第64話 カゼマルが変わる
ミズチの検証が終わって三日後、今度はカゼマルが落ち着きをなくした。
予兆はあった。指輪の中にいるときも、リンクを通してそわそわした感触が伝わってきていた。ヒビの進化前に似た、じっとしていられない感じだ。ただヒビのときより軽い。重さがなくて、風が吹き込んでくるような、浮き立つ感覚がある。
朝、部屋でヒビたちを出してやると、カゼマルがいつもの倍近い速さで机の上を歩き回った。
「そわそわしてるな」
キィ、と一声。肯定とも否定ともとれない返事だった。
体はまだ光っていない。でもリンクからくる感触がいつもと違う。ミズチのときは水底のざわつきだったが、カゼマルのそれは上昇気流みたいな感じだ。どこかに向かって引っ張られるような、浮き立つ感覚がある。
昼休みにノールに伝えると、すぐに手帳を開いた。
「カゼマルの番ですね。リンクの感触はミズチのときと違いますか」
「全然違う。ミズチは水底のざわつきだったけど、カゼマルは上に引っ張られるみたいな感じだ」
「属性の違いが出ているんですね。風らしい」
ノールが嬉しそうに書き込んでいる。
「前兆から何日かかるかは、個体差がありましたね。ヒビ、ドロン、ミズチと見てきましたが、毎回少しずつ違う」
「カゼマルは三日くらいだと思う。なんとなくそんな気がする」
「リンクから?」
「ああ。理屈じゃないけど」
ノールが「なるほど」と書き足した。
二日目の夕方、カゼマルの体が光り始めた。
ミズチの青白い光とは違って、薄い黄緑色だった。朝の光に似た、柔らかい色だ。部屋の中がぽわっと明るくなって、パチが本棚の影からひょっこり顔を出した。
カゼマルは机の真ん中で丸まって、動かなくなっていた。
羽毛がほんのり光を帯びて、ヒヨコの丸い輪郭がいつもより大きく見える。いや、実際に少し大きくなっているかもしれない。
「始まったな」
俺はカゼマルのそばに椅子を引き寄せて、課題をやりながら横目で見ていた。
ヒビが肩の上から、ドロンが机の端から、それぞれカゼマルのほうを向いていた。ミズチは俺の腕の上で体を伸ばしたまま、じっとカゼマルを見ている。
みんな静かだった。カゼマルが騒がしいぶん、静止したカゼマルを囲む空気がいつもより静けさを感じさせた。
三日目の昼過ぎだった。
授業が終わって部屋に戻ると、カゼマルの光が強くなっていた。昨日の比ではない。窓から入る春の光と混じって、部屋全体がうっすら黄緑色に染まっているように見えた。
指輪に入れてきていたが、リンクの感触が急に大きくなったのは昼の授業中だった。上昇気流の感覚が頂点に達するような、一気に膨らむ感じだ。
急いで戻ってきてよかった。
それから一時間ほどして、カゼマルの全身が光に包まれた。
目を閉じる間もなかった。黄緑の光が弾けて、俺は思わず腕で顔を覆った。風が吹いた。窓は閉めていたのに、部屋の中で風が起きた。紙が数枚、机から床に落ちた。
光が収まって、腕を下ろした。
机の上に、カゼマルがいた。
ヒヨコの面影はあった。でも、だいぶ違う。体格は三回りほど大きくなって、丸みのあった輪郭がすっきりと引き締まっている。羽毛は以前より白みがかった緑で、風切り羽の先端が鋭く整っていた。翼が生えていた。ヒビのような蝶の羽ではなく、鳥らしい大きな翼だ。広げると俺の腕の長さを超えるくらいある。
尾羽が長い。風を受けて、かすかにたなびいていた。
「カゼマル」
名前を呼ぶと、カゼマルが俺を向いた。目が鋭くなっていた。以前はまん丸で愛らしい目だったが、今は細く澄んでいる。でも色は同じ、透き通ったエメラルドグリーンだ。
リンクから伝わってくるのは、吹き抜ける風の感触だった。広い場所を流れる、自由な風だ。以前の「ぴよぴよ」していたざわつきとは別物の、力強い流れがある。
カゼマルがおもむろに翼を広げた。
部屋の中で風が起きた。書きかけの課題の紙が全部飛んだ。
「……屋外でやれ」
カゼマルがキィ、と鳴いた。
声は変わっていなかった。
俺は苦笑して、飛んだ紙を拾い集めた。カゼマルが翼をたたんで机の上で胸を張っている。得意げだ。
「見た目は変わったけど、中身は同じだな」
キィ、ともう一声。今度は明らかに得意げな返事だった。
ヒビが肩から飛んで、カゼマルの前に降りた。二体がしばらく向き合っていた。ヒビの蝶の羽とカゼマルの鳥の翼が並ぶと、かなり対照的だ。炎と風、赤と緑。
ドロンがのっそりと甲羅ごとカゼマルのほうに向きを変えた。ミズチが静かにカゼマルを一周した。パチが本棚の影から顔を出して、確認してからまた引っ込んだ。
それぞれのやり方で、確かめているんだろう。
カゼマルが翼を小さく動かした。今度は風は起きなかった。加減しているのかもしれない。
「明日、検証しよう。今日はゆっくりしてていい」
カゼマルはキィ、と一声だけ返して、翼をたたんだ。
リンクから伝わってくる風の感触は、すでに落ち着いていた。進化してすぐは高揚感みたいなものがあったが、今はもう安定している。早い。ミズチのときの深い水の静けさとは違う、軽やかで自由な感触だ。
窓の外で風が木の枝を揺らした。カゼマルがその方向を向いて、また少しだけ翼を広げた。
「明日な」
キィ。
今度は、少し大人しい返事だった。




