依頼1、笑顔の地縛霊(4)
「でかい……って?」
その言葉の意味するところはわかっていたものの、俺は彼女に疑問をぶつけずにはいられなかった。
未知のものに対する恐怖が、俺の全身に纏わりついていた。
「わかっているでしょう。ここにいる霊が、思ったより強力だということよ」
水稀はぶっきらぼうにそう言ったものの、何かを思い出したかのような、暖かな目で俺を見ていた。
「そんなに心配しなくても大丈夫よ。霊力だけなら、あなたの方が強いのだから」
そう言って背中を叩いた彼女の手は、予想以上に痛かった。
「新太ーいつまで玄関にいるのー」
歩が不満そうな顔を覗かせる。
背中を擦りつつ、俺は水稀の後を追った。
「おじゃまします」
「いらっしゃーい」
歩が元気いっぱいに迎えてくれた。
隣では水稀が丁寧に脱いだ靴を調えている。スズはもう家に上がっていて、玄関に置いてあった狸の置物を眺めていた。
「とりあえず、こっちへ来て」
歩に促されて、俺はスズの手をひきつつ、居間に案内された。
居間にはまだ炬燵が出しっぱなしで、上には籠に入ったみかんが置いてあった。もう4月も下旬だが、このあたりは標高が高いのでまだ寒い。恐らく、片づけるのはもう少し後だろう。今日もなかなかに寒かったので、早速入らせてもらった。なんと掘り炬燵だ。
「いらっしゃい。久しぶりねえ、新太くん」
掘り炬燵をもの珍しく思っていると、おばさん――歩の母親で昔は随分お世話になったものだ――がお茶を持ってきてくれた。
「あ、どうも。お久しぶりです」
「ホント。まあまあ、こんなに大きくなって」
「はは、育ち盛りの4年間でしたから」
おばさんの方はお変わり無いようで。とか言おうと思って、やめておいた。
しかし、本当に昔に戻ったみたいだった。俺の右横に座る歩、お茶を持って来てくれるおばさん。どれも懐かしいものだ。
「それじゃ、なにか不便があったら言ってね」
本当に人のいいおばさんは、そう言って台所に戻った。少しして階段を上がる音が聞こえたから、二階へ行ったのだろう。
それを見計らってか、水稀が立ち上がった。
「さて、それじゃあ幽霊探索を始めましょう」
「みかん食べてからにしないか?」
「みかん食べてからにしようよー」
「みかんは食べないの?」
「……勝手にしなさい。この仲良しみかんトリオ」
俺と歩とスズの三位一体みかん攻撃に、水稀はふてくされながら炬燵に潜りなおした。自分がやる気をだして立ち上がったのに、俺達に出鼻を挫かれたのが面白くなかったのだろう。
「……トリオ?」
歩がキョロキョロと周りを見て、首をかしげていた。そうか、歩にはスズが見えていないんだった。
また話がややこしくなるのはマズイ……というか、今スズのことを歩に説明するのは面倒なので、俺は水稀のご機嫌の為にも話を戻すことにした。
「なあ水稀。探索って、もう霊の場所はわかってるんじゃないのか?」
「……どうしてかしら?」
水稀は少しむすっとしてはいたが、話は聞いてくれた。手には剥きかけのみかんがある。どうやら、みかんを食べることには賛成のようだ。
「玄関で感じたのって、霊の気配だろ?」
「違うわ」
「へ? だってあの時……」
水稀はここにいる霊のことを“思ったより強力な霊”だと言った。つまりあの時、彼女は霊の存在の大きさを計ることができていたはずだ。それに、俺も確かに何かを感じた。
気配ではないなら、あれはなんだったのだろう。
「本当に何も知らないのね……」
考え込んでしまった俺を見て、水稀は何やら呆れていた。
「仕方ないだろ? 自分が霊能力者だってことすら、ついこのあいだ知ったんだし」
「それが不思議なとこなのよね……あなた程の霊力があれば、幽霊絡みのトラブルに巻き込まれたことがないなんて有り得ないと思うのだけど。世の中、良い霊ばかりではないのだから」
「そんなこと言われても知らないって。それより、どういうことだよ。玄関でのあれはなんだったんだ?」
水稀は剥き終わったみかんのひとかけを口に運んだ。俺もみかんを口に放り込む。
ゆっくり咀嚼してから、今度は言葉は発するために、またその唇を開いた。
「あれは、地縛霊のテリトリーに足を踏み入れた時の感覚よ」
「ジバクレイ?」
なんか聞いたことはあるが、どういう存在かはよくわからないな。字は地縛霊だろうか? それとも自縛霊? もしくは自爆霊とか……最後のだったらやだなあ。
「確か、土地とか建物とかに執着して、そこから離れられない幽霊のことでしたっけ?」
説明してくれたのは、意外にも歩だった。
「だいたい合ってるわ。地縛霊は地に縛られている霊なんて書くけど、正確には何かに憑りついている霊のことよ。それはもちろん場所であったり、建物だったり、物であったり、人に憑りついている場合もある」
なるほど、つまりは幽霊になる原因の“心残り”が明確な一つの“モノ”だった霊ってことか。
「……地縛霊は物欲から生まれる霊」
ぼそりと、スズが静かに呟いた。
いつの間にか俺のすぐ横にちょこんと座り、時折見せる子供とは思えない悟りきった顔で俺を見つめている。
「あれが欲しい。ずっと手元に置いておきたい。誰にも渡したくない。そんな思いが彼らをそれに縛り付け、そして彼ら自身もそれに捕らわれたまま……だから地縛霊は自分を縛る自縛霊とも呼ばれるの。皮肉な話だよね、何かを縛ろうとする思いが、結果的に自分を縛り付けている」
「スズ……」
お前は一体何者なんだ? そう、問いたかった。
でも、その質問は、まだしてはいけないような気がして。
俺は、呼びかけに首をかしげたスズに何でもないと返してから、水稀に向き直った。
「ともかく、ここがその地縛霊ってののテリトリーってことは、この家が今回の霊の憑りついてるモノってことだろ?」
「ええ、恐らくね。地縛霊は憑りついたものに干渉できるから、ここ最近の物音とかの被害の説明もつくわ」
これはスズに聞いた話なのだが、幽霊は基本、物には触れても干渉はできないらしい。
例えば、コップが置いてあったとして、幽霊はそのコップに触ることはできるが持ちあげることはできない。しかし、地縛霊なら憑りついたモノ限定でそれができるということか。俗にいう「ポルターガイスト」とかは地縛霊の仕業なのかな。
水稀は手に残った最後のみかんのひとかけを食べてから、再び口を開いた。
「最初の質問に戻るわね。ここは既にターゲットのテリトリーだから、ターゲットの気配はそこらじゅうから感じるの。この家のどこにいるのかは、私にもわからないわ」
なるほど、あとはしらみつぶしに捜すしかないわけだ。
「了解。じゃあ歩、案内頼む」
「うん。任せて」
「わーい。探検だあ!」
「やっと始動ね。さっきも言った通り大きな霊だから、できるだけまとまって行動しましょう」
というわけで、平野邸の幽霊探索が始まった。
部屋1 『北の角部屋』
「まずはここからだね」
「立派な和室ね……この花は何かしら?」
「ミヤコワスレって花なんだって。おじいちゃんが好きだったんだ」
「ミヤコワスレは春の花だからね」
「スズは花に詳しいのか?」
「ちょっとね。昔の知り合いにそういうの好きな人がいたんだ」
「へえ……」
部屋2 『北東の一室』
「なにこの部屋……」
「すごいな。まるで美術館みたいだ」
「ここはおじいちゃんの作品が飾ってあるんだ。ここにあるのは皆、おじいちゃんの作品だよ」
「絵画だけじゃなくて彫刻、書に……絵筆なんかもあるのね」
「多才だったんだなあ」
「多才っていうより、多趣味だったんだよ」
「見て見て新太ー! このお花、木でできてるよ!」
「ホントだ。菊だよな、これ」
「うん。その木の菊はおじいちゃん、よく作ってたの憶えてるよ」
「へえ……よく見ると花は結構あるな。絵も彫刻も」
「まあ、定番よね」
部屋3 『東の角部屋』
「ここは、また和室ね」
「まあ、この屋敷自体、立派な日本家屋だし。この家でフローリングのリビングとかあったら逆に不自然だろ」
「それはそうね」
「あ、新太。またミヤコワスレがあるよ」
「ホントだ」
「さっきの部屋とこの部屋だけじゃなくて、ほかの部屋にも置いてあるんだ」
「そっか、こいつは春の花だったな」
そんなこんな、俺達は広い屋敷を探し回った。
しかし、この屋敷は本当に広い。一階だけで10部屋はあるんじゃなかろうか。しかも、ここは母屋で庭には、はなれが一つと蔵が一つあるというのだから驚きだ。
「歩、あと何部屋あるんだ?」
「うーん、一階は残り4部屋かな」
「そうか」
やっと半分くらいかな。
「なに、もう疲れたの?」
水稀が呆れたように目を細めて訊いてくる。
「違うって。そんなすぐ疲れるか」
まあ、少し飽きてきてはいるが。
俺はなんとなく、窓を見た。外は適度に雲があっていい天気だ。幽霊探索なんて辛気臭いことをやるよりは屋外に繰り出したくなる日和だった。
「なにやってんのかね。俺達は」
溜め息気味に呟いたその時だった。
すっ――と、雲が太陽を覆いその光を一瞬遮る。辺りは少し暗くなり、かすかに屋内の様子が窓ガラスに映った。
「……あれ?」
違和感。
振り返ると同時に、雲は動き、また光は差し込んだ。
だが、違和感の正体はなくなっていない。
俺は、先を行こうとしている仲間たちを呼び止めた。
「なあ……この部屋、入ったっけ?」
窓の対面。さっき雲で太陽が陰った一瞬だけ窓ガラスに映った和風の扉に触れる。
「あれ、確か、入ってない……と思う」
「変ね。私たち全員、気づかずに素通りしてしまうなんて」
「……意識から、外されていた?」
最後のスズの言葉に、俺と水稀がピクリと反応した。
「まさか、これ」
「恐らく、ビンゴね」
その意味は、訊かなくてもわかる。
意識から外れるように細工された部屋。そんなの、霊と無関係なはずが無い。
「歩、先に居間に戻っていてくれ」
「えっ……?」
「そうね、あなたたちは下がっていなさい」
「えー、スズも?」
「むしろ、あなたが一番不安よ」
「むぅ」
解かりやすくむくれるスズといまだに固まったままの歩。
スズはどうだか知らないが、歩には状況が呑み込めていないのだろう。
「歩、頼む。後でちゃんと説明するから」
正直、俺も何があるのか分かっているわけではない。なので、どうしても曖昧な言い方にになってしまう。
それでも、歩は俺の言葉を信じてくれたようだった。
「わかった。約束だからね」
「おう」
ポンと頭に手を置くと、歩は納得してないというような顔をしつつも行ってくれた。
その姿をしばし見送ってから、スズに顔を向ける。真っ赤なかわいい幽霊は、まだ水稀と何やら言いあっていた。
「ほら、スズも」
「新太まで、そんなこと言ってー。わたしなら大丈夫だって」
ふん、と胸を張るスズ。さっきからこの調子なのか、水稀は片手で頭を抱えている。
少し……言い方を変えてみるか。
「なあ、頼むよスズ。歩がこっちにきたら困るだろ?」
「歩が?」
「そう。だから、少し見張っていて欲しいんだよ。だから、一緒に行ってくれ」
スズはうーん、と少し考える素振りをみせた後
「そだね、わかった」
と、あっさり頷いた。
「おお、わかってくれたか」
「うん。しょうがないから、今回は乗せられといてあげる。その代わり、後で一緒に遊んでもらうからね、新太。それと、水稀も」
それだけ言うと、俺たちの返事も待たずにさっさと行ってしまった。
「あなたの言うことは素直に聞くのね。人望があって羨ましいわ」
「スズは多分、おまえをからかうのに飽きただけだよ」
「え?」
詳しいことはわからんが、恐らくスズは水稀が見た目や言動よりも意外と接しやすい性格であることに気付いたのだろう。遊びたいと言っていたし。
「それより、この部屋。やっぱいるのか」
10歳くらいにしか見えない女の子にからかわれていた。と言われて、ポカンとしていた水稀だったが、幽霊の話になると途端に真剣味を帯びた。
「間違いないわ。いい、くれぐれも突っ走らないで、私の傍にいなさい。あなたの霊力なら大事にはならないと思うけど、敵意のある霊なら攻撃してくるかもしれない」
「わかった。肝に命じる」
「結構。それじゃ、開けるわよ」
水稀はそっとふすまの扉に手をかけると、素早く一気に開け放った。
「……」
身構えるが、そこは今まで見てきたこの家の部屋部屋となんら変わらなかった。ただ、部屋の中は凄い散らかりようで、ここだけ台風の直撃をうけたみたいだ。中央に作業用の机が置いてあり、そのうえだけはなぜか綺麗で、小さな漆塗りの細長い箱と筆ペンが置いてあった。
「誰も、いない?」
てっきり、幽霊が待ち構えていると思ったのに拍子抜けだった。
しかし、中に一歩入ったその瞬間
「……っ!」
この家に初めて入った時、玄関で感じたのと同じ感覚が俺を襲った。
「上よ!」
水稀の声が届いたのと、上から光の塊が降ってくるのは同時だった。
本能的に、攻撃だと判断した俺はとっさに横に跳ぶ。
バチン!
音をたてて光が弾ける。
「くそ、いきなりこんな魔法みたいな――」
そこまで言って、自分の足が動かないことに気付いた。
見ると、足に糸のようなものが絡まっている。散らばった床には、そこらじゅうに半透明の糸が仕掛けられていたのだ。
ズ、ズズズ……
気付けば、部屋中の壁から青白い手が伸びて来ていた。うねうねと蛇のように動く無数の手が徐々に部屋を覆い尽くす。その異様な光景に思わず体は竦み、思考は恐怖とパニックで埋め尽くされる。
「あ……ああああ」
身を守れと本能が警告している。それに、まともな判断力を失っている俺の体はバカみたいに従った。体を丸め、頭を守ろうと必死になる。
手が周りに集まり始めた。パキパキと爪が割れるような音が聞こえる。
「……」
声は出なかった。
目の前の不気味な手が、パックリと口のように開く。
反射的に目をつぶった。
「――“破”――」
瞬間。
顔にきたのは激痛でも気味の悪い感触でもなく。
僅かな熱と、瞼の裏からでもわかる程の光だった。
「へ?」
俺は間抜けな声で自分の無事を確認した。と同時に左手を強く引かれる、水稀だ。しかし、俺の足に絡まった奇妙な糸が引っかかって動けない。
俺の顔が痛みに歪むのを見て、水稀は手を緩める。代わりに小さく息を吸い込んだ。
「――“剣”――」
澄んだ、本当に透き通った、今まで聞いたことがない響きで、水稀がそう唱える。
すると、細い簡素な剣が現れ、俺の足元を薙いだ。糸が切れ、足が自由になる。
「な、なにこれ!?」
「説明は後、出直すわよ! もう一回私が攻撃を防ぐから、その間にあなたは扉を閉めて!」
振り返ると、数えきれない程の手が、また部屋を埋め尽くしていた。うごめく無数の手は一匹の巨大な生物のようで、ぞっとした。
それでも、平気そうな水稀を見て刺激されたなけなしのプライドで、逃げ出さずにいられた。
「りょ、了解!」
俺は慌てて襖の取っ手に手をかける。その間にも、手が迫ってきている。
「――“壁”――」
再び澄んだ言の葉が響き、半透明な壁が現れた。気色悪い手たちはそれに阻まれる。その隙に思いっきり襖を閉めた。
ピシャンと派手な音をたてて、扉が閉まる。安堵と精神的な疲れで、おれはその場にへたり込んでしまった。
「……」
「……」
水稀も同様に座り込む。ただ、彼女の顔には恐怖ではなく、焦りから解放されたときの疲れの色が浮かんでいた。そして、それはみるみるうちに怒りの色へと変わった。
「……なにか、言うことは?」
「すいませんでした!」
俺は、ベテランサラリーマン顔負けの理想的な角度で瞬時に頭を下げた。
「くれぐれも突っ走らないで。そう言ったはずよね?」
「申し訳ありませんでした」
「なのに、勝手に部屋の中に足を踏み入れて……結果、撤退するはめになってしまったじゃない!」
「本当に俺が悪かったです。勘弁してください」
その後。
ぷくーと頬を膨らませた水稀に、俺は長い間、怒られつづけた。
普段大人っぽいくせに、感情が上下するとすぐに子供っぽくなるんだから。ついその様子に頬を緩ませてしまったのも、説教が長引いた原因の一つだろう。