第三話 予想外でした
「今度こそは名前を見よう」
そう決意した私はベッドの脇にあるテレビ台の上に備わっている戸棚の扉を開け、中からお財布を取り出した。中身を確認する。しっかりと小銭が入っていた。
そこから120円を取り出し、持ち歩いていた茶封筒に入れる。
今度はお財布と、この前追加されてしまった分の120円が入っている茶封筒を脇に抱え、ロビーへと向かおうとした。
今回もやはり居ないであろうか――。そう思いながら歩いていると、
ロビーへ向かう途中通りがかった私と同じフロアの病室から何やら話し声が聞こえた。
扉が空いていたのでちらりと目をやると、そこには今まさに探していた他でもない”彼”の姿があった。
しかし、流石に患者と大事なお取込みの最中に120円の為に入っていくのも失礼な話であろうと考え、扉の付近で壁にもたれて出てくるのを待っていた。
「それじゃあ、お大事に」
という彼の言葉が聞こえたのとほぼ同時にひょこっと彼が姿を現した。
彼がこちらに気付き軽く会釈をしたので、私も軽い会釈で返す。
「この前の缶コーヒー代を返しに来ました」
そう言って彼にじゃらじゃらと小銭がぶつかり合う音の響く茶封筒を差し出した。
「律儀にどうも」
「基本的な礼儀です」
ふむ、と少し考えるような素振りをした後に
「これから昼休みなんだが…一緒にどうだ、奢るよ」
「また私に貸しを作るつもりですか、好きですね」
「貸しではなく、口実だ」
くすりと含みのある笑みを薄らと浮かべ、私の手を引いた。
訳の分からない発言は流して
「私まだオーケーの”オ”の字も言ってないんですけど」
「ノーなのか?」
「…ソーソーってところ」
「ノープロブレム」
満足そうな顔をしてそう呟いた。
永遠に続きそうな会話を断ち、
彼が食堂へと歩きだしたので、私もそれに続いた。
院内の食堂にて、私は肉うどんとアイスティーという微妙な組み合わせに落ち着いた。
一方の彼は、定食セットを注文。至って普通である。
「そうだ、聞きたいことがあったの」
「なんだ」
「名前、まだ聞いてなかったでしょう」
「蒼崎恭介だ。宜しく頼むよ、602号室の白石さん」
何故知っているのかと浮かび上がった疑問はすぐに消えた。
医者が患者の名前を知っていることなど大して特別なことでもないのだろう。
しかし何故だか、微妙に嬉しかったことに私は首を傾げた。
しばらくして注文したものがテーブルに並べられ、
「いただきます」と二人で食べ始めた。
「ここの定食は相変わらず美味いな」
「よく来るの?」
「ほとんどはここで済ませている」
「へぇ、いつも一人で?」
「まぁな、その方が気が楽なんだ。また付き合ってくれるか」
「誰も一言も言ってないわよね」
「質問にはそういう意図が見えた」
「質問にそんな意図はございません」
はぁ、と軽いため息を一つこぼした。
「ごちそうさま」と言って彼は席を立った。
「お会計は私が」
「察してくれるとありがたいのだが」
「察したくもないわよ、ほら」
ずいと手を伸ばすも、伝票を高く持ち上げられる。
…昔から身長のことで馬鹿にされるのは嫌いだ。
周りの子が、半年で2㎝~5㎝程伸びているのに比べ、私は一年かけても1㎝なんて伸びなかった。
規則的な生活を送っていたし、偏食も特に無かったと思う。
唯一心当たりがあるとすれば、運動が大の苦手なことだ。
勉強はそこそこできたのに運動だけがからっきしで、体育という教科をこれでもかというくらい憎んだ。運動不足は否定できないかもしれない。
かなりムッときたので、意地でも奪ってやろうと試みたが、
あっけなく惨敗に終わった。
「…奢ってもらったお礼はした方がいいのかしら」
「そういえば来週から新メニューが追加されるらしい」
「策略だったのね…」
「なんのことだ」
「新メニュー…確かに少し気になるわね…」
隣で彼がニヤリと口端を釣り上げたような気がした。
「来週は12:30から休憩が入っている」
「来週は検査で一日終わるわ、悪いわね」
「君の担当医は退院までもう検査はないと言っていた記憶があるんだが」
「それはきっと何かの記憶違いね、毎日検査続きで休む暇もないわ」
「なら仕方ないな、退院してからじっくりと時間をいただこう」
「来週も再来週もたっぷり時間があるわ」
彼は隣でくつくつと肩を揺らして愉快そうに笑っている。
そんな彼を見ていると、なんだか自分まで可笑しくなってきた。
しかし、ふと思う。最近何故か、彼が楽しそうだと自分も心なしか楽しくなるような気がするのだ。
しかしよく考えてみると、私の怪我は見てわかるように重症な訳ではないので、近いうちに退院することになるだろう。
その前に、もう一度彼と食事をするのも悪くないと思ったことに驚いた。