依頼1、笑顔の地縛霊(2)
「やっぱり、新太だ!」
入口から二列目の一番前の席に座る男の子は俺の再会の挨拶を聞いて、嬉しそうに立ち上がった。
「平野……嬉しいのはわかったから座りなさい」
「あ、すいません」
しゅんとして俯く様はまるで小動物のようで、あの頃とちっとも変わっていない。
この男子の名前は平野歩。俺の小学校時代の親友だ。小学生の頃から子供っぽいと評判だったのだが、いまでも身長は低めだし、顔立ちも幼くみえる。正直、見た目もあの頃とあまり変わっていなかった。
「また、後でな」
「うん」
俯いたままの歩に声をかけてやると、途端にその童顔をぱあっと輝かせて頷いた。相変わらず単純な奴だ。
その後、黒板に名前を書いて「初めまして高斗新太です。よろしくお願いします」といったお決まりの自己紹介を終え、俺は入口から一番目、つまり一番廊下側の列の一番後ろに用意された席に座った。
「それじゃあ皆、転校生と仲良くな~。日直~」
「起立、礼!」
こうして、俺の新しい学校生活が幕をあけた。
転校初日の最初の授業は数学だった。
教科書は前の学校で使っていたものと同じだったので、ちゃんと持ってきている。なので「教科書?」「うん。俺、転校初日で教科書なくて」「わかった。じゃあ机くっつけっこしよっか」「あ、ありがとう」みたいなラブコメ展開は勿論ない。そもそも、転校生だから教科書ないなんて状況はあまりないだろう。ちゃんと学校側が用意なり購入の手続きなりをしてくれるはずだ。
と、思っていたのだが……
「なぁ転校生、教科書見せてくれないか?」
「……」
そうきたか。それはさすがに想定外だ。
「カズ……また教科書忘れたの? てか転校生に頼むのはなんか違うでしょ……普通、逆じゃないの?」
「仕方ねーじゃん、昨日は勉強するつもりだったんだからよー」
「勉強はしてないのかよ!?」
「転校初日の転校生にツッコまれるとか、あんたもう終わりね……」
はあ、と溜め息を吐いた女の子は、俺を見てにこやかに微笑んだ。
「ナイスツッコミだったね、転校生。あたしは矢途見加奈。で、こっちのバカが柚木和人」
「カズでいいぜー、よろしくな」
「あ、ああ、よろしく」
三人で軽く自己紹介したあと、和人はいそいそと自分の机を俺のにくっつけ始めた。教科書を見せるのは決定事項らしい。因みに、和人は俺の隣で加奈はその前の席だ。
「転校生、こいつはしょっちゅう忘れ物するからね。鬱陶しくなったら無視していいよ」
「わかった。アドバイスありがとう矢途見さん。あと、転校生じゃなくて新太でいいよ」
「そう? じゃあ、あたしのことも加奈でいいよ。新太」
「お、じゃあさじゃあさ、俺っちも転校生のこと新っちって呼んでいいー?」
「アタッチみたいだから却下」
「そんなこと言うなよ、アタッチー」
「……クラッチ」
俺は和人の首を思いっきり締め上げた。
「く、苦し……わかった、新太っちにするから……や、め……」
訂正もあったし、本気でおちそうだったので、開放してやった。机に突っ伏した和人はゴホゴホとおおげさにむせている。
「ひどいぜ、新太っちー」
「いい感じだったねー新太。そこからフライングメイヤーに繋げて……」
「プロレスネタはいいよ……、加奈っち」
和人が再度、机に突っ伏したのと同時に始業のチャイムが鳴った。先生も同時に入ってくる。
「数学の前田先生、時間に厳しいことで有名なんだよ。新太も気をつけなよ」
「了解」
そう言えば、歩のとこに行き損ねたな。
……後で謝っとくか。
放課後。
歩と一緒に、俺は帰り道を歩いていた。途中まで和人もついてきたのだが、和人は電車通学だったらしく駅への分かれ道で別れた。
歩は途中まで俺と同じ道らしい。
「それにしてもビックリだよー。まさか新太がうちの学校に転校してくるなんて」
「俺も歩がいるとは思わなかったよ。世間ってせまいよな」
歩はそうだねーと言いながら、子供みたいな無邪気な笑顔をみせた。
小学校時代、俺と歩は家が近所でよくお互いの家を行き来したり、休日は二人で外に出かけたり、小学校の6年間のほとんどを一緒に過ごした。しかも6年間同じクラスだったので、イベント事も一緒だったことが多かった。間違いなく一番仲のいい友人と言っていいだろう。
そんな俺たちだが、歩が小学校卒業してすぐ、両親の都合で引っ越ししてからはたまに電話で話す程度だった。歩は当時、引っ越しを嫌がっていたため俺は引っ越し関連の話題――歩のも俺のも――を避けていたのだが、それがこんなサプライズに繋がるとは思わなかった。
「そういや、普通に帰ってきてるけど、歩は部活とかはやってないのか?」
加奈はバスケットボール部で、放課後は練習があると言っていた。
放課後、なにもないということは歩は帰宅部だろう。
そう思ったのだが、歩は首を横に振った。
「美術部に入ってるよ。ただ、美術部は自由参加型なんだ。部活っていうより同好会って感じかな」
「なるほど、それで今日はサボったんだな」
「でてもでなくてもいいだけだってば」
ちょっといじける歩が面白かったので少しからかってみることにした。
子供っぽい歩は、同世代の男子よりも『悪いこと』に過剰に反応してしまう。なので、そこから歩が気にするようなネタをふっていった。
最初のうちは
「もー。新太のいじわるー」
とか言って頬を膨らませるだけだったのだが、しだいに
「ふん」
とか
「むう」
とか
「ばか」
としかしゃべらなくなってしまったので、からかうのはやめにした。
ごめんごめんと言いながら、歩の頭に手を置こうとして……その手を払われた。
俺は驚いた。歩に手を払われたからじゃない。歩じゃない誰かに手を払われたからだ。
「年下の男の子苛めるなんて、最低だね」
歩の前に立っていたのは、真っ赤な着物姿の女の子だった。
「ス、スズ!? おまえいつの間に……」
さっきの歩よりも頬をパンパンに膨らませたスズは、ビシッと俺を指さす。
「弱いもの苛めは、めっ、だよ! こんな小さな子を苛めるなんて信じられない! 今すぐ謝って!」
「……」
確かに、少しやり過ぎたかもしれない……。
俺は、ポカーンとする歩に静かに告げた。
「歩、歳いくつになった?」
「えっと、2週間前に17歳になったよ。電話くれたのに忘れちゃったの?」
「いや、確認だよ。ちなみに俺はいくつだ?」
「新太は誕生日、10月だから16歳でしょ。急にどうしたの?」
「いや、別にー? そっかー、俺は16で歩は17か」
スズは先程から指をさした姿勢のまま、プルプルと小刻みに震えている。
俯いて一文字に口を結んだスズを俺は覗きこんだ。
「俺のが年下なんだなー。な、スズ?」
メシッ――。
と、なにかが軋むような音がした。
「いったあ! なにすんだスズ!」
赤い羽根を纏った小さな拳が俺の鼻に直撃したのだ。鼻が軋む。子供の腕力とは思えない威力だった。
「ふんっ! 新太が悪い」
腕を組んでふんぞり返るスズはいかにも怒ってます、という感じである。
「だからっていきなり顔面パンチはないだろ……」
鼻をさすると、特に外傷や腫れはなかった。あの威力で殴られたにしては不思議なものだが、まあ怪我がなかったのだから良しとしよう。
と思ったのだが、スズは俺の態度が気に入らなかったのか、再度襲いかかってきた。
「新太、ぜんぜん反省してない!」
「ちょっ、やめろって。てかやめて下さい! 首しまってるから」
「あ、新太っ!? どうしたのっ!? 一人でなにしてるの!?」
俺の背中にしがみついたスズに、スリーパーホールドをきめられていると歩がおかしなことを言い出した。
一人……で?
そういえば、あの少女はスズのことを幽霊だって言っていたような……。
「歩、赤い着物の女の子が俺の背中に乗ってるのが見えないか?」
「赤い着物の……女の子?」
あー、こりゃやっちまったな。
一応、スズにも確認をとってみる。
「スズ、お前、幽霊か?」
「そうだけど……、なぁに? 今頃気付いたの?」
「……」
やっぱり、昨日の少女の言っていたことは本当だったようだ。
しかし、これは困ったことになったな。どうやって誤魔化そう? 歩にばっちり俺の奇行――霊が視えない人から見ればだが――を見られてしまったし、今の質問も聞かれていたようで「幽……霊?」とか言って首をかしげている。
どうしよう……幽霊と話してましたなんて言っても信じてもらえないだろうし……。
「あ、あのな歩。その……」
なんとか誤魔化そうと言いかけた言葉は、歩の意外な言葉に遮られた。
「すごい! すごいよ、新太!」
「へ?」
ずいと俺に詰め寄った歩は予想に反して、目をランランと輝かせていた。他の高校生男子より断然大きな瞳が輝く様は、見ていると眩しいくらいだ。
超レアな昆虫を見つけた子供みたいな歩に気圧されて、俺一歩後ずさった。背中のスズも驚いている。
やがて、歩の口がもう一度空気を大きく震わせた。
「やっぱり、幽霊が視えるんだね!」
「や、やっぱり……って」
どうやら、目の前の親友にはもうばれていたらしかった。
「修学旅行の時だよ」
俺が幽霊が視えることについて、なぜ知っているのか歩に訊いてみたところ、そんな答えが返ってきた。
「修学旅行?」
「うん、ほら、クラスの列からはぐれちゃったことがあったでしょ?」
そう言えば、そんなこともあったな。あの時はどうしたっけ? 確か、親切な人に道案内して貰ったような気がする。
「その時、新太が急に道がわかったとか言い出して、僕たちは新太についていったんだよ。そしたらちゃんと戻れた。で、そのあと新太にどうして道がわかったのか訊いたら、親切なおじいさんに案内してもらったって……」
「つまり、歩たちにはそんなじいさんは見えなかったと」
「うん。だからね、思ってたんだ。新太には幽霊が視えてるんじゃないかって」
なるほど。俺は自分の力を自覚していなかったのだし、もしかしたらこの一件以外にも、はたから見たらおかしな行動をとっていたことは結構あったのかもしれない。
「というか、わたしと初めて会った時がまさにそうじゃない?」
「……スズ、お前、読心術でも会得してるのか?」
「幽霊は人の精神のなれの果て。心は人の精神そのもの。多少なら通じることができる。もちろん、新太だからっていうのが大きいけどね」
それは、俺がわかりやすいということだろうか?
思わず自分の顔を触って表情を確かめていると、歩にぐいっと袖を引っ張られた。
「とにかく、本当に幽霊が視えるだねっ!?」
「あ、ああ、そう……らしいな」
まだ、実感が追いついていないが。
「それならさ、僕の家に一度来てくれないかな?」
「へ……ど、どうして?」
なんとなく、嫌な予感がして俺は顔をひきつらせた。
というか、予感でも何でもなく、この話の流れで家に来いと言われたら……
「僕の家、最近おかしなことが多いんだ。だから見てほしいんだ」
そういうことに決まっている。
昨日、除霊みたいなことはしたくないと思ったばかりだし、正直やりたくはない、やりたくはないが……。こうして友人が困っているのをほうって置くこともできない。
スズは「わたしもついてくよー?」とか笑っている。俺の苦悩をもう少し感じてくれよ。
「えっと……」
期待に満ちた歩の顔を見ると、断りきれず曖昧な言葉をこぼしてしまう。
それでもやっぱり断ろうとしたその時――静かな、しかしよく響く、凛とした声が突如響いた。
「いいわよ」
「は?」
「え?」
「ん?」
突然の乱入者に、三者三様の声が漏れる。
俺たちを完全に置いてけぼりにして、黒髪の少女はその長い髪をなびかせる。そして妖しく微笑んだ。
「その話、詳しく聞かせてもらえるかしら」
まどろみの太陽が、世界を赤く染め始めていた。