五話
人は一面性では無い。
だから、知人の知らない一面を見た時、みんなはどう思うのだろうか。
ここまで怖いくれっちゃんは始めて見た。かもしれないじゃない、始めて見た。
見られただけで背筋が凍るような感覚がある。まるで、ヘビに睨まれたカエル、ああ、怖い。
「それで……」
「は、はい、なんでございましょうか」
それはもう、自然と敬語になるくらいに。
「その人は? 一体誰なの?」
「いや、だから、えっと、お兄ちゃんで、その、足が治って、それで……」
「本当に? でも、すみれ……お兄さんの足はもう治らないって、この前言っていなかったっけ?」
「そ、それは……」
そんなことまで……あれ? 私、結構いろいろくれっちゃんに話しちゃっていたりするのかな?
「その、それは、ほら、奇跡的に治って……」
「医者、行っていないんでしょ? だったら、自然回復って事になるけど……医者が治らないと言っていたものが、自然回復するとは思えないんだけども……それは、どう説明するの?」
「えっと……」
医者に言っていないことも言っていたのか……。ああ、どうしよう。どうしたら、お兄ちゃんをお兄ちゃんだと信じてもらえるのだろうか。
「で、その人は誰? どんな関係なの?」
ぴしり……と、お兄ちゃんを指差したくれっちゃんはそう言った。
それに、私は答えることが出来ない。
辺りが静まり返る……気づけば、周りの視線は全てこちらに集まってきていた。
はたから見れば、三角関係に見えるのかもしれないが、事態はよりややこしい。
私は、どうこたえればいいか分からないでいた。だって、こんなの答えようがない。逃げ道を全部潰されたし。いや、逃げ道じゃないんだけど、全部本当の事なんだけど……。流石に、吸血鬼の事は言えないし、たとえ言ったとして信じてもらえるとは限らないし、むしろ、十中八九信じてもらえないし。
ああ、どうしたらいいんだろう。
「ちょっといいか?」
そこで、お兄ちゃんが助け舟を出すように、くれっちゃんにそう声を掛けた。
「なんですか? あなたには訊いていないんですが。私はすみれに訊いているんです。口を噤んでいただけませんか? 自称お兄さん」
非常に強い口調でくれっちゃんはそう言う。物凄く怖い。本当はくれっちゃんは怖い人なのかもしれない。普段優しいだけに、なおさら怖い。
「自称とはこれまた酷いな。俺は、正真正銘、小翆すみれの兄である、小翆ききょうだ。間違いない。確かに足は負傷しておりずっと動けなかったが、最近は高校に行く振りをして病院に行ってリハビリをしていて、最近になってやっと、日常生活くらいなら普通に送れる程度まで回復した。ああ、すみれに言っておくが、勉強の方は心配するな、一応、代わりに通信高校に転入したからな」
へぇ、そうだったんだ……お兄ちゃん、必死にリハビリしていたんだ……じゃあ、私悪いことしたのかな、必死にリハビリしてまで治らなかった足をあんな治し方して……いや、でも、あれはお兄ちゃんが死んでいたから、仕方無かった事だし、足が治るなんて思わなかったし。だって、あれをしてなかったら、お兄ちゃんは今頃腐っていてもおかしくなかったし。私も一人になりたくなんてなかったし……。
それにしても、お兄ちゃんよくパソコンの前にいると思ったけど、あれは勉強していたのかー。ずっと勘違いしていた。てっきり遊んでいるものだとばかり思っていた。
「……っ、すみれの表情を見る限り……どうやら本当のようですね。すみれも知らなかったようですし……」
「え、あ、うん、今知った」
「まぁ、内緒にしてきたからな」
これで、一件落着かな? くれっちゃんも納得してくれたみたいだし。
そう思っていたんだけど……くれっちゃんの次の一言は、強烈だった。もう気絶するかと思うくらい。
「で、でも、あなたが、お兄さんだとして、さっきすみれを男性用トイレに連れ込んだのはなんでなんですかっ! それに、あんな長時間何をしていたんですかっ、二人でっ!」
「……」
「……」
その一言は……どうにも言い逃れができなかったっ!!
いやいやいや、これは、どうにもできないよ、どうしよう、お兄ちゃん。
急いで、お兄ちゃんに視線を向けるが、お兄ちゃんもどうにも出来なさそうだ……。
あ、これ、詰んだ……。
そう思わざるを得なかった……。
というか、くれっちゃんそんな所から見ていたんだ……。多分、たまたま私を見つけて、追いかけて行ったら男子トイレに連れ込まれる私を見て、色々思ったんだろうな……。詰まる所……
全部、私達の所為じゃん。
えっと、どう説明しよう……。
そうして、私達の必死の説明が始まったのだ。
説明すること小一時間。お兄ちゃんの牛丼も私のざるうどんも、両方とも既にぬるくなっていた。
「……分かった……今日は、帰る……」
くれっちゃんは、納得していなさそうな顔をしながらも、今日は退いてくれるらしい。けど、きっと、明日学校で詰られるんだろうなー。うう、憂鬱だ……。
「えっと、その、食べるか……」
「うん……」
残された私とお兄ちゃんは、お互いにぬるくなった料理を食べ始めた。
き、気まずい……なんか、とてつもなく気まずい……。周りの雰囲気が既に気まずい。もう、気まずさしかない……。
私とお兄ちゃんは出来る限りの速さで牛丼とうどんを食べ終えて、その場を立ち去ることにした。
そうして、大型ショッピングモールから逃げるように出た私たちは、電車に乗ったところで、ようやく一息つけた。
「はぁ……それにしても、今日は一日大変だった」
「ああ、そうだな……いや、それにしても、最初から誰かずっとついてきているとは思ったが、あれは、お前の友達だったんだな」
「え? 最初から? どういうこと?」
「いや、俺達が駅に着いたあたりから、ちょいちょいあの子がいたから、こんな偶然もあるのかと思っていたのだが、本当についてきていたとは思わなかったぞ」
「だから、最初からって、え、本当に最初から?」
「ああ、最初から。本当についてきているのだろうかと思うくらいだったから、凄い偶然だと思っていた程度だったんだぞ、実際に会うまではな。でも、実際に跡をつけられていたみたいだし」
あれ? ストーカー? あれ、私、もしかして、くれっちゃんに、ストーキングされてる?
「え、えっと、は、話は変わるけど」
私は、それ以上考えたくないので、話を変えることにした。
「なんだよ、藪から棒に」
「えっと、お兄ちゃん、リハビリとか、高校の話しとかって、本当なの?」
あまりの衝撃だったから、くれっちゃんのもう一面を見たことの次に驚いた事と言えばそれだ。
「あれさ……」
「ん? なに?」
「あれ、信じていたのか? お前……」
「うん……あれ?」
なんだか雲行きが怪しくなってきた。
「いや、お前の表情からしてまさかとは思ったが……あれ、信じていたのか、お前……」
「もしかして……」
もしかするのかもしれない。いや、でも……。
「ああ、あたりまえだろ……」
あ……。
「あれって、嘘だったんだ……」
「ああ、というか、何故本当だと思ったか不思議なくらいなんだけど、俺からしたら」
「いや、だって、その、えっと、びっくりした」
今日、いろいろと驚きだ。ちょっと、じぶんでもよく分からなくなっている。本当によく分からなくなっている。
「えっと、そう、なんだ……」
「あー、悪い」
「いや、別に、うん、確かに、良く考えれば、すぐ分かることだった……」
「まぁ、あの時はお前はパニックになっていただろうし、仕方ねぇよ。おかげで、お前の友達も騙せたしな。あれはあれで良しだ……。だけど、まぁ、もう一つの方は全然良くはないな……えっと、悪いが、お前が明日学校で何とかしておいてくれ」
「え、そこ全部私に投げるの? いや、だって、あれ、ほぼお兄ちゃんの所為じゃん」
「いや、確かに悪かったとは思っているが、挑発したお前も悪いだろ。大体半々くらいじゃないか? 良くても7:3俺が悪いくらいだろ」
「半々とか7:3でなんで、私が後処理全部担当しないといけないの」
「いや、だって、俺どうにもできないし、お前の友達の事だし」
「う、ま、まぁ、それはそんなんだけど……」
たしかに、くれっちゃん、私の事つけてきていたみたいだし、その辺りはお兄ちゃんの責任じゃないし……。
「じゃ、じゃあ、その、えっと、なんとかしたらご褒美ちょうだいっ!」
せめて、これくらいは要求しておこう。
「あー、はいはい、分かった、それくらいはそうだな、なんとかしてやろう」
「一応、言っておくけど……えっちなのはご褒美にならないからね」
言っておかないと、お兄ちゃんの本棚の裏に隠してあるホントかみたいな感じになりかねない。だから、まぁ、一応ね。
「何馬鹿な事を言っているんだ。それくらいは知ってるに決まってるだろ。というか、なぜ、その発想に至るんだよ、というか、おまえ、それが俺に対する挑発だって言っているんだよ。そんなこと言っていると、ほんとにするぞ」
「え、いや、それは、出来れば勘弁してくれると、ありがたいかなーって」
だって、きっと、お渡しも断りきれずに、結局最後までやっちゃうだろうし。
それにしても、ご褒美とは言ったものの……その前に、くれっちゃんにどう説明するか考えないといけないし、考えた上でもどうにかできる未来が見えなさそうなのを何とかしないといけないから……そもそも、解決できるのかどうか……。
はぁ、今日は一日寝られるかどうか怪しいな……。
お兄ちゃん曰く、家に着くや否や、ぐっすりと眠ったそうです。
誰かの気持ちと言うのは、案外として知らないモノである。
キモチと言うのは、誰にも分からない。
そして、未来もまた……。