第73話 セレインとリゼル
卒業まで、あと二週間になった。
学院の空気が少しずつ変わっていた。四年生の授業は実質的に終わっていて、残っているのは卒業に向けた手続きや、最後の自主練くらいだ。廊下を歩く上級生たちの顔が、どこかそわそわしているように見えた。
俺も同じだったかもしれない。
セレインとの最後の自主練は、いつもの空き地で行われた。
夕方の光が斜めに差し込んで、草の影が長く伸びている。二人で向かい合って、いつもどおりに始めた。身体強化の確認、硬化と纏いの同時発動、動きながらの精度確認。
セレインの付与魔法はいつも的確だった。俺の動きの隙を見抜いて、必要なタイミングで補助が入る。一年生のころから積み上げてきた連携が、今日は特別に滑らかに感じた。
一時間ほど動いたところで、二人して草の上に腰を下ろした。
「最後だな」と俺は言った。
「そうね」
セレインが膝を抱えて、遠くを見た。
「最初にここで練習したのは、二年生のころだったかしら」
「ああ。セレインが声をかけてきたんだ」
「あなたの動きが気になったから」
「魔法なしで動いてたからか」
「それもあるけど」とセレインが少し間を置いた。「あなたの周りにいる気配が気になったの。最初から」
俺は少し黙った。
「……そうか」
「名前も正体も聞かない。ただ、何かいる、とは感じていた」
セレインが俺を見た。責めるような目ではない。ただ静かに、確認している目だった。
「スキルのことは聞かない。あなたが話したいときに話せばいい。ただ、一つだけ言わせてほしいの」
「何だ」
「あなたのスキルは、きっとこの世界でとても大切なものになる。そう感じている」
俺は答えられなかった。
セレインが立ち上がって、スカートの草を払った。
「卒業したら、私は王国魔道騎士団に入る。あなたは冒険者になるのよね」
「ああ」
「また会う機会があるかもしれないわ。そのときは、もっと強くなったあなたを見せてちょうだい」
セレインが歩き出した。夕日の中でその背中が遠くなっていく。
「セレイン」
振り返った。
「ありがとう。二年間、付き合ってくれて」
セレインが少し目を細めた。笑っているように見えた。
「こちらこそ」
それだけ言って、歩いていった。
翌日、廊下でリゼルに声をかけられた。
「先輩、少しいいですか」
リゼルが少し改まった顔をしていた。三年生になったころから態度が軟化して、四年生になった今は普通に話せるようになっている。
「何だ」
「卒業、おめでとうございます」
「まだ二週間あるぞ」
「先に言いたかったので」
リゼルが少し俯いた。
「私、来年首席で卒業するつもりです。セレイン様の補佐として、恥ずかしくない実力をつけて」
「そうか」
「先輩たちが四年生でやってきたことを、ずっと見ていました。特に先輩の動き方は、魔法なしであそこまでできるのかと、毎回驚いていました」
「リゼルも十分強いだろう」
「まだまだです」とリゼルがきっぱり言った。「でも、追いつきます」
俺は少し笑った。
「応援してるよ」
「はい」
リゼルが頭を下げて、廊下を歩いていった。その背中が、一年生のころより随分しっかりして見えた。
夜、部屋でヒビたちを出した。
ヒビが肩に乗ってくる。パチが膝の上に丸まった。ミズチが腕に巻きつき、ドロンがのしのしと足元に来る。カゼマルが「キィ」と鳴いて窓際に止まった。
俺はヒビの羽をそっと指で撫でた。
「セレインに、お前たちのことを感じられてたらしい」
ヒビが羽をゆっくりと動かした。
「それでも秘密を守ってくれてありがとうな」
パチの尾の先がほんのりと光った。ドロンが俺の足に甲羅をすり寄せてくる。
学院での時間が、あと少しで終わる。
でもここで過ごしたことは、全部自分の中に残っている。セレインとの練習も、リゼルとのやりとりも、ノールの記録も、レオの笑い声も、ライルの短い言葉も。
全部、ここにある。
俺はヒビたちに囲まれながら、静かにその重さを感じていた。
翌朝、食堂でノールと二人になった。
朝食を食べながら、ノールが手帳をめくっていた。
「何を見てるんだ」
「一年生のころからの記録」
ノールが手帳を俺の方に向けた。細かい字がびっしりと並んでいる。ヒビの反応の記録、俺の魔力の変化、各話の検証結果。
「四年間分、全部ここにある」
「よく書いたな」
「書かずにいられなかった。ジン、お前のスキルは本当に前例がないと思う。記録しておかないともったいない」
ノールが手帳を閉じた。
「王国の研究機関に入ったら、もっとちゃんとした形で整理したい。もちろんお前の許可が必要だけど」
「好きにしていいよ」
「本当か」
「ノールが持ってる記録は、俺が一人じゃ気づけなかったことばかりだ。それを活かしてくれるなら嬉しい」
ノールが少し目を細めた。
「ありがとう」
珍しく、真っ直ぐそう言った。
「こちらこそ」と俺は答えた。「四年間、ずっと記録してくれてありがとう」
ノールが照れたように手帳を開いた。また何か書き始めている。
俺はそれを見ながら、温かいものが胸にあるのを感じた。
卒業まで、あと少し。




