第62話 ミズチが変わる
兆候が出始めたのは、四年生になって五日目のことだった。
朝、目を覚ます前から感じていた。ミズチとのリンクがいつもと違う。静かな水の感触の中に、かすかな波紋が混じっている。寝ながら意識しているわけでもないのに、体がそれを拾っていた。
起き上がって、指輪からヒビたちを出してやる。毎朝のことだ。ミズチが机の上に現れると、すぐにうねり始めた。
「……始まるか」
声に出すと、ミズチが一瞬こちらを向いた。薄い青みを帯びた小さな瞳が、じっと俺を見る。それからまた、ゆっくりとうねり始めた。
ドロンのときと似ている。あのときも、数日前から落ち着きがなかった。体の光り方が違ってくるのも同じだ。
今のミズチはまだ光っていない。でも、もう始まっているのはわかった。
その日の昼休み、ノールに伝えた。
「やはりそうでしたか」
ノールはすぐに手帳を開いた。
「リンクの感触はどう変わっていますか」
「波紋みたいなのが混じってる。普段は静かな水の感じなのに」
「波紋。乱れというより、動きが生まれているんですね」
「そんな感じだ。不安定じゃなくて、むしろ……膨らんでいる、というか」
うまく言葉にならない。でもノールは黙ってそれを書き取っている。
「ドロンの時は四日から五日で進化と記録してますが」
「ああ、それぐらいだ」
「ミズチはもう少し早いかもしれませんね。規模的に」
ノールが手帳を閉じた。
「記録を続けます。変化があったら教えてください」
「ああ」
二日目の朝になって、ミズチの体がうっすらと光り始めた。
青白い光だった。鱗の一枚一枚が、内側から滲み出るように発光している。寮の部屋で、窓から差し込む朝の光と混じって、ミズチのいる机の端がほのかに明るくなっていた。
動きが止まっていた。
丸まったまま、じっとしている。呼吸しているのかもわからないくらいに静止している。
俺はしばらくそのまま、ミズチを見ていた。
ヒビを指輪から出してやると、すぐにミズチのほうを向いた。
「見てるのか」
ヒビが小さく羽ばたいた。見ている、ということだと思った。
カゼマルも指輪から出すと、ぴよ、と鳴いてミズチを一周した。パチが本棚の影でごそごそ動く音がした。ドロンは机の上でどっしりと構えて、ミズチの方向に甲羅ごと向きを変えた。
みんな、わかっているんだろう。
授業中もミズチは同じ状態だった。指輪の中で静止したまま、リンクから伝わる青白い感触がときどき強くなった。特に夕方、魔力制御の授業が終わったあとのあたりで、波紋がいつもより大きくなった。
何かが高まっていた。
三日目の夜だった。
俺は机で課題をやりながら、ミズチの様子を横目で見ていた。光の強さが増している。部屋がかなり明るい。もし誰かが廊下から覗いたら、と一瞬思ったが、鍵はかかっているから大丈夫だ。
突然、ミズチの全身が白く輝いた。
眩しくて、俺は反射的に目をそらした。瞼の裏まで光が来る。数秒のことだったと思う。光が引いたのを感じて、ゆっくり視線を戻した。
机の端に、ミズチがいた。
ただ、さっきまでとは違う姿で。
大きさは二回りほど増している。鱗が以前より大きく整然として、青みがかった白の地に、深い藍色の模様が走っていた。川の流れのような、あるいは水が渦巻くような曲線の紋様だ。頭のあたりに、小さな透明の角が一本、まっすぐ生えていた。
ミズチが首を持ち上げて、俺を見た。
瞳の色が変わっていた。前は薄い青みだったが、今は澄んだ水の底のような、深く静かな青だ。
「……ミズチ」
名前を呼ぶと、ミズチはゆっくりと頭を縦に動かした。
リンクから伝わってくるのは、以前より格段に深い水の感触だった。底が見えない、広い水の中にいるような感覚。でも冷たくはない。静かで、落ち着いていた。
俺は息を吐いた。
「おかえり」
ミズチが、また一度、頭を動かした。
しばらくの間、俺はミズチを見ていた。
新しい体を確かめるように、ミズチはゆっくりと首を動かし、机の上を一周した。動きが以前より滑らかだ。小さな蛇だったころは少しぎこちなさがあったが、今は水が流れるように体を動かしている。
透明な角が、電灯の光を受けて小さく輝いた。
「角、生えたんだな」
ミズチが角のあたりを俺のほうに向けた。見せているのか、それとも俺の言葉に反応しただけなのか、よくわからない。
ヒビが机の端にとまった。ミズチと向き合う形になって、しばらくそのままでいる。
何か伝わっているのかもしれない。
ヒビたちの間に俺が入り込める領域があるのかどうかはわからないが、リンクを通して伝わってくる感触は、今は穏やかだった。ヒビからは温かさ、ミズチからは深い静かさ。二つが混ざり合って、部屋の中がどこか落ち着いた感じになった。
カゼマルがもぞもぞと机の上を歩き回った。出てきたがっているが、夜遅い。
「お前は明日な」
ぴよ、と不満そうな一声があった。
パチが本棚の影からそっと顔を出した。白い毛が、ミズチの青白い残光を受けて淡く光って見える。じっとミズチを見てから、また影に引っ込んだ。
ドロンは最初から最後まで、どっしりと甲羅を構えたままミズチを見守っていた。
俺は翌朝、ノールに伝えるために変化の様子を書き留めた。角の形、紋様の走り方、鱗の色。リンクの感触の変化。進化が完了するまでの時間。
書いていると、ミズチが紙の端にそっと頭をもたせかけてきた。
ほとんど重さは感じない。それでも確かに、そこにいる。
「ゆっくりしてていい。明日から検証する」
ミズチが静かに目を閉じた。眠るつもりらしい。
俺も課題の続きを片付けて、灯りを落とした。暗くなった部屋に、ミズチの体の薄い青白い光がかすかに残っていた。
それはしばらくすると消えて、部屋は完全な夜になった。




