お役に立てれば幸いです
飲食中の方はご遠慮下さい。
「お聞きになりまして? あの方婚約破棄されたそうですわ」
いつもの放課後、いつものように教科書や筆記具を鞄にしまいながら、クラスメイト達の噂話が耳に入ってくる。
ミモザ・フォルリとして生まれ16年が経った。
異世界転生したと気づいたのは、2歳の時。ただ、赤ん坊の頃からおとなしく手間のかからない子だったと両親が言っていたので、覚えていないだけかもしれない。
今世は中世ヨーロッパのような環境に、少しだけ魔法が使える人類。魔物もいる。なのに私は何もかも平凡だった。魔法は鑑定が少しだけで、この程度なら沢山いるらしい。しかも許可なく人間を鑑定すると罰せられるという。がっかりだ。
ありがたいのは前世と曜日などの日にちが同じなのと、大体の単位が同じだった。なので小さいときは他の人よりはちょっと有利かもしれないという程度だが。
魔術も、使えるものは教会で初歩的な使い方を習い、魔力が多く適正のある者だけが、専門の学院で学ぶことができるという狭き門だ。当然私のしょぼい魔力では専門に行けない。
本当に今、私は何の力もないただの学生だ。神様がいるのなら、何故私を転生させたのか。その意味がわからない。
せっかくの異世界転生なのに、活躍の場などどこにもない。誰の役にもたっていないのだ。
家族構成は両親と2つ下の弟。家は名ばかりの貧乏男爵家で、領地もなく、かろうじて王都の貴族街の端に一軒家で住んでいるという状況。毒親だとか食べるのに困るとかではないありがたい環境ではある。
容姿も間違いなくモブだろう、茶色の髪に茶色の目で鼻が少し前世より高いかな、という程度で、周囲には美しい少女はごまんといる。
前世ではただの会社員だった記憶はあるが、どんな会社だったかも思い出せない。名前や死因もそうだ。
ただ、断片的に思い出せるのは、頑張って働いてもあまりお給料がよくなかったこと。そして病院にかかって余計な出費をしたくないため、会社のダイエットマニアの先輩と健康についてよく話をしていたこと。
夜型で不健康な生活で甘いものを摂取して罪悪感に苛まれていたり、もっと努力をすればよかったと後悔ばかりしていた。だから今世では、健康な体作りと、手に職をつけて食いはぐれないように頑張ろうと誓っている。
ただ、子どもの自分が小銭を稼ぐため、商売をしようにも、コネと先立つものがないと何も出来ないことがわかった。
なので、一生独身でも大丈夫なように、王宮での研究職・医薬師を目指すことにした。国家資格で、前世とは仕組みが違うようで、国の機関で病気を研究し、既存の薬を改良したり新しい薬や治療法を研究するのが医薬師という。医薬師は医師と薬師両方の資格を有したあと、挑戦できる資格であり、難関らしい。ただ、お給料は相当いいらしく、お一人様でも食いっぱぐれることはないという。
この世界で治療の仕方としては、まず薬で治れば薬師、手術が必要なら医師、その次が魔術による治療を受けることができる。余談だが腕のいい治癒術師は貴重なので、裕福な貴族や証人がお抱えで召しているので、市井ではお目にかかることが少ない。
私の住むエキナセ王国は、陸続きの国で、コウモリが羽を広げたような形をしている。海も山もあり、四季もある。
中世ヨーロッパよりは発達しているが、魔術があるせいか車や電話のような文明の利器はなく、魔術具を使った便利道具があったりと前世とは違った発展の仕方になっている。
貴族の子女は13歳から16歳までに必ず卒業しなければならない中等から高等教育を受ける通称「学園」がある。私は女学園に通っている。1学年2クラス合計50人程度の良家の子女が国中から集められている。制服は灰色のワンピースで、スカート丈は膝下までの長さになっている。ミニスカート自体が禁忌に近いため、前世のように丈を詰めることは出来ない。膝を出して歩く女性は痴女扱いなのだ。夏は長い靴下とローファーで、冬はロングブーツも可となっている。女子は長い髪が基本なので、派手な飾りをつけなければよいということになっている。あと学園内では魔力を使うことが禁止されている。
学園を卒業すると、結婚するか、専門性の高い「学院」に進むことができる。私は医薬師になるための専門の学院に進む予定だ。
我が家が貧乏でも、学園で成績が良ければ、学費が免除になるので、頑張って勉強している。奨学生になるには一定以上の成績の持続と、寮や学園での規則を守ることが必要で、結構厳しい。そのせいなのか、もしくは私自身に問題があるのか、現在、絶賛ぼっちである。
折角の学生生活なのに、友達が一人もいない。なんでだ?
社会人経験があるので、精神年齢が合わないのかと思ったが、どうも違う。
学園で、きゃっきゃうふふしている同級生達と挨拶程度はするが、それだけだ。はぶられている、という感じでもなく、遠巻きにされているといった感じだ。
学園内の雰囲気も暗い。誰かが誰かの噂話や悪口を常に話している気がする。
私、何かしたかな、最初は悩んでいたが、別に困ることがないと自分に言い聞かせる。
いつも通り教室を出る時に、「ごきげんよう」だけ言って歩き始める。
誰も挨拶は返してこない。ただ、言わないと礼儀知らずと見なされる。
無駄に広い学園の校舎は、教室から目的地までひたすら歩かねばならない。自分の足音が廊下に響くのを聞きながら、今日の課題の事を思い出す。確か隣国についてのレポートがあったはず。
この廊下は足音がよく響く。
革靴なのでなおさらだ。
前世でうぐいす張りという廊下があったのを思い出し、その言葉を知る人はこの世界に誰も居ないのだという孤独がじわりとこみ上げてくる。
この廊下を通るときの寂寥感がとても苦手だ。
建物を渡り廊下でつなぐ構造は無理矢理増改築をしたためと言われている。十年以上前まで共学だったそうなのだが、迷惑な学生達が校内で不純な行為をしたため、男女が別れることになったという。その中に留学中の外国の王族もいたらしく、海外の留学生の受け入れもしなくなったそうだ。敷地は広かったので、高い塀で分断し、校舎を増改築してこの形になったらしい。
王族も通うことがあるそうなので、危機管理として緊急時の避難訓練のようなものがあり、襲撃を受けたときの決まり事などが最初の授業だった。有事に先生へ連絡して欲しいという合図や、逃げるときの手順が決められている。とにかく無言で行うのが基本らしい。
もっと高位の貴族だと、自力で逃げる練習や、馬に乗って逃げる練習まですると聞いて襲撃が身近にあるのかと身震いした。
図書室に行って本を借りようと向かっていると、お手洗いの入り口で、壁にもたれ掛かる女子生徒がいた。
燃えるように赤い髪を一つに束ね、エメラルドグリーンの瞳を縁取る睫の長さ。うつむいていても、輝くような美貌は隠せない。
ぼっちの私でも知っている、同じクラスの公爵家の令嬢、リコリス・ファウストだ。
令嬢のお手本、とでもいうのか品行方正、という言葉がぴったりだ。
リコリスはお腹を抱えるようにして壁に寄りかかっており、今にも泣きそうな顔で歯を食いしばっていた。
体調不良かな。今世では医療が遅れているから何かあってからでは遅い事が多い。
「あの、具合が悪いようでしたら救護室に行かれますか? それか迎えの方をこちらに呼んできましょうか?」
思わず声をかけていた。
馬を飼えない我が家から学園は徒歩1時間かかるため安全上寮に入っているが、彼女は指折りの大貴族なので、馬車で護衛付きのお迎えが来るはずだ。
リコリスは目を見開き、まじまじと私の顔を見た。
正直、こんな美少女に顔を見られるのが恥ずかしい。
「ファウスト様……?」
戸惑っていると、リコリスの左目から真珠のような涙が一粒、こぼれ落ちた。
映画のワンシーンのような美しさから目が離せず、床に散った涙の粒を見つめてしまう。
「でませんの」
何が、と首を傾げた。
「一週間ですわ」
「はい」
わからないまま、相づちを打っておく。
「先ほど、お腹が引き絞られるような痛みがあって……。ついに波が来たと思いましたの」
リコリスは唇をわななかせた。
「優雅に歩かねばならないと言われているのに、廊下を走ってしまいましたわ。ゴロゴロと鳴くお腹を押さえて急ぎ駆け込み、いざ、と頑張りました。この苦しみから逃れられるなら、血管が切れてもいいとさえ思いました。あんな、あんなに辛い思いをしたのに、ウサギの落とし物のような大きさのものが一つでしたの。……絶望しましたわ」
ツー、と新たな涙の粒が頬を伝う。
生まれたときから淑女教育を受けていると、こんな尾籠な話しまで上品なんだな、と感心してしまう。
「今もお腹の中で大きな蛇がとぐろを巻いているような気持ち悪さがありますの。いっそのこと掴んで引きずり出せたらどれほど楽になれるか」
わっと泣き出したリコリスを宥め、図書室の隣にある資料室へと連れて行く。
貴族の子女が通う学園は自宅に蔵書が多い家庭も多く、図書室はあまり利用者がいない。さらにその隣の資料室はもっと人が入ってこないことに気づいてから、隠れ家代わりに利用している。資料室は一人では抱えられないような大きな図鑑や、筒状に保管されている大きな地図など余り使うことのない資料が収められていた。
少しほこりっぽい臭いのする部屋で、資料を閲覧するための机の前に隣り合うように座り、落ち着くのを待った。とりあえずダミーで一番近くの地図を机に広げておく。
便秘のつらさは本人にしかわからない。こんな可憐な美少女が摘便しようとまで悩むなんて。そもそも今世に摘便の概念があるのか。聞いて楽になるなら話してもらおうと思った。
「以前からお通じが悪いことが多かったのですが、最近特にひどくて。もう一週間もお通じがないのは初めてですの。何とかしたくて色々試したのですけれど」
ぽつりぽつりと話し始める。
冷たい水をたくさん飲んでみたり、お腹を叩いてみたり。
以前かかりつけ医にも相談したが、「便秘ごときで」と薬だけ出されて冷たくあしらわれたそう。薬を飲んだ直後はよかったが、その後一週間も音沙汰がないのだとか。肌も荒れてニキビも出来たという。言われてみると額と顎にポツポツと赤いニキビがあった。
思い悩む様子が気の毒でならない。
「毎朝、起きるたびに今日こそは、と思うのですけれど。お腹の張りに加えて、今日は朝から吐き気も強くてどうにかなってしまいそうです」
時折、お腹が痛いのか眉をひそめる時があり、苦しんでいるのが伝わる。
私はスケジュール帳を取り出し、メモ用に一枚破った。
今世、スケジュール帳がないので、全て手作りした。前世で使っていたものに比べるとあれもこれも足りないが、ないよりはいい。
教科書やノートもあるが、紙は高級品で、教科書は兄弟親族間で使い回したりする位だ。ノートも紙質は悪く、ペンに引っかかるような感じがして書き心地は良くない。ペンは中にインク液を入れる補充式になっている。線が一定ではないのが欠点だが、インク壺に浸して補充するタイプでないのはありがたい。
リコリスは不思議そうに見ていたが、私がペンを取り出したのを見てさらに首を傾げた。
「それは辛かったですね。これからお話することは、人によって効果があるかはわかりません。おまじないのように効いたらいいな、という類いのもので、すぐによくなるものでもないと思います。それでもよかったら試してみませんか」
怪訝な顔で見つめられるが、私は今世で快眠快食快便を実行しており、前世含め色々試してきた。前世の同じ年より健康であると自信がある。
私のなんちゃって健康法がどこまで彼女に有効かはわからないが、試してもらっても良いのではないか。 もちろん、ただの便秘でなければ、医療機関にかかることも必要だと説明する。
「一緒に考えてみましょう」と信用して欲しくて精一杯の笑顔を浮かべた。
「まず、状況の整理です。失礼な事を聞くかもしれませんが答えられる範囲でいいので教えてください」
1日の食事内容、スケジュール、運動の有無や月経のこと。
高位貴族令嬢の1日はものすごくスケジュールが詰め込まれていた。習い事や勉強など休む暇がない。しかも食事は肉が多い。野菜はあまり食べていないみたい。運動も社交用ダンスの練習以外ほとんどしない。
月経前に便秘になりやすい人がいることを説明すると、現在がまさに月経前のよう。基礎体温という考えもないので、なんとなくこの日あたりに月経がくるという雑な感じ。
魔法のある異世界なので前世とすべて同じという訳にはいかないが、以前図書館で調べた人体の構造はほぼ同じだった。
私はメモ用紙に人間の絵を簡単に描き、食べ物がどう消化していくかを書き込んだ。理科系の詳しい授業は学園ではないので、人体の詳細な構造など専門分野に進まない限り詳しく習わないらしい。
「腸はこう、折れ曲がってお腹に収納されているので、色々な過程を経てここに便が溜まってきます。人によってはこの部分が細かったりすると通路が狭いので出にくいこともあるそうです」
下腹部の断面図をペンで差すと、リコリスも自分のお腹を触る。
「まさにここですわ。今もズキズキ痛みます」
「まず、大事なのは水分です。現在、便が硬くなっていますから、冷たいお水ではなく常温の水か白湯を飲むようにしてください。起床後、腸を動かすためにコップ一杯の白湯を飲みましょう。それから食事も大事です。バランス良く肉と野菜を食べることが腸の活動に必要です。スプーン一杯のオリーブオイルを野菜にかけてもいいと思います。お手洗いでの姿勢も変えてみるといいかもしれないので、便器の両脇に10から20センチくらいの高さのレンガとかを置いて足を乗せてください。そして少し前屈みになって姿勢を変えてみましょう。出たらいいわーくらいの気持ちで試してみてください」
会社員時代の先輩は便秘に悩んでいた。色々試したが、結局水分、運動、食事という結論だったという。散々聞かされたことを思い出しながらメモ用紙に書き出していく。
「水分、運動、食事……」
メモをリコリスが読み上げる。
「あと、緊張したり、絶対に出なきゃいけないとプレッシャーをかけると、腸も緊張して動きが悪くなってしまうので、深呼吸したり体の力を抜いてみましょう」
口から息をゆっくり吐いて、止めて、鼻から吸うという呼吸法や、軽いマッサージ法を伝え、眠る前にでも試してみてください、と一緒に呼吸やマッサージを練習してみる。
ぽつりぽつりと、リコリス自身の話をしてくれた。
彼女は、魔力の多い家系に生まれたが、自分だけ魔力判定がゼロだったそう。兄は若くしてエリートの代表格・魔術師団の副団長を勤めるほどの実力者だ。両親や兄はリコリスを大事にしてくれるが、それも罪悪感を感じることがあるらしい。せめて、家の役に立とうと政略結婚の申し出を待っているが、魔力がないことが知られているためか良い話が来ないのだとか。学園の卒業後の進路も決まっておらず、毎日プレッシャーを感じているそうだ。
ほぼ初対面の私に話して大丈夫なのだろうか。
「ううーん、それは今悩んでも仕方のないことでは?」
首を傾げながら、リコリスを見つめると、彼女はきょとん、とした顔をした。
「魔力がないのは体質なので、ファウスト様が悪いわけではありませんよね。もちろんご両親のせいでもありません」
私も魔力が少ないので、調べたことがある。王族、貴族は魔力の多い者が大多数だが、時々、魔力の全くない子どもが生まれることがあるそう。百年前には全く魔力のない王女が降嫁して生んだ子が大きな魔力を持って生まれた実例もある。逆に魔力のない両親から時々ものすごく強い魔力を持つ子が生まれることもあるとか。なぜ魔力の差があるのか解明出来ていないので、現時点では悩んでも仕方がない、というのが私の結論だった。
「魔力を使う職業に就かない限り、そこまで重要視することではないと思います」
お兄様が魔術師なので、気になるのかもしれないが、リコリスは特に魔術師は目指していないという。
ないものを考えても仕方がないので、あるもので勝負するしかない。
「では、魔力を使わない職業を検討されてはいかがですか?」
リコリスがはっとした顔で私を見つめた。
「魔力を使わない職業……?」
「ええ、魔術師以外は殆どなんでもありますよね。私は医薬師を目指していますが、基本魔力は必要ないです。ファウスト様なら外交官や王宮の上級文官になれるのでは?」
どちらもエリートかつ身分の高い人しか就けない花形職だ。
「あと、結婚も相手や家族の承諾がいる話なので、ファウスト様お一人ではどうにもできない話だと思います」
「……その通りですわ」
リコリスのお父様は確か王宮文官のエライ人だったはず。政略結婚をさせたいならば話がついている歳なのに、それをしていないのは何か理由があるのだろう。
「今、自分でどうしようもない話に悩んでも何も解決しないので、棚上げしましょう」
偉そうに言ってしまったが、リコリスはゆっくりと何度も頷いていた。
「もし、明日も良い結果が出なければ、放課後一緒に歩いてみませんか?」
ウォーキングもお通じにはいいはずだ。明らかに運動不足なので、チャレンジする価値はあると思う。
「校庭は警備の方が居たり、舗装のない箇所もありますので、校舎の中を運動がてら歩くのはどうでしょう」
リコリスが驚いた顔で私を凝視しているので、何か失礼な発言だったかな、と慌てる。失言を詫びようと口を開きかけた時、リコリスが目を潤ませながら、微笑んだ。
「ありがとうございます。よろしければそうさせてください」
少しでも楽になるといいな、と思いながら、その日は別れた。
翌朝、いつも通り登校すると、教室の前でリコリスが立っていた。
ただ立っているだけなのに、絵画のように華がある。美少女すごい。
廊下を行き交う生徒達がチラチラとリコリスの様子を伺っている。
「……っごきげんよぅ、ファウスト様」
今世初のクラスメイト個人に挨拶したため、少し噛んでしまった。
「ごきげんよう。フォルリ様。本日、良い報告がありますの」
昨日と打って変わって嬉しそうに微笑むので、私もつられてしまった。
「では……!」
持っていた鞄を小脇に挟み、両手の拳を握る。
所謂ガッツポーズだ。
リコリスもなぜか私と同じように両手の拳を握る。
転生してから他の人のガッツポーズを見るのは初めてだ。世にも稀な公爵家令嬢のガッツポーズ。
「教えていただいた通りにしましたら、いい波に乗れましたわ」
実にすがすがしい笑顔で報告された。
「良かったです」
こんなに早く上手くいくとは思わなかった。
先輩はリコリスよりも長い期間苦しんでいた。肌あれ、体臭、イライラなど悩みはつきず、便秘薬や浣腸、効果があるとされる苦いお茶など色々試した話をしてくれた。二人でヨガの体験教室や、断食体験のできるお寺に一泊二日で行ったことを思い出した。
私のなんちゃって知識が人の役に立つ日がくるなんて。ちょっと嬉しい。
前世の先輩、ありがとうございます。先輩が快腸でありますように!
「フォルリ様のお陰ですわ。母にフォルリ様の話をしましたの。そうしたら母も同じ悩みを持っていて、是非詳しくお話を伺いたいと。よかったら今日我が家にいらっしゃいませんか」
校舎内ウォーキングはしなくてよくなったが、お宅訪問のお誘いである。
ファウスト家といえば王家とも繋がる由緒正しきお家だったはず。私のような底辺貴族がおいそれと伺っていいわけがない。礼儀作法とか自信ないし。無礼討ちとかされるかもしれない。
「いえいえ、そんな。お家まで伺うなんて……」
なんとか断ろうと視線をさまよわせていると、リコリスが微笑んだ。
「学園のお友達を家に呼ぶのは初めてですのよ。礼儀作法とか気になさらず気軽にいらして」
お友達。
顔が自然に緩んでしまう。
嬉しい言葉に気持ちがぐらついたところへ追撃がきた。
「我が家自慢のお菓子も用意しておりますのよ」
「伺います」
甘味は貴重だ。砂糖はとても高価なので、少量しか使えない。貧乏な我が家では庭に植えたリンゴやブルーベリーの木で甘味を摂取している。
公爵家のお菓子……どんなのだろう。
「では放課後、一緒に帰りましょう」
さすが公爵家の馬車。揺れない。
2頭立ての立派な馬車に乗せられ、着いたのは広大な敷地に立派なお屋敷だった。馬車の前後で馬に乗った護衛がついていた。本当に高位貴族の令嬢なんだ、と妙に感心してしまう。王城に近いほど土地が高いと聞いたことがあるが、我が家からは遠い王城も、すぐそばに見える。
門には門番が居り、重厚な門扉が開き馬車ごと中へ入る。屋根付きの玄関前で下ろされ、オタオタしていると、扉が開き、姿勢正しい執事さんが出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ。お嬢様」
「こちら、同じクラスのミモザ・フォルリ様よ。お母様に伝えてちょうだい」
「ようこそおいでくださいました。フォルリ様。客間へご案内いたします」
執事さんがにこやかに、そして無駄のない動きで案内してくれる。持っていたはずの鞄もいつの間にか手から無くなって、執事さんが抱えてくれている。
「着替えてきますから、少しお待ちになってね」
執事さんに案内された客間は、品のよい落ち着いた空間だった。もしかして私が座っているソファだけで、父の年収を越えてしまうかもしれない。
怖い。動けない。
ふかふかの絨毯もとんでもない値段だと思うと、足に体重をかけるのも躊躇われる。お家まで買えてしまうかもしれない。
好みのお茶を聞かれたが、「特にありません」で乗り切った。味なんかわからないと思う。執事さんが退室しても、硬直したままだ。
調度品を鑑賞する余裕もないまま、永遠とも思える時間が流れ、ノックの音と同時に扉が開き、ワンピースを着たリコリスが顔を出す。
「お待たせしましたわ。お母様、こちらがミモザ・フォルリ様よ」
リコリスの後ろから、そっくりな女性が入ってきた。髪と目の色まで全く同じ。リコリスが大人になったらこういう顔になるであろうそのままだ。姉と言っても通じる若さと美貌だ。
「は、初めまして。ミモザ・フォルリです。リコリス様にはお世話になっております」
急いで立ち上がり、礼をとる。
「リコリスの母です。そんなにかしこまらないで。お世話になったのはこちらですわ」
気品ある笑顔を向けられ、内心ガクガクだ。この方、とんでもなく高貴なオーラが漂っている。公爵夫人となると本当に雲の上の人のようだ。
「さあ、おかけになって」
リコリスが、合図して部屋にお茶と菓子が運ばれてくる。
紅茶とクッキーだ。
座り直して、菓子に目を奪われていると、リコリスがクッキーを手に取って一口かじる。
毒がないですよ、の合図だ。
礼儀作法の授業を思い出しつつ、恐る恐る手に取り、久方ぶりのクッキーを口にした。
サクっとした感触と口に広がる上品な甘さとバターの香りに恍惚となる。
これはいいバターを使っていらっしゃる!
「娘がミモザさんにいいお話を聞いたと伺っていますわ。わたくしも同じ悩みを持っていて、是非詳しく教えていただけたらと」
そこからリコリスの母、ダリア様が身を乗り出して私の話を聞いてくれた。さらに喋りやすいように色々話題を提供してくれて、リコリスとダリア様の侍女まで後ろに立ち、熱心にメモまでとっていた。
「体を冷やしすぎないようにしないと」
「ウォーキング用に踵の低い靴を作りましょう。明日商会に連絡して」
手足が冷えると言われたので、冷え防止の手首・足首ウォーマーや腹巻きの説明と運動も歩くだけでもよい、こちらのお屋敷は広いから、お庭を歩くだけでも運動になるのでは、と話しただけだ。ただ、踵の高い靴よりも、足に負担がかからないよう歩きやすい靴の方がいいと説明した。
「食事にもっと野菜を増やした方がいいわね。シェフにも話しをしましょう」
私自身は前世知識しかないのだが、本当に大丈夫なのだろうか。
野菜の栄養や働きを説明し、肉中心より、野菜や果物を加えるなどバランスよく食事を、と話しただけだが、このお屋敷のシェフって選ばれしエリートなのでは? そんな人に私が余計なことを言った、となれば面白くないかも。メニューも決まってるだろうし。
「メニューはいつもシェフと相談して決めていますの。だから気にしなくても大丈夫よ」
顔に出ていたのかダリア様がにっこりと微笑む。
ほっとして肩の力が抜けた所でお開きとなった。
「フォルリ様、今日はありがとうございました。母も侍女も、もちろん私もとても楽しかったですわ」
ファウスト家の馬車に乗り込んだところで、リコリスが微笑む。
「私もです。こんなにおしゃべりしたのは学園に来てから初めてです」
「ふふ。あの、私のことはリコリス、と呼んで欲しいわ」
思わぬ提案に一瞬固まるが、自分の頬が緩むのがわかった。
「では私のことはミモザ、と呼んでください。リコリス」
今世初めて友達をゲットした。
浮かれた気持ちのまま、馬車が出発し、寮へと送ってもらった。
翌朝、教室に入りお礼を言うため、リコリスを目で探す。リコリスは席について次の授業の準備をしていた。
「ごきげんよう。昨日はありがとうございました」
リコリスに近づき、声をかける。
するとリコリスはパアっと顔を輝かせ、立ち上がると、両手で拳をつくった。
あ、今日も快腸だったのね。
よかった。
私も同じポーズで応える。
「ごきげんよう。こちらこそ母がとっても喜んでましたの。母も……」
そう言ってガッツポーズをする。
おお! 素晴らしい!
「本当に良い報告が出来て嬉しいですわ。また是非いらしてね」
朝から美少女の笑顔が眩しい。
ぼっちにはもったいない、内面から輝くような微笑みを向けられ、感動した。
よかった。
前世の先輩のおかげで、二人快腸だそうですよ。
偶々かもしれませんが、役に立ててよかった。
ちょっと感動して喜びを噛みしめる。
周囲のクラスメイトも声は出さないものの、こちらを伺っているのがわかり、我に返った。
「ありがとうございます。また伺わせていただきます」
無難な返事をして、お互い席についた。
机の上に小さなメモが置いてある。手に取ってみると、本人同様、美しい文字があった。
『今日の放課後、図書資料室で』
リコリスがチラリ、とこちらに視線を向けている。指で『了解』の合図をして微笑みあう。
今日、あの孤独な廊下は一人で歩かなくてよさそうだ。
前世も今世も、皆様が快腸でありますように。
皆様が「良い報告」ができますように。
ありがとうございました。




