Scene 4 : IDにおけるシュールレアリスム考察
ほんとうっっっっに更新が遅れてしまって申し訳ありませんでした。
誰これ?このグレンての?何でこんなに馬鹿なの?
とか
何このニーニャっての、叫んでばっかりじゃん?
とか
ユリアってひと、可哀想……
とか
そもそも、何なの?こいつら
とか思われた方、ごめんなさい。作者の怠慢のせいです。
次の更新は、なるべく、なるべく、早い目に……。
あんぐりと口を大きく開いたまま、ふたりを見比べるニーニャと、眉根に深い皺を刻み込んで、額を手のひらで覆い沈痛に目を閉じたままのユリアのあいだで、グレンはぱちぱちと何度かまばたきを繰り返した。
「……なんで?」
それが、ニーニャの必死の思いで紡ぎ出した言葉だったが、
「なにが?」
あっさりとかわされて、歯を食いしばり憤怒の形相を見せつけるが、グレンはにこにことしたままだった。
「グレン」
見かねて、ユリアが口を開く。
「お前、本当に持っていないのか?」
「なんだったっけ? あい、あい、あ……」
「ID。 身分証明書だ」
「それって、どんなの?」
つい先程、ほんの二分ほど前にも見せたはずなのだが、と思いながら、ユリアが丁寧に四つ折りにされた紙を取り出し広げてみせた。
「これ、何て書いてあるんだ?」
「……読めないのか」
「だから、言ったろー。 おれは、字が読めなくても良いんだって」
「なんで」
憮然とした顔のまま、ニーニャが問う。
「だっておれ、農民だもん」
「ああああ、いまのなし、いまのなしね、おじさん!」
三人の掛け合い漫才のようなやり取りを黙って見守っていた、テレンシア領関所番の男性に、ニーニャが愛想笑いを振りまく。
自分よりも遙かに高い位置にある、グレンの首元に腕を伸ばしてひっつかむと、ぐいと引っ張った。
「ちょっと、何でこっちに顔を寄せてくれないのっ」
びくともしないグレンに、唇を尖らせると、
「ん? なんで?」
「いいから、ちょっとこっちに来い、グレン」
顎で、門番から離れた位置にある、質素な木造ベンチを示して、ユリアが先にそちらへ向かう。 グレンが急に動いたせいで、引きずられそうになりながら、ニーニャも後を追った。
「もう一度聞くぞ。 グレン、お前が成すべきことは何だ」
「アメリアのところへ、一刻も早く帰ることだ」
「……。 そうだな……。 そのためには?」
と、思わずこめかみを押さえてしまいながら、ユリア。
「さっさと勇者になる」
「そのためには?」
「有名人に、おれが勇者だって世間に言ってもらう」
「有名人というのは、この場合は?」
「あ、えと、あ、何だったっけ。 あ、あい、あいでぃー?」
「それは身分証明書だ」
「あ、そっか。 えっと、何だったっけ。 あの、ポスターの」
「アレックス・テレンシア」
「そうそう! 金づる!」
「そういうことは大きな声で言わなくて良いっ」
「えー? だって、そう言い出したのはニーニャじゃないか」
叱られて、拗ねたようにニーニャを見やれば、当の本人は空々しく口笛を吹いていた。
「アレックス・テレンシアを助けなければいけない。 ここまでは、分かるな?」
「うん。 だから、さっさと行こう。 その、何とかってひとんところに」
「だからっ! そのために、この関所に来たんでしょーがっ! そしたら? 勇者だぜとかって息巻いてる誰かさんが、ID持ってないとか言い出すから、ややこしいことになってるんでしょう? ていうか、そもそも、何でID持ってないの? 何なの? グレン、あなたは一体何なの? 今日日、お金持ちのペットですらID持ってたりするんだよ? じゃあ何、グレンはペット以下なの? 馬鹿だ馬鹿だと思ってたけど、常識の全く通じない田舎者だとは思っていたけど、グレンはそんっっっっっなに家畜に近い人間なの? それとも、人間ですらないわけ? どうなの、そこんとこっ!」
怒髪天を衝く、という形容詞のぴったりくる形相で、ニーニャが白い肌を上気させて叫んだ。 興奮し易い質で、尚かつおしゃべり好きな彼女は、気分が高まると同時に早口になる。 事実、最後の方は、渡り鳥の大群を思わせるノイズのようにしか聞こえず、慣れたユリアですらも訝しそうにニーニャを見つめるばかりだった。
「とりあえず、だな。 グレンのIDを何とかしないと」
「はあ、はあ……。 そ、そうね」
息も切れ切れにニーニャが頷くと、やおらグレンににじり寄る。
「ユリア!」
「おう!」
絶妙のタイミングでユリアがグレンを背後から羽交い締めにすると、その隙にニーニャがグレンのポケットをがさごそと漁った。
「な、何するんだ」
「どうせね、グレンのことだから、本当はIDくらい持ってるんでしょうよ。 だって、IDがないなんてそんなこと、あり得ないもの。 だから、残ってる可能性としては、グレンの頭が本気で悪すぎて、IDを持っていることを忘れてしまったか、IDをIDとして認知していないか、そのどっちかだって」
「……ユリア?」
特に抵抗するでもなく、グレンは眉をハの字に下げてユリアを困ったように見た。
「ニーニャの言ってる意味が分からない、か?」
「うん」
「後で説明してやるから、今は大人しくしていろ」
「うん」
大きな嘆息をつくユリアだったが、グレンの呆れ返るほどに純朴な笑みに、やれやれとかぶりを振った。
「おし! あったり〜! やっぱあたしってば天才! 頭良い! 勘も良い! ついでに、可愛い! くうう、天は二物を与えたり!」
くしゃくしゃになって、尚かつ何度か水を吸って乾いたらしい紙切れが、ニーニャによって取り出された。 誇らしげに歯を見せると、紙切れに素早くキスを繰り返す。 今にも踊り出さんばかりの振る舞いに、グレンが首を傾げる。
「……ユリア?」
「放っておいてやれ、グレン」
「うん」
グレンが、放置という優しさの応用をユリアから学んでいる間、ニーニャはいそいそと紙切れを広げると、
「どれどれ〜? ほらー、やっぱり持ってるんじゃない、ID! 嘘をつけってのよね。 ええと? ほほう、あたしとユリアよりもひとつ上なのね。 意外と童顔よね、グレン。 さあて、肝心の職業はっと……。 …………。 ………!」
満面の笑顔がさっと曇ったかと思うと、ぎゅっと目を瞑って、ごしごしと目元をこする。 かと思えば、まるで重度の近視に悩むかの如く紙切れに顔を近づけ、はははと乾いた笑いを繰り返し、そうして最終的には笑いたいのをこらえているような、いっそ泣いてしまいたいような、お手上げだと言わんばかりの顔でユリアを振り返った。
が、もちろん、グレンの背後にいるユリアには、その表情はグレンの大きな背中に遮られてまったく見えず、図らずもグレンと同じように首を傾げるのみ。
「ユリア〜」
「ど、どうした、ニーニャ」
「もお、やだあ」
「な、何がだ」
「グレンの職業欄が……」
「何が書いてあるんだ? 白紙なのか?」
「ううん、ちゃんと書いてあるよ。 くっきりはっきり、間違えようのないように、むしろ忌々しいくらいに濃い字で書いてあるよ」
「何て?」
「農夫って!」
「な!」
職業に貴賎はない、と信じている人間愛に溢れたユリアだったが、あまりのことに声を上げてしまう。
仮にも、これから貴族の娘を助けに行こうと、勇者として名を上げようと、名剣と誉れ高い『金穂の炎』を手にする者が、農夫とは。
シュール過ぎる。 上質のブラックジョークのような展開に、ユリアは目眩を覚えた。 その感覚が、日常的になりかけている自分の今の生活にも、シュールレアリスムが忍び寄って来ているのだろうか。 何と、恐ろしい。
このまま、何も知らなかった頃に回れ右して走り去ってしまいたい衝動を押さえると、ユリアは半泣きのニーニャにぎこちなく微笑んで見せた。
「だ、大丈夫だ、ニーニャ。 か、カモフラージュ。 そう、カモフラージュだよ。
農夫というのは、カモフラージュなんだ」
「そっか! 勇者ってばれちゃうと、ねずみ小僧的クオリティが損なわれるから!」
「ねずみ……? 何だ、それは」
「異国のカルトヒーローだよ。 この間、東からやってきたっていう商人のおっさんからもらった絵本に書いてあったの」
「そ、そうか。 グレンはカルトヒーローか……」
この期に及んで、まだぼんやりとへらへら笑い続けているグレンの牧歌的な横顔を見つめて、ユリアは呟いた。
何と、シュールな。
「とりあえず一旦は、問題解決ね!」
立ち直りの速さでそこいらの雑草よりも定評のあるニーニャが、すっくと背筋を伸ばして輝くような笑みを浮かべる。
「さあ、待ってなさいよ、アレックス・テレンシア! ちゃきちゃき助けに行ってあげちゃうんだからっ! おじさーん! IDありましたーーー」
ぼろぼろの紙切れを頭上高く掲げて、ニーニャが関所番に走り寄っていくのを見ながら、グレンはにこにこと笑顔のまま、
「お? 何かニーニャ、楽しそうだなあ。 何か良いものでも見つけたのか?」
目眩を伴う頭痛から解放される日が、どんどんと遠ざかっていくのを切に感じながら、ユリアはグレンに頷き返した。