依頼1、笑顔の地縛霊(6)
「おじいちゃん……?」
霊力の無い人から見れば宙に浮かぶ箱を見て、歩が呟く。
「歩……」
もう二度と言葉を交わすことも出来ない、孫の名を呼ぶ玄六さんは寂しそうな、でもどこかやりきった達成感に似た表情を浮かべていた。
そっと、漆塗りの箱の蓋を閉めると、それを机に置く。
「新太君、すまないが、これから君たちに話すことを歩にも伝えてくれないか?」
「はい……。歩、俺が今から言うこと全部、お前のじいちゃんからの伝言だ」
「うん」
歩が頷くと、玄六さんは静かに語り出した。
襖を水稀が閉める、部屋の中はほのかに、薄暗くなった。
「私は、去年の6月27日、ガンで死んだ。分かっていたことだ、医者には随分前から危ないと言われていた。家族あての遺書、思いにしていた作品の完成、妻への最後の墓参り、やり残したことはやったはずだった。しかし、最後にとても大きな仕事をやり残してしまった……孫への最後の手紙だ」
「おじいちゃん……」
歩は既に泣きそうだった。
そんな様子に嬉しそうな苦笑をこぼして、玄六さんは続ける。
「私は最後に迷った。歩に、なんて言葉を残せばいいのかわからなかったのだ。そこで、私は手紙以外の物を残そうと考えた。孫が喜び、長く使える、そんな物を。私は当時、高校で美術部に入ったばかりだった歩の為に、絵筆を作ることにした」
ここまで話したところで、玄六さんが小声で「ここから先の話は、歩には少しぼかして伝えて欲しい」と頼まれた。小声で言わなくても、歩には聞こえていないのでは? とも思ったが、俺は黙って頷いた。
「しかし、絵筆の制作をするには、私の残された時間はあまりに少なかった。そこで私は死後、絵筆を制作しようと思ったのだ。そのために、この屋敷に結界を張った。この結界には、私の霊力を高める効果とこの部屋を人から認識されないようにする効果、この部屋の中の音や光を外に出さない効果がある。幽霊が筆を作る様など、家族にもみせるわけにはいかないからな」
なるほど、あのミヤコワスレにはそんな凄い効果があったのか……。
「あれ? でも、歩は確か物音とか気配を最近感じるって……」
「それは、私の霊力が弱まってきたからだ。この結界の術者は私だ、私の精神が弱まれば結界の効果も弱まる」
「なら、最初に攻撃してきたのは何故かしら?」
「それは、君たちを霊媒師か何かだと思ったからだ。この絵筆は霊具の類に認定される危険があるからな。あの場で発見されるわけにはいかなかった」
「確かに、この絵筆はただの絵筆とは言えないわね。半端な霊媒師を名乗る連中なら、燃やした方がいいとか言うかもしれない」
何か嫌な思い出でもあるのか、水稀は眉をひそめてみせた。
コホンと、玄六さんが咳ばらいする。そう言えば、すっかり話が逸れてしまっていた。
「話を戻そうか。私は死後、地縛霊としてこの絵筆制作の道具一式と材料に憑りついた。そして、つい先日完成させたところで君たちが来たというわけだ」
「なるほど、あとは自然消滅を待つ状態だったわけね。……余計なことをしてしまったかしら」
確かに、玄六さんが消えてしまえば、この部屋と絵筆は簡単に発見されるだろう。恐らく、絵筆が歩宛てであることはどこかに書かれているはずだし、ほっといても良い状態だったわけだ。むしろ、俺たちがかき回してしまった。
だが、玄六さんは首を横に振った。
「そんなことはない。さっきも言っただろう? 君たちが来てくれて助かったと」
「どうしてですか? 俺たちがなにもしなかったほうが……」
「そんなことはない。私がまだ消えていないうちに、君たちは私を見つけてくれた。おかげで、歩に、こうして別れを告げることができている。正直、もう限界なのでね」
「……」
それだけでいいのだろうか。
こんな伝言の別れの言葉だけで、玄六さんは納得できるのだろうか。
「玄六さん」
水稀が語り掛ける。
そうだ、これだけじゃ寂しすぎる。だから
「最後に、お孫さんにお会いになっていきませんか?」
「……!?」
玄六さんは驚いたように、大きく目を見開いた。
水稀のいう会うの意味が、ちゃんと伝わったのだろう。
「しかし、私はもう……」
「できます」
俺は言い切った。決意を込めて。
水稀はやれやれと首を振りつつ、俺と玄六さんに一歩近づいた。
「確証はできません。ですが、少しの間ならこの部屋限定で、歩君とお話しするくらいはできるかもしれません」
「……」
迷いと、少しの希望の見え隠れする玄六さんに、俺は机の上の筆ペンを取り上げながら言った。
「この筆ペン、最初にここに来た時から気になってました。散らかった部屋、漆塗りの箱、ミヤコワスレの結界……どれも繋がっていたけど、これだけ説明がつかなかった」
「……」
「さっきお話を聞いて、やっとわかった気がします。歩に、手紙を書きたかったんじゃないんですか?」
でも、それは叶わなかった。
多分、筆を作り終えた時点で、霊力が弱まっていたのだろう……いや、最初からこの筆ペンに憑りつくことは出来なかったのかもしれない。
「……本当に、また会えるのか?」
そうだ。でも、ちがう。でもなく、玄六さんの口から出たのはそんな問。
それは、肯定に等しい。
「会わせてみせます」
だから俺は、言い切った。
「そうか。なら、この死にぞこないの最後のわがままを、叶えてくれ」
「はい!」
今度は水稀も、一緒に言い切った。
ブーッブーッブーッ――
マナーモードにしっぱなしのスマートフォンがその身を震わせて、着信を教えてくれる。
相手は水稀だ。
「準備完了よ」
「了解」
ピッ――。通話はそれだけで終了。時間はあまりない、急がねばならないのだ。
「歩、準備はいいか?」
「……うん、いつでもいいよ」
「よし、じゃあいくぞ……」
俺は正方形を描くように畳の上に置かれた式神の一つに手をかざした。
キュンと、短く高い音がして、白い光線が4つの式神を繋ぐ。中心にいるのは歩だ。
「よし」
霊力を込めろ。とか言われても意味がわからなかったが、水稀の手解きのおかげで何とかなった。スズは隣で、「まだ無駄が多いねー」とか言っているが気にしない。
この計画の発案者はもちろん水稀だ。
水稀は簡単だからすぐ出来ると言っていが、こんな霊能者みたいなことを任されたのはかなり不安だった。彼女の期待を裏切ることにならなくて本当によかったと思う。
この計画は、簡単に言えば「歩に一時的に霊能力者になってもらう」というものだ。
ミヤコワスレの結界を少しいじって、もともと花の結界が得意な霊力強化に特化させる。次に、それと相性の良い結界で歩を囲う。最後にこの結界を目印に、ミヤコワスレの結界を発動させて、歩の霊力が上がれば作戦成功……だそうだ。
俺に任されたのは歩の周りに張った結界の維持。水稀はミヤコワスレの結界の改造と発動。つまり、あとは結果待ちの状態だ。
「歩、どうだ?」
待ちきれず、歩に尋ねてみた。
「んー、よくわからない」
こっちを向きつつ、答える。
と、その目が、あらぬ方向に向けられた。
「……あれ?」
「?……どうした」
「え……あ、え……?」
急に、歩がうろたえだす。
まさか、なにか不味い異常が……
「もしかして……」
焦りだす俺の頭に、落ち着いたスズの声が届く。
「わたしが見えてる?」
「え?」
歩を見ると、確かに視線がスズを捉えていた。
少し戸惑ったように、恐る恐る口を開く。
「もしかして……スズちゃん?」
「うん! そうだよー」
「わあ、僕、幽霊見えてる!」
「しょ、初対面の感想がそれってひどくない!?」
おいおい、キャラがぶれてるぞ……。いつもの幼児キャラはどうした?
まあ兎に角、成功したようなので、一応水稀にメールしておいた。それから、まだなにか言っているスズを宥めつつ、歩に向き直る。
「よし、歩、振り返ってみろ」
「あ……うん」
歩はゆっくり、振り返る。そこにあるのが、なにかはもうわかっているのだろう。振り返る直前、俺に見せた横顔には、緊張と決意が見て取れた。
「……歩」
玄六さんが語り掛ける。
「久しぶり、おじいちゃん」
歩はそれに答える。
「本当に久しぶりだな。その……学校はどうだ?」
「楽しいよ」
「そ、そうか。あーえっと……」
それきり玄六さんは黙り込んでしまう。
少しして、ははは、と笑いながら頭をかいた。
「おかしいな。話したいことが山ほどあったはずなんだが」
何にもでてこないよ。そう言って、また笑う。いつの間にか、歩も笑っていた。
「おじいちゃん、無口だったもんね」
「ふふ、そうだったな」
「僕とだって、最初は全然話してくれなかったし」
「そんな昔のことは忘れたな」
「でも、2回目の時、絵の描き方を教えてくれた」
「そんなこともあったな」
「もう、随分都合の良い記憶だね」
「ふはは。老人だからな」
穏やかな二人の会話。
一定の距離で、立ったまま向かい合いながらなのに、その光景はまるで、縁側で隣り合って座るおじいちゃんと孫のような、陽だまりのなかの暖かな時間を思い起こさせた。
でも……
「おじいちゃん……?」
いつか陽は落ち、陽だまりは冷える時が来る。
「ふふ、どうやら時間切れのようだ」
うっすらと、玄六さんの身体が消え始める。
ミヤコワスレの結界を改造する――それは、結界の効果を玄六さんが受けられなくなるということ。消滅の時間が早まってしまうのは当然だ。
「最後だな。歩」
「おじいちゃん……」
「遅れてしまったが、誕生日おめでとう」
漆塗りの箱を差し出す。
「遅すぎるよ……もう、2週間も過ぎてるよ」
「すまんな」
「ううん、ありがとう」
受け取った箱を、歩は大事そうに抱えた。
「ありがとうはこちらの言葉だ」
玄六さんは俺たちを見た。
「新太君、水稀君、スズ君、ありがとう」
「いえ」
「どういたしましてー」
スズは何もやってないような……。
「それと、かあさん。こんな私の女房やってくれてありがとう。お袋、親父、産んでくれてありがとう。美子、産まれてくれてありがとう」
美子とは、歩の母さんの名前だったはずだ。
「それから歩、私に最後の生きがいをくれて……ありがとう」
「……うん」
泣きそうな顔で、何とか笑顔を作る。
「ふふ……ははは。全く、いい人生だった」
玄六さんは、もう、俺でもほとんど見えないほどに消えかかっていた。
それでも、歩は手を伸ばして……それを、引っ込めた。
「おじいちゃん」
代わりに、涙で濡れたのを隠そうともせず、笑った。
「ありがとう、さようなら……」
玄六さんが、フッと最後に笑った気がした。
「さようなら、歩……」
最後の最後まで、二人は笑顔のまま――
永遠の――別れを――告げた。
まどろみの太陽が、ゆらゆらと空をオレンジ色に染めていた。
まばらに残る雲は、そんな空に良く合って、理想的な夕焼けを演出している。
「今回はありがとうね、新太君。こんなにすっきり終わったのは久しぶりだわ」
本当にすっきりした様子で、水稀が言った。表情も晴々している。
俺たちは今、二人でいつかと同じ田舎道を歩いていた。歩は貰った筆で早速、絵を描くそうだ。スズは俺の背中で寝ている。幽霊なのにちゃんと重さがあるのは不思議だが、これが、人の魂の重さなのだろう。もっとも、霊力の無い人には、この重さを感じることはできないらしいが。
「いや、俺も助けて貰ったし、お互い様だ」
「それでもよ。今回は本当に大成功だもの」
「……いつもはこんなふうにいかないのか?」
少し、誤解していたかもしれない。
除霊と聞いて、幽霊を消してまわるのだと勝手に想像していた。しかし、水稀の今の表情を見る限り、そんなことにならなくて良かったといった感じだった。
「そうね、やりきれないままの時もある」
やはり、水稀の明るい顔に影がおちた。
少し、嫌なことを訊いてしまったと後悔する。
「霊が消える条件はね、二つあるの」
「二つ?」
「そう。一つ目は霊力がなくなること。もう一つは……きっかけの心残りがなくなること」
今回は両方ね。と、水稀は笑う。
「本当は心残りをなくすことで成仏させてあげたいんだけど……それが無理で、その霊をほうっておくと危険な場合は、もう一つの方法しかない」
もう一つの方法――霊力を枯渇させること。
それはどんなやり方でだろう? 俺は、歩の家で見た水稀の不思議な術を思い出していた。
あれは、どう考えたって戦闘用だ。
「だから、今回みたいな解決はすごく気分がいいの」
「そっか……」
はしゃぐ彼女は、本当に喜んでいて。
いつもは、悲惨な最期や助けられなかった人を見てきたのだろうと想像できた。
「そういえば新太君」
だからかもしれない。
「助手の件、考えなおしてくれたかしら?」
振り返った笑顔の問いに、俺は――
「手伝ったら、今回みたいに解決できるのか?」
こんな事を聞き返していた。
彼女は少し戸惑って、でもはっきりこう答えた。
「……絶対に上手くいくとは限らないわ。でも、成功率は絶対に上がる。新太君なら絶対に」
予想以上の言葉。
「そっか」
「そうよ」
そう言って、彼女は右手を差し出した。
それは、一昨日の初めましてのとは違う。誘いの握手。新たな世界への切符。
今度は、俺から掴んだ。
「その……よ、よろしく」
やっぱり、ちょっとどもってしまったけど。
水稀は、両手で俺の手を包みながら、木漏れ日のような笑顔を見せた。
「こちらこそ!」
いつもより、ちょっと弾んだその声は。
意外にも心地よく、俺の身体の奥に、響いたのだった。