通り、とても滑らかな手触りをしていて、いよいよ上質なのだと理解する。封筒の表には、黒のインクでユリアの名前。裏側にはゴールドの封蝋。そこに押された印璽いんじの紋章に、目を瞠った。

 「これ」

 それ以上、きちんとした言葉を口に出せずに、驚いた顔のまま、シーニャ・エモリスを見上げる。彼女は、普段見せるひとをからかうかのような笑みではなく、優しく思慮深い微笑みをたたえていた。


 「手紙、書いたんやって?」

 「え? え? なに? なに? どういうこと?」


 ひとり、事情の飲み込めないニーニャがツインテールを揺らしながら、ユリアの肩越しに封筒を見ようとする。


 「え! それ、その印璽って、まさか!」


 そこに押されていたのは、紛れもなく、ロクサンヌ公国の王家のもの。


 「ちょ、まさか、それって、リオ先輩からの手紙なの? え、なんで? なんでなんで? ユリアってば、なんでまた。リオ先輩から直々にお手紙もらっちゃうの? すごいんだけど! でも、なんで?」

 矢継ぎ早に繰り出される感想と質問に、ユリアは首を傾げるしかない。

 その答えは、目の前に立つ『聖』からもたらされた。


 「リオに手紙、書いたんやろ? 喜んでたで。知り合って長くもないあんたに、手紙をもらえるなんて光栄や、ってな」

 「ユリア、リオ先輩にお手紙書いたの?」

 「……ああ」

 「そっか」

 「なんで、とは聞かないのか?」


 目尻が下がるほどに笑みを深めた友人に、ユリアは眉を顰めてしまう。あれだけ好奇心全開で質問しておいて、ここで引かれると、逆に不自然だ。


 「だって。書きたかったから、書いたんでしょ? 良いじゃない、それで。返事もらえて、良かったね」

 「……ああ」

 「リオな。実は、別にこの学校に来る予定とちごてん。うちが、無理矢理引っ張ってきたようなもんやから。学校は、うちが退学した理由は、リオやと思てる。そんなんとちゃうのにな。やから、ユリアに返事を書いて送っても、きっと学校が受け取り拒否するやろうって思たみたいやな。それで、うちにおつかいを頼んできたわけや」

 「ありがとうございます」


 ユリアは、深々と頭を垂れた。他に、どうすれば良いのか分からない。返事が欲しくて手紙を書いたんじゃない。そう言ってみようかとも思ったが、それを言ってどうなるのかは分からなかった。ただ、返事を書いてくれたリオ・スシールへの感謝と、これをここまで届けてくれたシーニャ・エモリスへの感謝を、他にどうやって伝えれば良いのか分からなくて、ユリアは長い間頭を下げ続けていた。


 「っていうのも、実は口実でな」


 視線を下に向けていたから、それを言ったシーニャ・エモリスがどんな顔をしていたのか分からない。


 「うちもな、会いに来たかってん。ニーニャ。これは、あんたにや」


 はっと息を詰める音がした。あのお喋りなニーニャが、あの口から生まれてきたのでなければどこから生まれてきたのか分からない評されるニーニャが、言葉もなくして傍らに立っている。


 「泣きなや」


 片眉を上げながらも苦笑するシーニャ・エモリスは、手の平に置いたそれをニーニャが受け取らないので、仕方なくそれをもう一度握りしめる。もう片方の手で、ニーニャの後ろ頭を撫でてから、ぐいと自分に引き寄せた。たたらを踏むように、ニーニャが憧れ続けた先輩の方に近付く。必然的に、意外と背丈のある彼女の胸に頭を置く形になったニーニャは、その白い肌をさっと赤らめて硬直してしまう。そのショックからか、すっかり涙が乾いたニーニャがそっと視線を上げると、シーニャ・エモリスのそれと真っ向からぶつかった。


 「泣かんでええ。な?」


 こくこくと必死に頷くニーニャに、シーニャ・エモリスは朗らかな笑顔になる。ニーニャの涙に濡れた頬に残った雫を指ですくってから、閉じていた手の平を広げてみせた。


 「これ……」

 そこに置かれたものを凝視する。何度見ても変わらないそれに、それでも信じられないとニーニャの顔が叫んでいる。

 「ユリア……」

 リオ・スシールからの手紙を手にしたまま、傍観者に徹していたユリアの方を向いて、ニーニャが困った呈で呼ぶ。

 「どうした」

 気の利かない言葉だとは思いつつ、それしか口をつかなくて、自分の不甲斐なさに後ろ頭を掻きつつ、ニーニャの元へと歩み寄った。

 「これ」

 大きな瞳をこれでもかと見開いて、ニーニャが指し示すそれを見て、ユリアもまた絶句せざるをえなかった。


 シーニャ・エモリスの手の平の上に置かれたのは、紛う事なき魔力検定の石。小振りなピアスサイズのその石は、ユリアにもニーニャにも見慣れたものであったし、この学校に通う生徒なら誰でも手にしているものだ。魔力検定の石は、手にした人間の素質を汲み取って、様々な宝石へとその質を変じる。いわば、魔導に携わることを考える人間が真っ先に手にする魔導具が、魔力検定の石だといえなくもない。

 ニーニャが持っているものはルビー。フオーコの魔導士であることを意味する。ユリアが持っているのは、パール。これはユリアが賢者の資質を持っていることを示す。今、ふたりの目の前にあるそれは、オパールだった。それも、とても色の薄い、ウォーターオパールと呼ばれるもの。オパール自体も珍しい。魔導士というのは、何かひとつの特性魔導に強化した者が多い中、オパールを手にする魔導士というのは、全ての特性魔導を操れる。その中でも極めて特殊なのがウォーターオパール。これは、賢者の資質を持った魔導士が手に入れられるものだと、図書室の資料や魔導歴史などで繰り返し教えられてきた。そしてその資質を持った者は、『聖』の称号を与えられるのだと。


 それが、目の前にある。


 眼前の宝石と、頭の中に入っている知識とが、上手く噛み合わない。そのふたつから導き出される結論はひとつしかないはずなのに、ニーニャとユリアのふたりともが、回らない思考回路に翻弄されるまま。


 「ユリア。リオからもらった封筒、開けてみ?」


 思わせ振りに、シーニャ・エモリスが言う。囁くようなその声に誘われるまま、ユリアがおぼつかない手で封筒の封を切った。


 中に入っているのは、封筒と同じくらい上質な紙。それを広げてみれば、リオ・スシールの容姿を彷彿とさせる、流暢でいてどこかあどけない筆記体。


 『ユリアちゃんへ

  お手紙、ありがとう。とても、嬉しかった。

  これをこのまま送れば、きっと貴方には届かないと思うから、少々柄が悪くて口の悪 い郵便屋さんに託します。

  この気持ちが、ユリアちゃんに届きますように。

  

  リオ・スシール


  PS. 気持ちばかりのものだけれど、ユリアちゃんとあたしの思い出として、受け取ってくれると良いな』


 簡潔ではあるけれど誠実な文面に、恥を忍んで文をしたためたユリアの気持ちが楽になる。


 ただ、最後の文章が引っかかった。そして、その引っかかりを後押しするように、封筒の中の何かが指に触れる。


 「どうしたの、ユリア」

 「中に、何か入っているみたいだ」

 「え?」

 手紙を指で挟んだまま、封筒の口を開けて、もう片方の手の平の上へと逆さまにすると、ころんと小さなものが転げ落ちた。

 「これは……」


 手の平で赤く輝くそれは、またもや魔力検定の石。こちらはルビーのようだった。ニーニャが手にしているのと同じサイズのそれは、光を受けて七色に変化するオパールと違って、煌々と意志の力を感じさせる光を放っている。『火』を示すものであると、一目で分かる。『火』の魔導士というのは、別段珍しいこともないため、それ自体には驚かない。ユリアが言葉をなくした理由は、ただひとつ。その石が、ピジョン・ブラッドと呼ばれるルビーだったからだ。


 「ラス・ジャマス・デ・インフィエルノ」


 上質のアルコールを彷彿とさせるまろやかな声で、シーニャ・エモリスが言った。


 「聞いたことあらへんか?」

 「も、もちろん」


 聞いたことはある。魔導に少しでも知識があれば、知らない人間なんて、いないはずだ。

 紅蓮ヘルファイアの名で知られるそれは、元々はオード帝国で見つかった。魔導士を輩出する歴史を持たず、あくまでもその屈強な物理的戦闘能力に秀でた騎士国家オードにおいてそれが発掘されたことによって、オードは一気に魔導界にも知られるようになった。


 「『火』の特性魔導の中でも、より強く、より純粋な才を持つ者が手にすると言われている石ですよね」

 教科書で読んだままを呟けば、ニーニャも首を縦に振って同意する。

 「プレゼントや、うちとリオから。ニーニャが持ってんのが、うちの魔力検定の石。あんたの手にあるのが、リオのや」

 「スシール先輩って、紅蓮持ち《インフィエルノ・デュエーニョ》なんですか」

 「公にはしてへんねんけどな。色々と、面倒なことになるさかい」

 「面倒なことって?」

 「せやなあ。ロクサンヌは魔導の強い国やけど、国としては弱小やさかい、色々と政治に使われるかもしれんやろ、リオのその力が。そういうのんを、リオのおとんは嫌がるねん。ただの過保護かもしれんけど、まあ、国が関わってくるとなるとなあ。避けといた方が無難かもしれんわな」

 「なるほど……。そ、それで、どうして、これを私たちに?」

 「やから、プレゼントやて」

 「でも、シーニャ先輩の石はどうなっちゃうんですか?」

 大きな瞳を更に大きくして、ニーニャが尋ねた。

 「どうもならへんよ」

 動じず、落ち着いた視線をニーニャに向けてシーニャ・エモリスが言う。

 「いらんから、それ」

 「でも!」

 「いらんねん。うちも、リオも。あっても、しゃあないねん。むしろ、あった方が足枷になるねん。ほんまはな」


 苦笑と共に、少しだけ視線を上方に泳がすと、またニーニャにそれを見据える。


 「捨てよかな、って言うてたんや、リオと。そしたらリオが、これの価値が本当に分かるひとに渡したらどうかって言い出してな」

 「本当の価値?」

 「紅蓮ヘルファイアーが凄いだの、白賢者サッジョ・ビアンコが凄いだの、そんなどうでもええことを言わんやつに渡す、ちゅうことや。そういう付加価値は、部外者が決めることやから。自分が誰か言うんは、結局のところ、自分で決めなあかんから」


 ふと、瞳が遠くへと移動する。シーニャ・エモリスに今見えているそれは、自分たちには知り得ないものなのだろうかとユリアは想像した。隣に佇むニーニャはきっと、それに嫉妬と羨望を感じているだろう。


 「自分のやりたいことをやるために、専攻学科の変更をしたんやろ? それの、お祝いやと思うてくれたらええわ」

 「ご存知だったんですか」

 「はは、実家が商家やからな。耳が良いねん」

 「でも、シーニャ先輩。こんな凄いもの、受け取れませんよ」

 「なんで?」

 「だって、これ、シーニャ先輩の」

 「うちの? なんや?」

 「それは……」

 「うちのなんやろうな? 魔力の源? ちゃうやろ。ビジネスをする上での名刺? それもちゃうなあ。ほな、これは、なんや?」

 「これは……、だから……、シーニャ先輩の、あたしの、あたしが、シーニャ先輩を憧れるきっかけになった……」

 賢明に言葉を探そうとするニーニャに、シーニャ・エモリスはしたり顔で微笑む。

 「それは、あんた事やろう、ニーニャ」

 「あ! そ、それは、えっと、だから」

 「ええねん。苛めるつもりで言うたんやない。それで、ええねん。そういうあんたやから、これをもろて欲しいねん」

 「で、でも」

 「よーう考えてみ? これ、あんたが受け取らへんかったら、うちは捨てるつもりなんやで? どのみちいらん石っころや。これをもらったニーニャが、後どうしようと勝手や。転売するなりなんなり、好きにしたらええやん。どや。もろてくれへんか?」

 「そ、それは……」


 断れるはずもなく、ニーニャはへの字にした眉毛をユリアに向ける。ユリアは、静かに石の置かれた手の平を閉じて、シーニャ・エモリスに向き直った。

 それだけで、頭の良い彼女には充分だったらしい。満足そうに小さく頷いてから、白いマントを揺らして一歩下がる。


 「シーニャ先輩!」

 不安な気持ちをそのままぶつけてしまえと言わんばかりに、ニーニャが悲愴な声を上げる。

 「そろそろ、行くわ」


 「あ、あの!」

 すでに背中を向けてしまっているシーニャ・エモリスに、ニーニャは尚も声をかけた。


 「ニーニャ」


 何か、特別に言いたいことがあったわけじゃない。ただ、何かを言わなくてはいけないと思っただけなのだ。そんなニーニャの気持ちが分かったユリアは、助け船を出せない口べたなおのれを恨む。そして、ニーニャの収集のついていない言葉が発せられるよりも先に、シーニャ・エモリスが彼女の名を呼んだ。


 「は、はい」


 その声が、いつもよりも威厳に満ちたものだったからだろうか。自然と、ニーニャは背筋を伸ばして、返事をしてしまう。


 白いマントに、真っ黒な衣装。月下で息をひそめる獣を思わせる身のこなし。気高い狼の瞳に、闇に瞬く星空の輝きを持った髪。そして、本当は、誰よりもおひとよしで照れ屋な、その深い愛情と広い心。

 魔導の才だけではない。容姿、人柄、すべてにおいてニーニャの憧れを具現化した先輩は、首だけでニーニャを振り返ると言った。その目元が、少しだけ濡れているようにみえたのは、思い過ごしだっただろうか。


 「うちのこと、忘れんといてな」

 「あ、あ……。当たり前です!」


 震える唇を叱咤して、声を張り上げたニーニャは、ぼろぼろと涙をこぼす。それを受けて、シーニャ・エモリスは、

 「おおきに」

 言うやいなや、その姿がかき消えてしまう。


 彼女のかけた魔導は痕跡さえも残さず言葉通り消滅してしまい、その場に残されたふたりは、呆然と空を見上げた。


 晴れだとも曇りだともいえない、曖昧な空模様。雲の小さいのやら大きいのやらが、脳天気に漂っているばかり。風も、まったくないわけではなく、だからといって、びゅうびゅうと吹いているわけでもない。少し気温が落ちてきただけで、寒くもなく、また、あたたかくもない。

 どこをどう取っても、平凡極まりない天気。

 学校を囲む四方の壁は、依然として無愛想に立ち、校庭からは、魔導訓練に励む生徒たちの声が遠く聞こえる。面白味など感じられない校舎に、新鮮さのない風景が馴染む。


 それでも。


 この日を一生忘れないでいくであろうことは、容易に想像できた。

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