第四話 心境の変化
その後、何度か彼と顔を会わせた。
彼の休憩時間に何度か一緒に食事をしたり、他愛のない話で盛り上がったり。
そうして過ごしているうちに、病院生活も悪くない等と不吉な事にまで考え及ぶようになってしまっていた。そんな自分に自己嫌悪を覚える。
しかし、憎たらしくも怪我というのはいずれ完治するもので、
退院がせまってきていた。
「白石」
ふと自分の苗字を呼ばれて声のした方を振り返る。
そこには、つい先程まで考えていた人の姿があった。
「あら、今日のお昼はお早いのね」
「こんな日があったっていいだろう」
「確かに、働き詰めというのも息苦しいわね」
薄い笑みを浮かべると彼もそれにならうように、口端を僅かに上げて微笑む。
「そういえば」
注文したセットに付いてくる白米を箸で口に運んでいる最中に、思い出したように言われて私はゆっくりと顔を上げる。
「明後日退院だそうだな」
「…えぇ」
「食事相手がいなくなると、淋しくなるな」
「また見つければいいじゃないですか」
少し皮肉を込めた口調で告げる。
「普段から漁っているかのような言い回しだな」
「違うの?」
「まさか、冗談はよしてくれ」
苦笑を浮かべながら彼は言う。
「そういえば」
ふと思った率直な疑問を彼へ投げつけた。
「あの日、何故缶コーヒーを?」
「何故だと思う?」
「誰にでもしているから」
「全く、可愛くないな」
「結構よ」
そんな言い合いも明日で終わり。
明後日からは、ここに来る前の生活に戻ってしまうのだ。
長らく空けていた会社に復帰し、また元の平凡な日常に戻ると考えると、
尚更このままずっと、ここにいたいと思ってしまう。
「連絡先、聞いてもいいかな」
「は?」
豆鉄砲をくらった鳩のようにすっとぼけた声を出してしまった。
「駄目か?」
「いえ、構わないけれど…」
「良かった。どうしてもまた君と話がしたくてね」
「そ、そう」
おそらく紅潮しているであろう自分の頬を見られまいと、首を僅かに下へ傾けた。
こんな気持ちになったのはいつ以来だろうか。
高校卒業までに何人かの男と付き合ったが、男など皆一緒だと思っていた。
何ヶ月か付き合った後に、軽い口調で別れを告げられる。
「好きな人ができた」と、皆口を揃えたかのように同じ理由だった。
しかも、相手は決まって地味な顔立ちで、どこにでもいそうな平凡女を選ぶ。
他の人よりも、少しだけ優れた顔立ちだとよく言われるが、
結局私のような女はどこまで行っても遊びなのだ。
友達に自慢したり、一緒に並んで歩いて周囲に見せつけるための存在でしか無い。それを告げられたのは私が一番最後に付き合った男だった。
それはもうこっぴどい振られ方をしたのを今でも鮮明に思い出せる。
自分で自分の顔立ちを綺麗だと思ったことは無いが、流石にショックだった。
それを境に、パタリと交際をしなくなった。
会社の同僚に告白されたこともあったが、これっぽっちの迷いも無く断った。
結局最後に捨てられるのは自分なのだ。
少しの間感傷に浸っていたが、恭介の声により現実へ引き戻される。
「おい、大丈夫か?」
「ごめんなさい、考え事を」
「そうか。呼び出しが入ったのでもう行くよ」
「そう?大変ね」
「やりがいのある仕事だよ」
それだけ言うと、彼は伝票を掴んで立ち上がった。
「今日は私が」
「またの機会に、な」
珍しく楽しそうな表情を浮かべ、私に背を向け片手を肩の位置まで挙げて言った。その手には先程私が連絡先を書いた紙が握られている。
そうして迎えた退院日。美智子が車で迎えに来てくれた。
「美智子、どうもありがとう」
「どういたしまして。さ、乗って」
彼女の言葉に頷き、ナビシートに乗り込もうとした時、
ふと後ろからここ最近では聞き慣れた声がした。
振り返ると、
「挨拶くらいして行けよ」
つまらなさそうな顔をして両手を白衣のポケットに突っこんで立っている恭介がいた。
その不機嫌そうな表情が少し可笑しくて、小さい笑みを漏らした。
「なんだよ」
「いいえ、挨拶行かなかったのは忙しいと思ったの」
「すごく忙しい」
「…何油売ってるのよ」
「白石の姿が見えたから」
「早く戻りなさいよ、連絡待ってるから」
「あぁ、お大事にな」
「ありがとう」
軽く頭を下げてから車に乗り込む。
私が乗り込んだのを見届けると、そのまま踵を返してった。
だらしなく緩んだ私の頬を見て美智子が、
「何?あんたまさか、私が忙しく働いているときに彼氏?」
「まさか。少し仲良くなったお医者さんよ」
「ふぅん、わかりやすいわぁ」
「…早く出して!」
「はい、はい」