三話
案外、空白の時間ってものはその時や、すぐ先の未来では空白のままかもしれないけど、実は薄く色が付いていて、時間が経てば経つほど見えてきたりする。ただし、それをその人本人がどの空白の時間だったのかを思い出せるかどうかは別だけれども。
今日は学校。流石に学校。と、思っていたんだけど……
「どうしよう」
「どうしよう……って、なにがだ?」
「いや、いい加減学校行きたいんだけども」
かれこれ一週間休んでいる。そろそろ行かないと、色々と心配な事が……
「行けばいいじゃねぇか」
「いや、そうなんだけど……制服が……」
「ん……ああ、そうか……そういやそうだな」
そう、私の制服はとても着られるような状態ではない。だから、学校へ着て行く服が無いのだ。
「新しいのとかないのか?」
「新しいのなんか買ってないしあるわけないじゃん」
「でも、お前、学校入る時、二着買ってなかったっけ……?」
「いやいやいや……」
思い起こしてみる。
………あ、確かに。
「うん、そうだね、買ってた。確かに買っていた」
返せ、私の一週間。学校行けたじゃんか。と言うか、もっと早くお兄ちゃんに相談していればよかった。
「それにしても、お兄ちゃん。生き返ってから、かれこれ一週間たつけど体は大丈夫?」
「ああ、まぁ、日光がちょっときつい所以外は特段問題はない」
「そっか、うん」
結論から言うと、お兄ちゃんは人として生き返っていない。だからと言ってゾンビでもない。うー(低音)うー(低音)と呻いているようなゾンビじゃない。だけど、お兄ちゃんは人じゃない。じゃあ、どういうことかと言うと。情報を整理すると。
「なぁ、すみれ」
「なに、お兄ちゃん」
「えっと、その学校行くなら、いいか、その、あれ……」
「あ、うん、いいよ」
私は、パジャマの上のボタンをいくつか外して、はだけさせる。そうして、首を傾けお兄ちゃんと向きあう。
「んっ」
お兄ちゃんが、私の中に……
「んぅ……」
お兄ちゃんのが……
「ああっ……!」
お兄ちゃんの牙が……私の首に……入ってくる。
血が吸われる。だけど、痛くない。体が心から熱くなってくる。不思議な感覚。なんか甲高い変な声が出る。
「ふぅ……はぁ……はぁ……んっ!」
息が荒くなる。
「はぁ……はぁ……お、終わったの……?」
「ああ、終わった」
「う、うん、わかった」
「ちょっと、部屋の外でるから、えっと、着替えておけ」
「う、うん」
ティッシュで首元の血やらお兄ちゃんの唾液やらをふき取る。
結論から言えば、お兄ちゃんはどうやら吸血鬼になったらしい。らしいと言うのも、よく分からないから。あの例の本には、ゾンビとかなんとか書いてあったと思うんだけど、どう見てもお兄ちゃんはゾンビには見えないし、うーん。さっぱりわからない。でも、血を吸うし、なんかいろいろあるし、心なしかもっと格好良くなったし、多分吸血鬼。多分だけど。
制服を着ながら、お兄ちゃんが何故吸血鬼になったのか、お兄ちゃんは今後どうするべきか、などを考える。まぁ、答えなんかでないんですけども。えへへ。
「よしっ……お兄ちゃん、着替え終わったよ」
ドアの外に向かってそう言う。
「あ、ああ、分かった、お、俺は、その自分の部屋に戻るからな」
「えー、久しぶりの制服姿見て行かない?」
「いや、いいよ、お前が帰って来たら見る」
「うん、分かった」
うん、お兄ちゃんも恥ずかしいのかもしれない。この行為。まぁ、私も恥ずかしい。顔から火が出るくらい。顔から地獄の業火が出るくらい恥ずかしい。
まぁ、でも、もっと恥ずかしい事も何回かしたわけだしー、問題ないんじゃない? って、言いたいけど、物凄い恥ずかしいから、お兄ちゃんのその申し出は実のところありがたい。
「じゃあ、行って来るからね」
自室を出て、お兄ちゃんの部屋に向かってそう大きな声で言ってから、玄関に向かって駆け足。時間は結構スレスレ。急がなければ。
「行ってきます」
そう言って玄関の扉をくぐる。
日差しは……うん、大丈夫。吸血鬼に噛まれたからと言って私まで吸血鬼になることはないらしい。まぁ、なっていてもたぶん大丈夫なんだろうけど。お兄ちゃんもちょっと皮膚がヒリヒリするくらいだって言っていたし。
「えっと、走ろう」
一週間、外に出ていなかったわけだし、体が鈍ってそう。まぁ、運動を何もしていなかったわけじゃないんだけど、あれを運動と言っていいかどうかは不明。血を吸われながらとか、かなりハードだけど。うん。
まぁ、それが効いたかどうかは分からないけど、疲れが全く来ない。ちょっと、不安になるくらい来ない。あれ、私、本当に一週間引きこもっていたんだよねって、不安になるくらい。もしかしたら夢じゃないよね。夢ならば、出来ればお兄ちゃんが死ぬ前まで戻ってほしいくらいだけど。
「でも、不思議なことに本当に疲れない」
そう呟いてみる。実際のところ、今、全力疾走しているのに、息切れが起きない。本当に全力疾走なのかと言われれば、交差点とかも渡る訳だし、曲がり角とか気を付けなければいけないから、本当の本当に全力と言うわけじゃないけども、それでも、出せるだけの速度は出している。だけども、息が切れることはないし、疲れも来ない。うーん、あれ、これ本当に大丈夫? 人間として……やっぱり吸血鬼化とか……考えないことにしよう。そうしよう。それがいい。
そうこうしているうちに学校についた。正面玄関の時計を見る限り、普通にセーフ。生徒もちらほら見えるし。遅めの登校と言う程度。
ここまで来たら、もう走る必要は無いのだけれども、ここまで来たからこそ、どこまで行けるか試したい。
自分の下駄箱までダッシュ、そこで足踏み、もちろん運動部の腿上げレベルの。そうして、靴をさっさと履き替えたら、走り出す。教室まで。
まばらにいる生徒たちを躱しつつ、全力疾走。
「よし、到着っ!」
教室前まで息切れ一つ起こさず、走って来たぞー……って、私、大丈夫? 本当に大丈夫?
ガラララ、と教室の扉を開けると、視線が集まる。そりゃ、一週間休んでましたから。
「うーん、おはよう!」
「あ、すみれ……」
そう言って、一人の女の子がやって来た。うーん、いつみても綺麗。ちょっと嫉妬しちゃうかな。背高いし。いや、私が低いのもあるんだけど。
「えっと、どうしたの……? 一週間も……休んで」
「あー、ちょっと、色々あって、まぁ、体調崩していただけなんだけど」
色々あってじゃ駄目だと、言っている途中で気付いて、方向転換。危ない危ない。
「……ならいいけど。風邪でも引いたの? それとも、インフルエンザ……?」
「いや、普通の風邪だよ、家にいるついでだし、お兄ちゃんの世話していたら、風邪が長引いちゃって」
まぁ、あながち嘘は言っていない気がするけど、別に言わなくてよかった事かもしれない。失敗失敗。反省反省。
「えっと、話したいこと……いっぱいあるけど、もうそろそろHR始まるから……席に着こう」
そう言って、私の手を引いて席まで引っ張って行く。私はそれに引かれるように引きずられるように、席まで連れて行かれた。
そんな手を引く彼女は、憂煩 暮一。通称・くれっちゃん。まぁ、私しかそんな呼び方していないけど。
「それにしても、くれっちゃん、しばらく見ないうちに髪伸びた?」
「うん、伸ばした」
そう、私とすれ違い。くれっちゃんは、入学式の日いなかった。理由は聞くタイミングが無かったから聞いてないけれど、昨年度から会っていない。結構会っていない。そのうちに、大分髪の毛が伸びている。前会った時は確かセミロング。今は完全にロング。に会っていて、可愛さアップ。
「うん、合っている。似合っているよ、くれっちゃん。可愛いよ」
「うん……ありがとう……」
顔を赤くしてお礼を言ってくるくれっちゃん。やっぱりストレートに褒められると恥ずかしいのだろうか。相変わらず恥ずかしがり屋だなー、くれっちゃん。なんて。
その後、私達が席についてほどなくして、先生が教室に入ってきて、朝のHRが始まった。依然、隣の席のくれっちゃんは顔を赤くしたままだったし、なんかぶつぶつつぶやいていたけど。それはよく聞き取れなかった。
HRはいつも通りあっさり終わり、みんなは教科書、ノートを取り出して、一限の準備を始めた。
「大丈夫か? 馬鹿は風邪ひかないと言うがひくもんなんだな、すみれ」
くれっちゃんとは逆隣の男子生徒が、そう馬鹿にしてくる。いつものように。
「うっさい。私は馬鹿じゃないもん」
「そう言うところがバカっぽいんだよ」
名前なんか憶えたくなくとも覚える。こんな扱いされていれば。
くれっちゃんとは、去年クラスが一緒で、今年も同じクラスになれてうれしいけど。まさかこいつもまた同じクラスとは……くっそう。
この馬鹿は、水川 九。特徴、馬鹿。とりあえず馬鹿。バーカバーカ。馬鹿の癖に、私よりもテストの点数がいい馬鹿。バーカバーカ。もう、とりあえずバーカ。
もういいや、この馬鹿の事は無視しよう。この馬鹿の事は。バーカ。
あとは、特段何も起きなかったから、各授業をダイジェスト。
一限……数学。
隣の馬鹿が寝ていた。バーカ。
一週間の休みは大きい……早く取り戻さなければ……
四限……国語。
気づいたらこんな時間になっていた。信じられない。寝ていた。ちなみに、馬鹿は起きていた。くそ、馬鹿の癖に。バーカ。
給食。
ご飯美味しい。
馬鹿が、病み上がりだから、ガッツリ系はきついだとかなんとか言って、私のハンバーグを取った。私のハンバーグ返せ。まだ半分しか食っていない……って思っていたら、超が付くほどの少食のくれっちゃんは、ハンバーグを半分残してしまいそうだったらしく。私にくれた。くれっちゃんはやさしい。
ご飯になる気持ちが分かると、ご飯に対するありがたみもひとしお。うん。
五限……体育。
食後とはいえ、体育は楽しい。楽しいやったー。
体力には自信があるんだっ! ……ってやったけど、うん。普通に息切れしたし、めちゃくちゃ疲れた。やっぱ体力衰えていた。きっと、朝のあれはなんかの奇跡が起きたんだろう。久しぶりに登校する私を遅刻させないために学校の神様が私に力をくれたのだろう。
六限……なんか(覚えていない)。
なんかやったと思うけど何やったかは知らない。多分寝てた。
そんなこんなで帰りのHRも終わり。気が付けば放課後。夕焼けがきれい。綺麗?
「えっと……すみれ、病み上がりと言う割には元気そうだけど……本当に大丈夫……? 無理していない?」
「うん、大丈夫だよ、くれっちゃん」
「そう……なら、いいけど」
「うん、ダイジョブ。全然ダイジョブ。じゃあ、私帰るから、また明日ね」
「うん、また明日……」
私は、駆けだした。朝のあれが本当に奇跡なのかどうなのかを……
「た……ただ……いま……」
結果だけで言うと、朝のあれは奇跡だった。
走って来た。もちろん、ここまで走って来た。しかし、全力疾走では無い。途中ほぼ歩いていた。いや、走っていたって言い張るけど、あれは実質ほぼ歩きだ。下手したら早歩きの方が早いレベル。
「おかえり……って、何があったっ!」
私の耳に最後に聞こえたのはお兄ちゃんの声だった。
※なんか玄関につくやいやな玄関でぐっすり寝始めたそうです。お兄ちゃんが言っていた。
吸血鬼なんて非現実的な物を普通に受け入れる狂気的思考は、今は理解できない。理解するのは良くない。すぐさま否定出来るものでもないが、本来は、否定するべきだったのかもしれない。そうしたら大切な人は生き返らなかったかもしれないけど、本来、死人は死んでいるから死人なのである。死、在ってこその死人である。そこから死をとったら、なにものでもなくなる。そう、私のように。