第68話 討伐実習、出発
討伐実習の説明が行われたのは、四年生の授業が始まって一ヶ月ほど経ったころだった。
ホームルームの担任であるガルセン先生が教壇に立ち、淡々と話す。
「今年の討伐実習は、例年どおり王都から馬車で二日の距離にある魔物出現エリアを使用する。期間は三泊四日。各自、実戦に対応できる装備を持参するように」
教室がざわめいた。
隣でレオが身を乗り出す。
「やっと本物の魔物だろ! 俺、ずっと待ってたんだよな」
「落ち着け」
反対側のライルが静かに言う。俺もそう思った。
討伐実習は学院の行事の中でも別格の位置づけだ。模擬戦や座学とは違い、本物の魔物と対峙する。下手をすれば命に関わる。担任が淡々と話しているのは、それを当たり前のこととして扱っているからだ。
父さんの言葉が頭をよぎった。
——本物の殺気は、訓練で感じるものとはまるで違う。
実際にどう違うのか、まだわかっていない。でも、もうすぐわかる。
出発の前日、俺は部屋でヒビたちに話した。
「明日から四日間、指輪の中にいてもらう。実習の間は出せない」
ヒビが俺の手の甲に止まった。羽をゆっくりと動かしている。
パチが足元に来て、俺のズボンの裾に顎を乗せた。金色の瞳がこちらを見上げている。
何も言わなくても、伝わっているような気がした。
「終わったらすぐ出す。待っててくれ」
全員を指輪に収めてから、俺は装備の確認をした。父からもらった片手剣、ナイフ四本。身体強化に使う魔力の調整。硬化と纏いの維持時間の確認。一人ひとり丁寧にチェックしていくと、夜が深くなっていた。
翌朝、学院の正門前に生徒が集まった。
Sクラスの面々が並んでいる。レオはもう荷物を肩に担いでそわそわしていた。ライルは腕を組んで無言だ。ノールは手帳を手に持ったまま、先生の話をメモしている。
「馬車での移動は二日。到着後、エリアの外縁部から段階的に進む。初日は偵察を兼ねた軽い探索だ。いきなり深部には入らない」
ガルセン先生が続ける。
「魔物に遭遇した場合は、指示があるまで単独行動を禁止する。班ごとに動け。班のメンバーは昨日配布した名簿のとおりだ」
俺の班はレオ、ライル、ノール、そしてセレインだった。
五人班。バランスは悪くない。
馬車が動き出した。王都の石畳の上を、ゆっくりと進む。やがて城門を抜け、外の道に出た。空は晴れていて、遠くに山の稜線が見える。
馬車の中でレオが話し続けている。
「Sクラス全員で行くんだから余裕だろ。魔物なんてすぐ倒せる」
「出発前に油断するな」とライルが短く言った。
「わかってるって。でもさ、ジンはどう思う?」
俺は少し考えてから答えた。
「強い魔物が出たとき、どう動けるか試したい」
「なんか渋いな」
レオが笑う。俺も少し笑った。
ノールは窓の外を見ながら手帳に何か書いている。セレインは目を閉じていた。眠っているのか、考えているのかわからない。
二日間の移動の間、俺は体を休めながら魔力の感覚を確かめていた。硬化と纏いの同時発動。まだ実戦で維持するには不安定だ。どちらかが崩れると、もう片方もすぐに揺らぐ。
これが今回の課題だ。
本物の緊張の中で、どこまで維持できるか。
目的地のエリアが近づいてきたのは、二日目の夕方だった。窓から見える木々の密度が増し、空気が少し変わった。
レオが言った。
「なんか、空気が違うな」
ライルが静かに頷いた。俺も感じていた。
ここから先に、魔物がいる。
その重みを、全員が少しずつ理解し始めていた。
野営地に馬車が停まった。先生が立ち上がって言う。
「今夜はここで休む。明日の朝から実習開始だ。ゆっくり食って、しっかり寝ておけ」
テントを張り、火を起こして夕食をとった。
食事中、会話は少なかった。みんながそれぞれ、明日のことを考えているのがわかった。
夜、テントの中で横になりながら、俺は収納の指輪を右手で軽く握った。
ヒビたちはここにいる。
それだけで、少し落ち着いた。
明日が来る。
翌朝は早かった。
夜明け前に起き出すと、すでにライルがテントの外に座っていた。剣の手入れをしている。俺も隣に腰を下ろした。
「眠れなかったか」
「少しな」とライルが短く言った。「お前は?」
「まあまあ」
正直なところ、眠りは浅かった。夢を見た気がするが、内容は覚えていない。
しばらく無言で並んでいた。空が白み始めて、鳥の声が聞こえてくる。
「ライル、魔物と戦ったことあるか」
「ない」
「俺もだ」
それだけで、何となく通じ合えた気がした。
やがてガルセン先生が全員を集めた。まだ朝霧が残っている中で、先生が地図を広げる。
「今日は外縁部の南ルートを歩く。魔物の目撃情報があるのは、ここより二キロ先だ。遭遇したとしても、この距離なら格の低い個体がほとんどだ。ただし」
先生が顔を上げた。
「格が低くても、本物は本物だ。模擬戦の感覚で動くな。いいな」
「はい」
全員の声が揃った。
班ごとに散開して、ルートを歩き始める。俺たちの班は先生の班の後ろについた。
踏み固められた道が、やがて細い獣道になる。足元の葉が湿っていて、踏むたびに音がした。
レオが声を潜めて言う。
「なんか緊張するな。おかしくないか」
「おかしくない」とノールが答えた。「正常だよ」
俺は前を見ながら、魔力をゆっくりと全身に巡らせた。硬化、纏い。まだ発動はしていないが、いつでも動けるように準備する。
森が深くなっていく。
木々の間から差し込む光が、少しずつ弱くなった。
そのとき、先頭を歩いていたガルセン先生が右手を上げた。
全員が止まる。
先生が静かに言った。
「魔力反応。左前方、三十メートル」
空気が変わった。
それは殺気、と呼ぶほどのものかはまだわからない。でも、何かがいる。こちらを意識している。
俺の背中に、じわりと何かが走った。
これが——本物だ。




