第60話 実家のひと時②
朝、庭に出ると父はすでにそこにいた。
普段着のままで、腕を組んで立っている。特に構えているわけでもなく、ただそこに立っているだけなのに、存在感が違う。長年の冒険者生活が体に染み込んでいるせいだろう。
「来たか」
「お待たせしました」
俺は父と向かい合って、少し距離を取った。
「どこまでやる?」
「お前が限界だと思ったところで止めろ」
「はい」
父が静かに構えた。重心が低く、どこにでも動ける姿勢だ。フィーナの構えに少し似ている——いや、フィーナのほうが父に似ているのか。
俺は身体強化を全身に流してから、踏み込んだ。
最初の一手——父の胴を狙った右の突き。
父が動いた。ほとんど見えなかった。気づいたときには腕を流されていて、体が半回転していた。背後に父がいる。そのまま終わりかと思ったが、父は止まっていた。
「続けろ」
「……はい」
速い。フィーナとは違う種類の速さだ。フィーナは鋭く動く。父は静かに動く。なのに気づいたら終わっている——そういう動きだ。
俺は仕切り直した。牽制を混ぜながら踏み込む。魔力弾も交えて、硬化と纏いを張りながら全力で仕掛けた。
父が初めて、少し体を大きく動かした。
魔力弾を腕で弾いて踏み込んでくる——俺は横に飛んで躱した。躱せた。
「……今のは当たりそうでした」
「ああ。お前が反応した」
父が構えを解いた。
「終わりにする」
俺も息を整えた。汗が首筋を伝う。
「どうでしたか」
「悪くない」
父が短く言った。
「動きに迷いがない。技術の積み上げ方が丁寧だ。学院の中では上位だろう」
「ありがとうございます」
「ただ——本物の殺気をまだ受けたことがない。魔物と戦えば分かる。それが分かっても怯まなければ、お前は本物になる」
俺は黙って聞いた。
父は庭の端に歩いていって、物置から布に包まれた細長いものを取り出してきた。
「開けてみろ」
布を解くと、剣が一本出てきた。片手で持てる長さで、刃は細く研ぎ澄まされている。使い込まれた傷が鞘に入っていた。
「……相当いい剣ですね」
「S級の依頼で報酬代わりにもらったものだ。使ってみろ」
俺は剣を抜いた。握り心地がいい。重さのバランスが絶妙で、刃を向けると自然と体が前に出る感覚がある。
「今日から毎朝、剣の基礎を教えてやる」
「……いいんですか」
「素手だけで冒険者はやれない。卒業まであと一年ある。その間に、少しでも扱えるようになれ」
「お願いします」
「まず構えを教える。剣は腕じゃない——」
父が言いかけて、止まった。
俺が剣を持って構えていたからだ。
足を肩幅より少し広めに開いて、重心を低く落とす。刃を前に向けて、剣先をやや内側に絞る。前世で何度も繰り返した構えが、体に染み付いていた。
父がじっと俺を見た。
「……学院でやっていたのか」
「少し、訓練で触れていました」
嘘ではない。前世の記憶という意味では本当のことだ。
父が無言で俺の周りをゆっくりと歩いた。構えを四方から確かめている。その目が鋭くなっていた。
「重心の乗せ方が分かっている。剣の角度も悪くない」
「ありがとうございます」
「どこで習った」
「独学に近いです。見様見真似で」
父がしばらく黙った。それから、小さく息を吐いた。
「……基礎から教えるつもりだったが、必要なさそうだな」
「いえ、まだ全然ですので」
「実際に動いてみろ」
父が素手で構えた。俺は剣を持ったまま踏み込んだ。一撃、二撃——父がそれを払い、捌く。三日間で剣を持って動いたのは初めてだったが、体が動き方を覚えていた。
五合ほど打ち合って、父が止めた。
「……お前、本当に独学か」
「はい」
父がじっと俺を見た。信じていないわけではなさそうだが、何かを考えている顔だった。
「才があるのか、それとも——」
「学院に入る前から、ずっと体を動かしていましたので」
父がしばらく黙ってから、頷いた。
「分かった。では基礎ではなく、実戦的な動きを教える。剣と素手の切り替えと、懐に入られたときの対処だ」
「はい、お願いします」
そこから二日間、毎朝の稽古の内容が変わった。父が想定していたよりずっと密度の高い稽古になった。父も本気で教えてくれているのが分かった。口数は少ないが、動きで示してくれる。
こういう人だ、とまた思った。
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その日の夜、父と母に両方呼ばれた。
「ヒビたちのことを話しておきたいと思っています」
俺が先に切り出した。
両親が顔を見合わせた。
「実は——ヒビだけじゃなく、今は五匹います」
ポケットから順番に全員を出した。テーブルの上に、ヒビ、ミズチ、ドロン、カゼマル、パチが並ぶ。
母が目を丸くした。
「いつの間にこんなに……」
「ドロンが最近、第二形態に進化しました。ヒビは2年生のときに。他の三匹はまだ第一形態ですが、いずれ進化します」
父が無言でヒビたちを見た。
「スキルの正体は今も秘密にしています。学院の友人で知っているのは一人だけです」
「そうか」
カゼマルが「ぴよ」と鳴いた。母が指を差し出すと、嬉しそうに首を擦り付けた。
「かわいいわねえ」
「うるさいですけどね」
「それもかわいいじゃない」
場が少し和んだ。
父がヒビたちをひととおり見渡してから、静かに言った。
「……よく育てたな」
短い言葉だったが、それで十分だった。
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帰る日の朝も、庭で稽古をした。
「学院に戻っても続けろ。木刀でいい」
「はい」
「お前の剣にはまだ癖がある。踏み込みが浅い。意識しろ」
「分かりました」
父がナイフを四本、布に包んで渡してきた。
「これも持っていけ。近接で剣が使えない状況もある」
「ありがとうございます」
母が玄関で収納の指輪を渡してくれた。
「旅に出るなら必要でしょ。二十立方メートルくらい入るから」
「こんな高いものを」
「いいの。持っておきなさい」
俺は指輪を右手の薬指に嵌めた。魔力を流すと、石がわずかに光った。
「手紙くらい書きなさいよ」
「書きます」
「本当に?」
「本当に」
門を出るとき、父が一言だけ言った。
「一年後、もう少し様になっていろ」
「なってみせます」
父が小さく頷いた。
ポケットの中で、ヒビが温かかった。




