七話
どこまででも落ちていく。それが正しくないと分かっていても。自分では止められない。
みどねぇが来てから、2日……。
私は、今、ベッドの中にいる。
お腹を抱えている。
「大丈夫か? すみれ」
お兄ちゃんがそう言いつつ、頭を撫でてくれる。だが、このお腹の痛みはそれじゃあおさまらない。
「う、うぅ……と、トイレ行ってくる……」
そう言って、私は、またしてもトイレへ向かった。まだ午前中ではあるが、早くも三度目のトイレである。
つらい。こんなことになるなんて思わなかった。
こんなことは初めてだ。
それにしても、私はこんなにつらい思いをしているのに、なんでお兄ちゃんはつらくはないのだろうか。不公平だ。私ばかり……。
まさか、こんなことになるなんて……
腹痛と下痢……症状はそこまででもないかもしれないけど……い、痛い……。
原因に心当たりはある。昨日の夜に食べたカレーだ。あのカレーは一昨日みどねぇが来た際に作ったもので、大量に作ったから明日学校から帰って再加熱して食べた。多分。それが、この腹痛のもとになったに違いない。
聞いた話によれば、作り置きカレーは良く加熱しないと駄目だって……でも、今まではそんなことなかったから……慢心した……不覚ッ……!!
少しして、私はまたベッドに戻って布団にくるまったまま、身体をくの字に曲げた。
「痛い」
ぼそりと、呟く。
「はいはい、大丈夫か」
私が「痛い」だとか「苦しい」だとかいうたびにお兄ちゃんは私の頭を撫でてくれる。なぜだか、頭を撫でられると少し落ち着く。うん、落ち着く。
「でも、痛い……」
「はぁ、まったく……まぁ、悪かったよ」
私の下まぶたを指で拭ったお兄ちゃんは、軽く頭を下げながらそう謝った。
「お兄ちゃんは悪くないよ……」
確かに、カレー温めたのはお兄ちゃんだけど、盛ったのは私だし、その時に加熱時間が短かったのも分かったうえで盛ったから、お兄ちゃんは悪くない。でも、お兄ちゃんも同じものを食べたのに、私だけ痛いのは少し気に入らない。
「ずるい……」
その思いは口から出て来る。
「何がだよ……」
呆れたような口調でお兄ちゃんが言う。
「わたしだけお腹痛めてるのが……」
「はぁ……そんなこと言われてもな……」
「むぅ……」
お兄ちゃんは頭を撫で続けてくれる。お腹は依然としていたいけど、もうお腹の中は空だし、トイレはもう行かないで済むだろう。
寝よう。そしたら、きっと起きた時には治っているだろう。
痛みに耐えながら、私は眠りについた。
瞼を貫くほどのオレンジの光で私の意識は戻ってきた。
夕方……だろう。
私が眠りから覚めてから目を開ける前に、私を起こしたそのオレンジの光は、薄暗い陰に阻まれた。目を開けるのを億劫にさせていた日光の力が弱まり、目を開けると、そこにはお兄ちゃんがいた。
「ん、あれ? あ、えっと、おはよう……?」
とりあえず、挨拶をする。挨拶は大切。小学校でもそう習った。
だけども、この状況。どう考えても、お兄ちゃんのお食事タイム。まずい、目を覚ましたのが、あまりよろしくないタイミング。お兄ちゃんは既に口を大きく開け、その牙を私の首に突き立てようとしている。きっと、私の声は届いていない。
かぷり……ああ、噛まれた……
「むぅ……くぅ……にゃっ……!!」
私が、いつもように変な声を上げたことによって、お兄ちゃんも私が起きていることに気付いたようだが、もう既にお食事は始まっている。くそう。
「ふー……ふー……ふーッ……はぁー、はぁー……」
首から私の血が抜けていくのが分かる。そして、私の血が抜かれて行くほど、何かよく分からない感覚が、私の体中を突き抜けて行く。全身がもぞもぞするというか、むず痒いというか……。自然と変な声が出る。体が熱くなる。心臓の鼓動がどんどんと早くなっていく。
凄く長い時間座れたようにも感じた。そうした果てに、私の体が勝手に跳ねたあたりで、お食事は終わった。
「ふぅー……ふぅー……はぁ……はぁ……お、おはよう、お兄ちゃん」
とりあえずは挨拶をする。もちろん、視線はお兄ちゃんから外したまま。今、お兄ちゃんと目を合わせると何が起こるか分からない。
「悪い、起こしたか……」
お兄ちゃんが悪そうな態度でそう謝るけど、お兄ちゃんに起こされたわけではない。と、思う。
「ううん。たまたまだよ……」
お兄ちゃんに覆いかぶさられているこの状況。どこを見ればいいか分からない。布団を被って逃れようにも、お兄ちゃんが上にいるので布団を今以上上に持ってくることが出来ず、口元を隠すにとどまっている。
「え、えっと、お、お兄ちゃん、えっと、その……」
どいてとか、早く下りてって言うのはちょっと言葉が強すぎる気がするし、言葉を探すが、何を言えばいいのか分からない。
「あ、ああ、そうか、いま下りる」
だけども、分かってくれたようで、お兄ちゃんは私のベッドから下りてくれた。
その後、お互いが、無言のまま時間が流れる。結構良く有ることだ。お兄ちゃんに血を吸われてからのその後は、大きく分けて3パターン。一つは、なんかこう、その、男女の……チョメチョメ……。で、そ、その、ふ、二つ目のパターンは急いでいたりして、別にどうにもならないパターン。そして、三つ目が、今みたいに、お互いに無言になって、すごく微妙な空気になるパターン。
「あ、えっと、その、飯作るな、俺」
結構してから、そう言ってお兄ちゃんは私の部屋を出た。なんか、気まずい。私は、布団の中に潜り込んだ。
これは、どんな気持ちなんだろうか。分からない。もしかしたら、私はお兄ちゃんの事が好きなのかもしれないと、何度考えた事だろうか。だけど、そんなはずはない。私がお兄ちゃんの事を好きなのは当然だけども、あくまでそれは兄妹として、家族として。決して、男女のそう言った関係のものじゃない。そのはずなのに、それなのに……なんで。
私が、こういう感情を持つこと自体、おかしいことだし、なにより、みどねぇに悪い。みどねぇは、ずっとお兄ちゃんの事好きだったはずだし、本当なら二人が結ばれるのが当然のはず。一度別れたあとに、また出会えたんだから、二人がくっ付くのは運命のはず。だとしたら、その運命を壊したのは、あの事故で、そして、私だ。私が、お兄ちゃんを蘇らせた。それが正しかったのか分からない。もしも、生き返らせなかったならば、みどねぇとお兄ちゃんが再会することはなかった。だけど、生き返らせたから運命は変わった。
私は、目を閉じて、もう一度眠りに付こうとした。
寝て起きたばかりとはいえ、吸血されたあとは結構眠くなったりもする。だから、布団を被っていることもあり、私は眠ってしまった。
夢を見た。
私とお兄ちゃんが結婚する夢。よく分からない夢だ。こんな望みは全く無いはずなのに、なんでこんな夢を見ているのだろうか。みどねぇは、そんな私たちを笑顔絵で見ている。おかしい。こんな夢はおかしい。早く覚めてほしい。だって、もう私は、私が分からなくなってしまいそうだから。
なんでこんな夢を見ているのだろう。
その夢は突然終わりを告げた。
「起きろ、すみれ。起きろ、ご飯が出来たぞ」
突然に微睡みから引っ張りだされた。お兄ちゃんが、私を揺さぶって起こしてくれたらしい。
「あ、うん、わかった」
お兄ちゃんは先に食堂に行ったらしい。そう言えば、お兄ちゃんってなんか料理作れたっけ?
そう思いながらも、私もお兄ちゃんの後を追うのだった。
夢。
夢とは。
夢とは……