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「ヴィオラ? ヴィオラ、一体どうしたんだ」
眉根を寄せ、フェリクスが 問いかけてくる。
突然己の手を振り払い、席を立ったヴィオラに不審な顔をするのは当然のことだ。
だがまさか、「どうも軍服アレルギーみたいなんです」なんて正直に話せるはずもなかった。仕方なく誤魔化す。
「い……いえ、何でも」
「何でもという態度ではなかっただろう。……やはり俺の事など触れたくもないくらいに嫌いだと、そういう事か」
「え、そんな訳ありません」
「え?」
呆気にとられたフェリクスを見つめながら真面目に思う。
まさか、軍服姿のフェリクス王子を目の前にして嫌いだなんて思う筈がない。もう呼吸困難が起きそうなくらいに最高に格好良いと思っているというのに。
実際今だって心臓はばくばくしてうるさいくらいだし、正直瞬きをするのももったいない。
(ああ、格好良い。あ、でも駄目。さっき触られたからか、あちこち痒いし……なんか呼吸困難気味だわ)
「はあ……はあ……」
アレルギー反応のせいなのだが、これではまるで変態だ。
フェリクスもものすごく微妙な顔をしている。
言い訳の一つでもと思っていると、フェリクスの方が先に口を開いた。
「……お前は、ずっと俺の事を嫌いなのだと思っていた。だからいつもツンケンした態度をとるのだと」
つぶやかれた言葉にヴィオラは目を丸くした。
決して間違ってはいないのだけれど、いつものヴィオラなら「そのとおりですわ」と高らかに宣言するのだろうけれど、軍服に萌えている今のヴィオラに彼を否定することはできなかった。
軍服を否定する? そんな事、できるわけがない。
「……それは俺の勘違いだったのだな?」
「え……と」
なんと答えて良いものやら困っていると、フェリクスが静かに近づいてきた。
一度アレルギーだと認識してしまったせいか、軍服が近くにあるだけで体中むずむずする。泣きそうだ。こんなにヴィオラは喜んでいるというのに。
触れられるほどの距離までやってきたフェリクスを涙目で見上げる。
きっと目は真っ赤だろう。まるで花粉症の時みたいに目までが痒いのだ。
目が合うとフェリクスはうっと顔を真っ赤にして呻いた。
「反則だ……」
「殿下?」
「いや、お前とまともに会話をしたのは随分久しぶりだと思ってな。いつもはけんかばかりだから」
「そういえばそうですわね」
軍人になりたいなんていうフェリクスが大嫌いだったヴィオラは会う度に彼に罵詈雑言を浴びせていた。売り言葉に買い言葉。フェリクスも似たようなものだった。
互いに嫌い合っている婚約者同士。
それは城内でも有名な話で、いくら大将軍の権力があってもこの二人の結婚はないだろうとまで囁かれているくらいだ。
「いつもこれくらい普通に接してくれれば俺だって……」
「……」
ぷつぷつと発疹が増えていくのがなんとなく分かる。
やはりこのアレルギーはヴィオラの軍人嫌いから派生してるものなのだろう。本人は克服したつもりでも身体の方はそうはいかないと言ったところか。
しかしフェリクスとの距離が近い。近すぎる。そして軍服の距離も近い。近すぎる。
全身がかゆみを訴えている。駄目だ、これ。これは本当に駄目なやつだ。
「で……殿下。離れて下さい」
「……何故だ。俺を嫌っている訳ではないのだろう?」
「それはそう……なのですが……ごほっ……ごふっ……ごめんなさいっ!」
「おい、ヴィオラ!」
ついに呼吸器にまで異常を感じ、ヴィオラは無理やりフェリクスの側から離れた。
も、本当に無理。
軍服は格好良いし、萌えるけど、このままだとゲームとは別の死因で死んでしまう。
まずは何とかこの場を辞し、色々と対策を考えなければリアルに萌え死ぬ。
ヴィオラはフェリクスと距離を取ったまま震える身体を根性で押さえつけ、優雅に礼をした。
「……申し訳ありません。どうも本日は体調が優れなくて……失礼させて頂いてもよろしいでしょうか」
「体調が悪いのか」
「はい……」
頷くと、フェリクスはそれなら仕方ないと頷いてくれた。
それでも念を押すように聞いてくる。
「……お前の態度が今日いつもと違ったのは……体調がおかしなせいではないのだな?」
「え……」
意味がわからない。首をかしげるとフェリクスはそっぽを向きながらもぼそりと言った。
「次に会った時、また前のようなお前になっていないかと聞いている」
「あ……はい。それは大丈夫だと思います」
軍人嫌い自体は前世の記憶を取り戻した事で克服した。
フェリクスに対し、今後今までのような態度を取ることはないだろう。
いくら軍人嫌いだったとしても、ヴィオラの態度は決して感心できるものではなかったからだ。自国の王太子に対する態度だとはとても思えない。ツンなキャラだとしてもやり過ぎだ。
幼馴染みだとはいえ、逆によくこの無礼な態度をフェリクスは今まで許してくれたものだ。
……ヴィオラのことなんて大嫌いな筈なのに。
今までの暴言の数々を思い出し、ヴィオラは遠い目になった。
「……今まで申し訳ございませんでした。フェリクス殿下。今更何をと思われるかもしれませんが、私の態度はとても王太子殿下に取るようなものではありませんでした。深く反省しております……なにか処罰をと仰るのでしたらお受け致します」
思い返している内に居たたまれなくなり、頭を下げた。フェリクスが戸惑った顔をする。
「……いきなりなんだ。体調が悪いのは分かったが、何か良くないものでも食べたのか?」
「いえ、そうではありません。今までの私の態度は感心できないと、今更ながらに思っただけの事です。今後は改めさせて頂きます。ですが殿下がご不快だとおっしゃるのでしたらどうぞお好きに処分下さいませと……」
頭上でフェリクスがため息を吐いたのが分かった。
「それこそ今更だろう。お前がそういう女だと分かって俺は罰しなかったのだし……俺も女に向かって言うべきではない言葉を何度も言った。……俺も、悪かった。顔を上げてくれ」
「殿下……」
まさかフェリクスが謝ってくるとは思わなかった。顔を上げると、フェリクスは照れ隠しのように乱暴に言った。
「これでこの話は終わりだ」
「ですが……」
「俺が良いと言っている。分かったな?」
「殿下がそうおっしゃるのでしたら……」
それこそ王太子殿下の言葉に逆らえる筈がない。
不承不承ながらも頷くと、フェリクスは嬉しそうな笑顔を見せた。
「良かった。親が決めたとはいえ、俺達は婚約者なのだ。もう少し歩み寄ることも大事だろう。城内でも俺達の仲の悪さは有名だからな」
「え……ええ。それは……」
フェリクスの笑顔にどきゅん、と胸を打ち抜かれた。軍服に笑顔。レア過ぎて殺傷力が高すぎる。
(うわああああああ! 格好良い!! 死ぬ! 死ぬ! 悶え死ぬ!! そして痒い!! 痒すぎる!)
ときめきとアレルギー症状で訳が分からなくなりそうだ。
ぐらぐらしつつも必死で告げた。
もう色々と限界だった。
「……で……殿下。それでは申し訳ありませんが私はこれで……」
「ああ、体調が優れないのだったな。引き留めて悪かった。……そうだ、屋敷まで俺が送って行こう」
「え……屋敷まで、ですか?」
「ああ。お前の屋敷も久しぶりだしな」
普段なら絶対に言わないフェリクスの言葉にヴィオラは固まった。
どうして送って行くだなんて。
いつもならさっさと立ち去るくせに、何を考えているのか。
しかしこれ以上軍服フェリクスと一緒にいれば、よりアレルギー症状は酷くなってしまうだろう。断るしかない。
「い、いえ……。殿下のお手を煩わせるわけには……」
「元々お前と過ごすための時間だ。構わない」
さらりと返された。
どうして! どうして今日に限ってフェリクスはこんなにしつこいのか!
もういい加減帰って、対策を練るなり、アレルギーの薬を塗るなりしたいのに!
本当に勘弁して欲しい。
フェリクスをちらりと見上げると、彼はにこにこと機嫌良さそうに笑っていたが、その目が絶対に引かないと訴えていた。
目は口ほどにものを言うとはよく言ったものだ。
つい先ほどまで自分の事などつゆほども興味なかった筈なのに、一体どういう心境の変化なのか。
とりあえず仲直りはしたのだから、後はもう放っておいて欲しい。
かといって婚約者の王太子を拒絶できるコレと言った理由はない。
だが、これ以上の接触は本当に無理だと思ったヴィオラは、仕方なく最終手段を執ることに決めた。
「ほ、本当に結構ですから! 失礼致します!!」
「お、おい! ヴィオラ!」
……つまり、問答無用で逃げる事にしたのだ。




