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悪女・リーゼロッテの生涯  作者: マリネ
5/10

お披露目 〔1〕

※まさかの糖分過多ご注意です。

 

「…まったく。女性を待たせるだなんて信じられませんわ」


「まだ始まってすらいないのに料理にがっついてる令嬢の方が信じられないけどな」


 ざわざわと、程よいざわめきに満ちる豪奢な光溢れる広い会場の一角で。

光沢の抑えられた銀糸で襟元や袖口が美しく装飾された深緋色ふかきあけいろの正装に身を包むアイゼルンは口許だけで笑みを浮かべて、前菜であるシーフードマリネを食べ進めている隣の令嬢へと皮肉を返す。


「あら。デビュタントで食事も満足に楽しめないような、物慣れないご令嬢の方がお好みかしら?」


 肩と背中を大きく開けるベアトップの、胸元から足元へとグラデーションが掛けられた菫色すみれいろのイブニングドレスに身を包む美女は挑発的な笑みをアイゼルンへと寄越すと、

「でしたら、ちょうどあちらに今季デビューされたばかりの初々しい方がおりましてよ」

 と付け加え、瞬きと同時に、賑わう会場の中心部へと視線を投げた。


 アイゼルンよりも一つ下、先月で27歳となった彼女は貴族令嬢にしては破格の短さである、濡れ羽色に艶めく落ちるような直毛の髪をアイゼルンと同じ長さの前下がりのボブに切り揃えており、スラリと長い肢体は洗練されたシルエットを現す。

高い天井からいくつも吊り下げられた豪華なシャンデリアと壁に取り付けられた精巧なランプのまばゆい光を受けて光沢を帯びる、この国では珍しい薄い褐色の肌を持ち、瞳もまたエルドパンクレイズ国内では滅多に見かけることのないオッドアイ。 クールな印象を与える切れ長のそれは左眼が紫水晶アメジスト、右眼は黄水晶シトリンの輝きを放っているのだが、今はわずかに伏せられたまぶたと長い睫毛まつげのせいで深く見つめる事は叶わない。


 彼女の投げた視線を追って、主に若い貴族令息に次々と挨拶を受ける可憐な令嬢を何となく眺めていたアイゼルンだったが…もとより興味など無いために、すぐに視線を隣に立つ彼女へと戻す。

自分と同様、さしたる興味も無いくせに未だに若い令嬢が生み出す賑わいを見つめている美しい横顔に、自然と浮かんでしまう笑みのまま、アイゼルンは左手に嵌まる白い手袋を ゆったりと外した。


生憎あいにくだが…。私は無垢なカンバスを一色で染め上げるよりも、ひたすらに己を貫く気高い絵の具と共に新しい色をつくる方が好みだな」


 桃色の口紅が差された柔らかな唇を ゆっくりと親指でなぞり、拭い取ったマリネの液が絡まるそれを

“…ちゅっ”と、彼女にしか聞こえない小さな音とともに綺麗に舐めとる。


ルビーの瞳で悪戯いたずらに笑う彼を、


「…キザな方」


 彼女は 浮かぶ小さな笑みのままにシャンパングラスに唇を寄せながら流し見て。

こくりと一口、芳醇な香りで喉を潤した。



 アイゼルンがエスコートを務める彼女…ピアレ・エストフォンシオンは、南部に位置する海洋都市の一つを治めるジュライヴ・エストフォンシオン子爵の一人娘であり、同時にエルドパンクレイズ国宰相の孫娘でもある。


少々込み入った事情で彼女に求婚することとなったアイゼルンは、一度結婚に失敗しているピアレの再婚に猛反対しているエストフォンシオン子爵一家を納得させるため、現在、彼女の祖父である宰相の下で再び一人娘を任せられる相手か否かを厳しく審査されていた。


 昼間にリーゼロッテたちのいるアルフォンドシュタイン家の別邸から辞したアイゼルンは、王城内にある官僚たちの居住区…通称・西棟と呼ばれる厳めしい造りの一角に与えられた自室へと戻り夜会の準備をしていたのだが、唐突に宰相に呼び出されたかと思えば“大変面倒な”仕事を回され、本当につい先ほどまで執務机にかじり付いていなくてはならなかった。

 おかげでピアレを迎えに行くと約束していた時間を大幅に過ぎてしまい、見越していた宰相によって、先に会場入りしていた彼女を大勢の招待客たちの中から見つけ出しエスコート役を無事引き渡してもらったのだが…。…その際、“間に合ったじゃないか若造”とでも言うようなニヤリとした笑みを宰相からいただき、軽い敗北感のようなものを覚えたアイゼルンは、諦めに似た気持ちでもって改めて彼の采配に脱帽したのだった。

 アイゼルンの力量を正確に推し測った上で“本気を出せばギリギリ間に合う難易度”の仕事をわざわざ用意してくる辺り、さすがはエルドパンクレイズの宰相である。


 少し離れた場所で奥方と共に参列している子爵にも、迎えに行けなかったことで多少損ねたピアレの機嫌の取り方を…つまり今のピアレとのやり取りを見られていたのだが、領地経営に関しては敏腕だが娘を殊更に愛する子爵のお気には召さなかったようで、比喩ではなく本気で射殺さんとする視線をひっしひしとアイゼルンは感じていた。しかし、子爵の隣に立つ奥方の反応は悪くないようなので一応の及第点は貰えたと思って良いだろう。


 サラサラと光をこぼす黒髪に誘われて指を潜らせたり彼女の左耳に掛けてみたりして手袋の嵌まる右手をたわむれさせるアイゼルンに、特に反応は返さないまま受け入れるピアレは、グラスの縁に付いた口紅をほそやかな指で拭い取りながら言葉を紡いだ。


「…ところで……ユイシュエル様とリズ様は、本日はお見えにはなりませんの?」


「いや?来てるはずだが…。…そう言えば、それらしい人だかりが見えないな」


 ピアレから視線を外し、きょろ…と会場内を見渡してみるが、ほぼ揃っているはずの招待客たちは皆穏やかに会話しており どこにも異常な熱気や興奮、そして不穏な気配などは感じられない。


 いくら場内が広いといっても、リーゼロッテが同じ空間にいるならば必ず分かる。


老いも若きも関係なく紳士は皆どこか浮足立ち、大半の淑女は嫉妬するか興が冷めるので、こんなに和気藹々(わきあいあい)と男女入り混じっての歓談が出来なくなってしまうのだ。


 仮にリーゼロッテが何らかの理由で遅刻なり欠席なりしていてユイシュエルだけ来ていたのだとしても、やはり見つけ出すのにそれほど労力を使うことはない。


社交界では“陽だまりの君”と称され、王太子とも懇意の間柄である次期辺境伯のユイシュエルは、リーゼロッテの噂の影響を差し引いても かなりの人気がある。

23歳の現在もなお独身であり、決まった相手もいないらしい彼と何とかお近づきになろうとする未婚の令嬢を持つ親や令嬢たち自身、そしてご婦人方までもがユイシュエルを取り囲むために、なかなか立派な人垣が出来るのである。 しかし彼には同性の友人も多いので、全体の雰囲気はそれほど分離されたりはしないが。


 ちなみに、アイゼルンがピアレへと求婚していることを知らない国内の貴族はいないため、ちらほらと声をかけてくる無知な令嬢や豪胆なご婦人はいても仕事関係以外でアイゼルンの周りに女性が集まることはない。

エストフォンシオン子爵の独断ともいえる意向により彼の財産は爵位を含めたすべてをピアレが受け継ぐことになっており、無事に結婚を認められた暁には、アイゼルンは必然的にエストフォンシオン家へ婿に入る。その際、アルフォンドシュタインの相続権を一切放棄すると明言している彼に言い寄っても、他の令嬢方にはリスクの割に得られるメリットが少ないのである。

 次男であるユイシュエルがアルフォンドシュタイン家の次期当主となっているのも、このためだった。



 首を伸ばして見渡すも、そういった賑わいを見て取れない事に不審に思ったアイゼルンが、エントランスホールにて来城客の名簿を付けているはずの役人に確認を取りに行くためにピアレへ断りを入れようとした…その時。


「…失礼。…ご無沙汰をしております、アイゼルンきょう。この度は、私どもまで御招き頂けるよう殿下へご進言くださったと伺いました。格別の御配慮、誠に痛み入ります」


 耳当たりの良い よく通る低い声に呼びかけられ、アイゼルンは下げていた視線を上げて数歩先にいる声の主を認めると、途端に相好を崩して 待ち侘びたとばかりに返答をする。


「クリス! 久しいな、元気にしていたか?噂は聞いていたんだが、もうずっと顔を合わせていないものだから気には掛かっていたんだ。長きに亘る南部での実地任務、ご苦労だったな」


 夜の如く光を飲み込む短い黒髪に 銀鼠色ぎんねずいろの夜会服をスマートに着こなした青年…名を、クリスウィルナー・リヴィエヌスという彼は、アルフォンドシュタイン領に隣接する北西山岳部の一つを治めるリヴィエヌス子爵の嫡男ちゃくなんであり、王立騎士団に所属している騎士でもある。

 リヴィエヌス家は腕利きの騎士を数多く輩出する名門貴族として名高く、そして古くよりアルフォンドシュタイン家に仕え、現在まで一貫して主家と臣の関係を崩さずに保ち続ける義理堅い一族としてエルドパンクレイズでは有名だった。

リヴィエヌス家 嫡流ちゃくりゅうの者は必ず何らかの形でアルフォンドシュタイン家に関わり、クリスウィルナーも15歳から正式にアルフォンドシュタイン家の騎士として2年、勤めていたのだが…しかし彼は3年前のある日、突然 アルフォンドシュタイン辺境伯夫妻とアイゼルンにのみ騎士職を辞す旨を告げると、彼らの前から去って国の騎士団へと入隊していた。


 入隊後すぐにエストフォンシオン領へと行ってしまったためこの3年間直接的な連絡は取っていなかったのだが、彼がアルフォンドシュタインを去った理由を聞いているアイゼルンは頓着なく、もう一人の弟同然に可愛がっていたクリスウィルナーとの再会を満面の笑みで喜び、長い任務からの帰還を労わる。

昔と変わらない態度で接してくる主家の子息に、まだ20歳と年若いクリスウィルナーもまた、髪とは対照的に芯の通ったグレーダイヤモンドの煌きを放つ涼やかな切れ長の瞳を細めて、形の良い薄い唇に嬉しそうな笑みをたたえた。


「勿体無いお言葉を…。…エストフォンシオン領での訓練は様々な想定の下で行われた厳しいものでしたが、とても良い経験になりました。そちらのピアレ嬢から差し入れを頂いた事もあるのですよ。 ピアレ嬢、その節は大変お世話になりました」


 ピアレへと視線を移し丁寧に頭を下げたクリスウィルナーに、彼女は左足を一歩分下げて優雅に腰を落として礼を受ける。


「とんでもないことでございます。 クリスウィルナー卿は船が苦手でいらっしゃるようで、軍港で真っ青になってらしたお顔は今でも忘れられませんわ」


「これは手厳しい。3年の任期を経た現在は克服しておりますので、どうか、お忘れ願いたく…」


「まあ…。ですが、困りましたわね…。記憶を消すことは容易ではありませんから、それまでは船を見るたびに卿を思い出してしまってもご容赦くださいませね?」


「参りましたね…。…アイゼルン卿が焦がれる花は、なかなか鋭いとげをお持ちのようだ」


 くすくすと軽やかに笑うピアレの言葉を受けたクリスウィルナーはアイゼルンへと苦笑を向ける。

彼に穏やかな笑みを返しながら、


「傷付けられても良いと思うほどに魅力的だからこそ、手を伸ばさずにはいられないんだが……もし花に棘がなければ、無粋な輩に手折られてしまうのではと気が気ではなくなるだろうね」


 そっとピアレの腰を引き寄せ、彼女の黒髪ごと、こめかみに柔らかなキスを落としたアイゼルン。

ピアレは呆れたように吐息をつき、

「…調子に乗り過ぎですわっ」

 と小さく抗議をするものの、やはり抵抗はせずに受け入れている。


 クリスウィルナーは、そんな二人の様子にも苦笑を浮かべるのだった。



 

長くなり過ぎたので一度切ります(__);

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