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悪女・リーゼロッテの生涯  作者: マリネ
4/10

説得とエスコート

 

「、…王太子殿下っ。ですが、わたくしは…っ…」


 ピカピカに磨き上げられた大理石の床に膝をつき、天使のようなクルクルとしたクセのある長い金髪を持つ今夜の主役となる幼い第一王子・ユキアスを上体に くっつけたリーゼロッテは、これ以上は無理だというほどに困惑していた。

次期国王はそんな彼女の様子を全く意に介さず、にっこりと掴みどころのない笑みを浮かべて言葉を続ける。


「ユキも 君とは離れ難いようだし、私としてもこんなに美しい花と共に会場を歩けるのならば、今日と言う日を楽しい思い出として心に刻むことが出来る。良いこと尽くめだとは思わないかい? 私たちのため、引いてはこの国のために……どうか頼まれてはくれないかな?アルフォンドシュタイン辺境伯嬢・リーゼロッテ」


 インディコライトのような深い青色が綺麗な丸めの瞳を鋭く光らせながら、肩口よりも長い、王子と同じだがクセはない金糸のような金髪を空色のリボンで右耳の下辺りで完璧な計算のもとに ゆるく一つに纏めた眉目秀麗な王太子を、リーゼロッテは言葉をなくしたように茫然と見上げる事しか出来なかった。



 事の発端は、王太子の娘である1歳の王女・メアリスの急な発熱。


お披露目が行われる年には、王家と王家に近しい家が主催する夜会は全て、通常よりも早い時間に開始されるよう取り決められている。

それは幼い王子や王女の負担を減らすための配慮であり、あくまでも“サプライズ”でなければならないため、お披露目されるまでは他家に決して気取られないように徹底しているゆえである。

今年も慣例通りに適応され、今回の夜会も、太陽が地平線へと落ち切る前に始まる事が通知されていた。


 この時期、城内は慌ただしい。


リーゼロッテたちの国・エルドパンクレイズは永世中立国であり、王家や有力貴族主催の夜会には近隣国家からも王侯貴族や豪商たちが招かれる。 そのため、準備には彼らが滞在する全ての部屋のルームメイキングはもちろんのこと、それぞれに配慮した部屋割りやアメニティー等の用意も並行して行わなければならない。


ただでさえ やることは山積しており時間はいくらあっても足りないくらいだというのに今年はさらに時間が少なく、この時期のために民間からも短期雇用の下働きを募り必要なすべての事を完璧に準備し終えるための段取りは当然何日にも亘って組まれているのだが、通常業務も平素通りこなさなければならない使用人たちは連日早朝から夜遅くまで忙しなく働き、手の空いているものは役職・担当関係なく すべからく手の足りていないところに駆り出されていた。

 王族付きの侍女や侍従、側仕えらはそういった事に回されることはないのだが、しかし、彼らもそれぞれの主の支度に忙しく動き回ってはいた。


 幼児は、周りの大人たちの気配に ひどく敏感である。


 メアリスが社交場へとお披露目されるのは5歳になってからであり、王太子や王太子妃の意向もあって今回の出席は見送られる事になっていたため、メアリスの子守役である侍女はいつも通りに過ごすように努めていた。


近頃は色々な花を見るのがお気に入りの王女を胸に抱き上げ、他の使用人たちの邪魔とならないように城内を歩いて、三つある中庭のうち温室のある一番大きな中庭にて植物を愛でていた侍女だったが。

ふと、メアリスの様子がおかしい事に気が付く。


いつもならば、母親譲りの澄んだ琥珀色の丸い瞳をキラキラと輝かせながら、目の前にある花に短い手を一生懸命伸ばしたり何かを聞いてきたり、のんびり屋なのか、最近になってようやく掴まり立ちが出来るようになった王女は“ここでもそれがしたいから下ろしてー!”と小さい身体をよじったりして頑張って暴れるものだが、今日はそういった事も無く おとなしい。


不審に思った侍女が声をかけながら顔を覗けば、メアリスの まろい顔には混乱が表れていた。

薄い眉を思いっきり寄せ、綺麗な琥珀色の瞳を不安で曇らせながらキョロキョロと忙しなく動かしている。


心配になり すぐさま部屋に戻った侍女だったが、少し部屋で遊ぶとメアリスの様子がいつも通りに戻ったため特に侍医に相談することもなく王女の部屋で絵本を読んだりして過ごしていた。

 しかし、間もなく夜会と言う刻限。

所用で少しだけ侍女が目を離した隙に王女が発熱。 侍女が懸命に看病するも、いつもは聞き分けのいい王女が母親を恋しがって全くおとなしくしてくれない。

事態を聞きつけた王太子妃が、「風邪や感染症の類ではない」との侍医の見立てで面会の許可を得てメアリスに付き添ったことで一時は落ち着いたのだが、王太子妃があやすのをやめてベッドへ置こうと身体を離すと王女は すぐにわんわん泣いてしまって手が離せない。


 体調不良の王女を連れて行くわけにもいかず、王太子妃は仕方がなく、遅れて行く旨を夫である王太子に告げ王子に詫びるよう言付けた。


王太子は了承し、別室にて待機させていた王子の元へ行き事情を説明。

しかし、公務や勉強等の関係でしばらく母親と会えずにいた王子は今日を大変に楽しみにしており、母親に会えないと分かると“どうして自分のところには来てくれないの!?”とひどい癇癪かんしゃくを起こしてしまった。


 慌てた王子の侍女や側仕えが必死に説得を試みるも王女同様うまくいかず、父親である王太子がいくら言っても、いつもとは違う雰囲気の中で膨らんでいた不安に後押しされた形で爆発した王子の寂しさはなだめられない。


 夜会の時刻が目前に迫り、王太子はほとんど途方に暮れながら自らの筆頭側仕えに開始時間の延長を伝えようとした、その時。


ふと投げた窓の外。茜色に染まり始めた空のもと、広大と表現できる美しい前庭に造られた、門からエントランスへと導く石畳の上を進むいくつもの馬車の中から二台の馬車に目を留めた王太子は、取り付けられた家紋を視認すると それに乗っているであろう彼ら(・・)をここへ呼ぶよう急いで筆頭側仕えにめいを出す。


家紋はアルフォンドシュタイン家ものであり、間もなく、筆頭側仕えにより王太子たちのいる部屋へと連れてこられることとなったユイシュエルとリーゼロッテ。


ここに着くまでに あらかたの事情を聞かされていた彼らは、改めて王太子から“友人として”頼み込まれ、部屋の隅にうずくまって すんすんと泣く王子へと近づいて行った。


 王子とは面識があり、頼まれた本人であるユイシュエルが王子の前に膝をついて柔らかく声をかけるも、悲しみに暮れる王子はユイシュエルを一瞥いちべつすることもなく、植物が模してある白い壁に小さい身体を のめり込ませてしまいそうなほどにさらに くっつけて、抱えている膝の間に顔をうずめてしまった。


 どうしたものかと、小さく頬を掻くユイシュエル。


リーゼロッテは少し離れた所で事の成り行きを見守っていたのだが、うずめる前に見えた王子の少し吊ったインディコライトの瞳に溜まる涙に誘われ、王子に声をかけるため兄に場所を代わってもらった。


「お初にお目にかかります、ユキアス殿下。辺境伯シェイルズ・J・アルフォンドシュタインが娘、リーゼロッテ・アルフォンドシュタインと申します。 本日は、殿下の初めてのお祝いの席にわたくしもご招待してくださいましたこと、大変に嬉しく、光栄なことと痛み入る思いでございますわ。誠に、おめでとうございます」


 王子の目の前にひざまずいて ゆっくりと優しく言葉を紡ぎ、心からの敬意をもって臣下の礼を取るリーゼロッテを、聞きなれない声に顔を上げたユキアスは驚きに目を見開いて凝視する。


下げた時と同じようにゆっくりと上体を起こしたリーゼロッテは、自分に向けられる深い青色を ふんわりとした微笑みで見つめ返し、言葉を続けた。


「…母君もきっと今頃、殿下のお側にいることが叶わず、寂しい思いをしていらっしゃるでしょう…。…ですが、殿下?ここで殿下がお勤めを立派に果たされれば、きっと母君は喜んでくださいます。きっと、たくさん褒めてくださいます。…母君の喜ぶお顔を、見たくはありませんか?…」


 その言葉に、少し顎を引いて視線をさまよわせたユキアス。

リーゼロッテは やんわりと笑みを深くし、右手を胸に当てて、ユキアスの気持ちに寄り添うように懇願の言葉を音にした。


「殿下が母君にお会いしたいと望まれるように、わたくしたちも皆、殿下にお会いしたくてこちらに まいりました。もし、このまま殿下にお会いできなくなってしまったら、わたくしたちは今の殿下のように、とても悲しい気持ちになってしまいます。とても寂しい気持ちになってしまいます。…母君も、悲しまれてしまうことでしょう…。 それは決して、殿下が望んでおられることではございませんよね…?」


 室内にいる人間全員リーゼロッテの後ろで成り行きを…ユイシュエルと王太子以外は固唾を飲んで見守っていたが、王子の反応に次第に期待を高めていく。

 むー…と形の良い眉を寄せる王子は、しばらくしてちょっとだけ視線をさまよわせてからリーゼロッテへと戻し、窺うように おずおずと口を開いた。


「……行ったら、ははうえ来る…?」


「もちろんですわ。こんなに素敵な殿方をお育てになった母君が、大切な貴方様との約束をたがえるはずがございませんもの」


「…、……わかったっ!」


 頷く王子は金糸や銀糸で鮮やかな刺繍が施された上品な青いジャケットの裾で乱暴に涙を拭ってからスクッ!と立ち上がると、やっぱり少し悩んでから、リーゼロッテへと前触れなく腕を伸ばす。

 立てられた膝辺りのドレスをキュッ…と掴んだ王子は、


「…リーゼ…、…いっしょに来て…?」


 とんでもない爆弾を落としたのだった。


 ユキアスと共に行くという事は、つまり彼のエスコートを受けるという事。


やむを得ない事情がない限り、初お披露目の際には王女の場合は父親が、王子の場合は母親を、エスコートと言う名目で共に会場に入り賓客から挨拶を受ける。

しかし、王子にとって生まれて初めてエスコートする女性となるこの役は極めて重要な役と見なされており、重臣であろうが何だろうが、血縁者でも婚約者でも何でもない者に おいそれと務まる役目では とてもなかった。

 当然、所詮は ただの辺境伯令嬢でしかないリーゼロッテは やんわりと断りを入れたのだが王子の小さな手はドレスから離れず、かえって強く握りしめられてしまう。


 困り果て、助けを求めようとした時。


「…なるほど。さすがは私の息子、女性を見る目がある」


「殿下」


 ポツリと、愉快そうにつぶやいた王太子。

ユイシュエルが呆れ交じりに呼んで咎めるが、王太子は気にすることなく続けた。


「我が妃はまだ当分来られないだろうし、親族に頼むにしてももう刻限。来賓の中には他国の元首や保障国の人間もいる。私としても、あまり待たせて不手際を印象付けるのは歓迎できない。そして、ちょうど立食のメインはアルフォンドシュタイン領の特産品だ。リーゼロッテ嬢を連れていれば売り込みもしやすく、輸出品強化のために彼女がいるのだと言えば国内への名目も一応立つ。上手くいけばアルフォンドシュタインの名は国内外で上がるうえにもたらされる利益も大きいぞ? 乗らない手はないだろうユイシュエル」


 にやり、という効果音が似合う微笑みを向ける王太子は、

「まったく、デビューで交易強化を図るとは末恐ろしい奴だ♪」などと付け加えた。


もちろん、そんな意図などユキアスに有るはずが無いのだが、それでもなんとか断れないかと必死に考えを巡らせているリーゼロッテを逃がすまいと、手だけではなく身体全体を使って拘束する手段に出る。


「…リーゼが いっしょに来てくれないとヤダ」


「で、殿下…っ」


 抱き付かれ、うろたえるしかないリーゼロッテ。

アルフォンドシュタインとしてはこの上ないチャンスだと理解していても、ある事情から手放しに賛成は出来ないユイシュエルが妹に助け舟を出そうとする。 しかし王太子に何事かを耳打ちされ、二言三言交わした後に押し黙ったかと思えば そのまま何も言わずに引き下がってしまった。

 王太子の考えにより国益が絡むと理解した側仕えらは、もとより口を挿まない。


 四面楚歌の状況下、リーゼロッテは困惑の極みの中で半ば縋るような面持ちで王太子を見上げて。


そして、冒頭のやり取りへと戻るのである。



 結果的に頷くしかなくなってしまったリーゼロッテは、にこにこと嬉しそうに笑う幼い王子に微笑みを返しながら、気付かれないようにそっと溜め息を落とした。


 …リーゼロッテに纏わりつく“悪女”の名は伊達ではない。


そんなに上手くいくものだろうかと思いながら顔を上げて兄を見れば、申し訳なさそうに苦く笑まれる。


“すまない”と唇の動きだけで告げられて、リーゼロッテはもう一度、静かに溜め息を落としたのだった。



 

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