Scene 3 : アレックス・テレンシア
「え?」
「うわあ、もしかして、今の全部聞いてなかったとか?」
ヘーゼルの瞳がまばたきを繰り返すのを見て、ニーニャが心底馬鹿にしたように声を上げる。 ユリアは、長い髪を揺らして、がくりと項垂れた。
「じゃあさ、グレンは今の今まで、何を考えていたわけ」
この毛虫、気持ち悪いねと同レベルの表情で、ニーニャが尋ねる。
「アメリア、元気かなとか。 アメリア、今日の夕飯は何食べたんだろうなとか。 アメリアのごはんは、小さいこの作るには美味かったなとか。 さすがアメリアだなとか。 アメリアは将来有望だなとか。 だけど、アメリアは誰にも渡さないぞ、とか。 アメリアを狙う男どもは、おれが片っ端から片付けていかないとなあとか。 アメリアに手でも触れたら、公開処刑だな、とか」
「つまり、アメリアちゃんのことしか考えていなかったんだな」
「しかも、後半、何か物騒だったしね」
やれやれとばかりに頷き少女二人を、グレンは矢張りぼんやりとした顔で見つめるのみ。
「ていうかさあ」
ほぼ空になった子羊のシチューが入っていたボールを脇によけて、ニーニャが木製のスプーン片手に身を乗り出す。 小柄な彼女には少々高い位置に設置された椅子では、足が地面にはつかず、ぶらぶらと両脚を宙に揺らせた。 ずいと片肘をつけば、否応にもその豊満なバストが強調される。 ヴェランデ人にしては珍しい、薄い青の瞳を細めると、
「グレンはさあ、あたしたちと旅をしていて、何にも思わないわけ?」
「こら、ニーニャ」
新鮮なサラダの上に、どっさりと盛られたキノコのソテーをフォークでつつきながら、ユリアが眉をしかめた。 食堂の鈍い光に輝く紺色の長い髪は、時折さらさらと流れて、それを疎ましそうに耳にかける仕草は、年齢よりも上の印象を与える。
「いいじゃん。 ユリアだって、気になってたでしょ?」
「私は、別に……」
「うっそだぁ! だって、こんなの初めてじゃない? 絶対、気になってるはずだよ」
「そりゃあ、まあ、気にならないわけじゃないが……」
「ほらぁ」
鬼の首でも取ったかのように、ニーニャが破顔する。 それを煙たそうに見たものの、諦めたようにため息をひとつついて、ユリアは自分の食事へと視線を戻した。
「と、いうわけでぇ」
「え?」
「グレン! 正直に答えなさい? あたしたちと一緒にいて、何も思わない?」
「腹減ったとか?」
「そういうことじゃなくて! あたしたちについて、何か思わない?」
「ニーニャ、唇の端に肉の切れ端がくっついてるなあ」
「そうそう、どっちかっていうと、そっち系で、って、ええ!」
ぼんやりと食らった指摘に顔を赤めて、ニーニャが空いている方の手の甲で、ごしごしと口周りを拭った。
「取れた?」
「うん」
「そ、それでねっ! グレンとしてはさ、結局、あたしとユリアのどっちが好み?」
「……何をするときに?」
「うわあ、すごい切り返し。 聞いた、ユリア? グレン、変態だよ。 分かってたけど、むっつりだよ。 何をするときに?だってさあ。 やっらし〜」
これ見よがしのひそひそ声でニーニャが言うと、ユリアが勘弁してくれとばかりに頭を抱えながら赤面する。 ニーニャは、その童顔に反して、ときにとても親父臭い発言をする。 セクシー系で売っているユリアだが、そのへんのモラルは、そこいらの子供よりも高いので、正直、今の会話は彼女にとっては大変好ましくない。 嵐がさっさと過ぎ去ってしまうようにと、沈黙を決め込むことにした。
ひゅ〜ひゅ〜、グレンのむっつり〜などと、無責任な野次を飛ばしているニーニャをしばし見つめたあと、グレンはぽんと手を打った。
「分かった!」
「なにが?」
「ニーニャは声がでかいから、きっと羊飼いに向いてる」
「…………はぁ?」
「ユリアもそう思わないか? ニーニャの声があれば、きっと羊たちはびびって、すぐ言うこと聞くと思うんだ。 そしたら、牧羊犬も必要ないし。 ニーニャだけで済む」
「何、あたしだけで済むってどういうこと」
「だから、牧羊犬の餌代とかさ、馬鹿にならないから。 それが、ニーニャだけで済んだら、結構な節約だよなあ」
「あたしは、犬と同レベルかーーーーっ!」
叫んでから、傍らのユリアがくつくつと笑いを堪えようと、上半身を折り曲げて耐えているのを見つける。 ユリアまで!と、悔し涙を浮かべてグレンを見れば、
「あ。 ニーニャの髪、ふたつに垂れてるから、なんか犬みたいだしなあ」
などとほざく始末。
「これは垂れてるんじゃないの、結わえてるの! そして、あたしの耳はここ! 人間と同じ場所にありますから! このツインテールじゃ、何も聞こえないから!」
「そんなの、知ってるよ」
躍起になって怒鳴り返せば、一向に空気を読めないグレンの澄ました声が返ってくる。 弁の立つ相棒が、唸り声を出すだけにとどまっている状況に、ついにユリアが笑い声をあげた。
「なによう、ユリア。 ひど〜いっ」
「すまんすまん」
「ユリアは、何が良いかなあ」
言い出したグレンを遮って、ユリアが親切そうな笑みを浮かべる。 自分が冗談のネタにされると、どうしていいか分からないユリアであった。
「まあ、何はともあれ、私たちのどちらも、グレンの恋愛対象にはならないということが分かったな」
「れんあい?」
首を傾げるグレンに、
「恋愛。恋だとか愛だとかの類だな。 誰かのことを特別に好きになるということだ」
「おれとアメリアみたいな?」
「うっ、そ、それは色々な意味で問題発言だな……」
顔を引き攣らせるユリアに代わって、立ち直ったらしいニーニャが目を細めてグレンを睨む。
「グレン〜、それは犯罪だからやめときなよ〜。 度の過ぎたシスコンでむっつりで無神経ってだけでも、すでにキミの男としての価値は最悪なんだから〜」
「ん?」
今ひとつ事情を飲み込めていないグレンが、ポテトの欠片と炙り焼きにされた肉を口に放り込む。 もぐもぐ、と健康優良児らしい食べっぷりを見せる彼を、少女たちはやれやれと見守った。
「まあ、あれだよねぇ。 こーんなグレンでも、もしかしたら、公女さまには心奪われちゃうかもね」
「ふふ。 案外、それもありえるかもしれんな」
「ひゃふへほひゃひょ?」
「今、絶対、誰?って言ってないでしょ」
未だ、もぐもぐと咀嚼を続けるグレンを見下げてから、ニーニャが笑顔になる。
「なーんと! グレンが見つけたポスターの女の子情報が、既に見つかってるんだなぁ♪ あたしたちったら、優秀ぅ〜」
もぐもぐもぐもぐ。 充分立派な歯を持っているくせに、何故かゆっくりと食べるグレンが口を開くのを、居心地悪くふたりは待つ。 やがて、ユリアが後ろ頭を意味もなく掻こうかと手を伸ばしたころ、やっとグレンはごきゅり、と大きな音を立てて飲み込むと、そのまま、豪快に山羊のミルクを飲み干した。
「え、なんて?」
「だからっ!」
がくりと今宵何度目かに項垂れるユリアを横目に、ニーニャが両の拳を振り上げる。
「あの、ポスターの女の子! 誰なのか分かったって言ってるのっ!」
「誰?」
「〜〜〜〜〜っ!」
言葉にならない苛立ちを、強く歯ぎしりすることで見事に表現してから、ふいにニーニャが立ち上がる。 くるりときびすを返すと、
「あたし! 食後のお茶買ってくる! ユリアの分も買ってくるね!」
と言い残して、すたこらさっさとその場を後にしてしまう。
「ニーニャ……」
押しつけやがったな……と、歯痒そうにニーニャの背中を見つめるユリアは、しかし、観念したようにグレンに向き直る。 ミルクのせいで、白いひげを鼻の下にこしらえたグレンは、にこりと邪気の感じられない笑顔を見せた。
「あのポスターの少女は、アレックス・テレンシアというそうだ。 御年十六歳。ここ、テレンシア領を収める、テレンシア公爵の一人娘らしい。 テレンシア公には、他にご子息などおられないようだから、彼女が正式な跡継ぎだそうだ」
「ふ〜ん。 えらいひとなのか」
「…………。 そ、そう! そうだ! え、えらいひとなんだ、グレン! よく理解してくれたな」
世間知らずの田舎者のグレンと過ごしてきた日々によって、相手に求める理解力のハードルが、既に地上すれすれに下がっていることにも気付かず、ユリアは思わず頬を上気させた。
「その、公女さまなんだがな。 どうやら、ここいらでは有名らしい。 なんでも、頭脳明晰、容姿端麗、留学などもされていないのに、何カ国語も操り、芸術、経済にも精通し、しかも、一度お姿を拝見するだけで、夢見心地になるほどの美貌らしいぞ」
「ふ〜ん。 どういうこと?」
「つまり、めちゃくちゃ美人ってことだ」
あまりにもめちゃくちゃな意訳だったが、グレンは、ほほうと感嘆の声を漏らした。
「アメリアよりか」
真顔で聞かれて、つい、
「かもしれん」
答えると、
「何言ってんだ、ユリア。 アメリアより可愛くて、キレイで、将来有望なこ、この世のどこにもいないんだぞ? 何だ、ユリアは結構世間知らずなんだなあ」
はははと快活に笑うその首を、ぎりぎりと締め上げたい欲望と闘いながら、ユリアは暗澹とした笑い声をそれに重ねた。