第57話 3年生の終わり
三年生の最後の授業が終わった日、空は薄曇りだった。
特別に感慨があるわけじゃない。一年が終わった、という事実がそこにあるだけだ。廊下を歩いていると、あちこちから「今年も終わりだな」とか「実家に帰るの楽しみ」とか声が聞こえてくる。
俺はそういう賑やかさの中を、少し外れたところで聞いていた。
「ジン、今年もお疲れ」
レオが隣に並んできた。
「お前も」
「いやー、三年生ってなんか早かったな。対抗戦もあったし、色々濃かった」
「そうだな」
「お前はどうせ帰省中も練習するんだろ」
「するな」
「やっぱり。まあそれがお前らしいか」
レオがぐっと伸びをした。背骨がぱきぱきと鳴る。
「俺は実家でぐうたらするつもり。それが楽しみで一年頑張ってきたって言っても過言じゃない」
「過言だろ」
「過言じゃないって! ……まあ、ちょっとくらいは練習するけどな」
「素直じゃないな」
「うるさい」
レオが笑って、廊下を曲がっていった。
その後、ライルとも廊下ですれ違った。
「帰省か」
「明日な」
ライルが頷いた。
「お前は?」
「同じだ」
それだけだった。ライルはそのまま歩いていく。でも角を曲がる直前に、一度だけ振り返った。
「また来年」
短く言って、消えた。
こいつにしては珍しい。来年もよろしく、ということだろう。俺はそれを受けて、小さく頷いた。
-----
夕方、寮の部屋に戻ると、扉の前に封筒が置かれていた。
差出人を見た。
アルマーレ家——父の名前が書いてあった。
珍しい。手紙が来ること自体がほとんどない。俺は封筒を拾い上げて、部屋に入った。
椅子に座って、封を開ける。
父の字は癖が強い。読み慣れているからすぐに解読できる。
「ジンへ。元気にしているか。学院での活躍、噂で聞いている。本題だが、お前に報告がある。先日、双子が生まれた。男の子と女の子だ。母子ともに健康で問題ない。帰省したときに顔を見せてやってくれ。以上だ」
——双子。
俺は手紙を持ったまま、少しの間止まった。
弟と妹が生まれた。
感情がどこにあるのか、すぐには分からなかった。嬉しい、という気持ちは確かにある。ただ、まだ実感がない。文字の情報として受け取っているだけで、それが現実として腑に落ちていない。
「……会いに行けばわかるか」
ヒビが内ポケットから顔を出した。
「弟と妹ができた」
ヒビが羽をぱたりとさせた。意味が分かるのかは知らないが、なんとなく伝わった気がした。
もう一度手紙を読んだ。
短い文章だが、父らしい。余計なことは書かない。必要なことだけを、簡潔に。でも「帰省したときに顔を見せてやってくれ」という一文には、珍しく柔らかさがある気がした。
ドロンが机の上でゆっくりと首をもたげた。
「明日帰るか」
ドロンが瞬きをした。
この一年で、ヒビが第二形態になった。ドロンが土亀になった。身体硬化を習得して、魔力纏いを使えるようになった。対抗戦にも出た。
色々あったな、と思う。
振り返るタイプじゃないが、今夜くらいは振り返ってもいいかもしれない。
カゼマルが隅でぴよぴよと鳴いた。パチが本棚の影で小さく動く。ミズチが机の端からこちらを見ている。
五匹がそれぞれの場所にいる、いつもの夜。
「明日から帰省だ」と俺は言った。
「また戻ってきたら、続きをやろう」
誰が返事をするわけでもない。でも、この部屋の空気が少しだけ温かくなった気がした。
俺は荷物をまとめ始めた。
荷物の量は少ない。着替えと、練習に使う布と、あとは——父から来た手紙をもう一度折りたたんで、荷物の間に挟んだ。
ドアをノックする音がした。
「ノールか?」
「はい」
入ってきたノールは、いつも通り手帳を持っていた。帰省前の挨拶のつもりらしい。
「帰省は明日ですか?」
「ああ。お前は?」
「明後日です。少し整理したいことがあって」
こいつらしい。休みに入ってもすぐには帰らない。
「手紙が来た」
ノールに言った。
「アルマーレ家から。双子が生まれたらしい」
ノールが少し目を丸くした。
「それはおめでとうございます」
「ありがとう。まだ実感がないが」
「会えば変わると思います」
「そうかもな」
ノールが少し間を置いてから、静かに言った。
「……弟妹ができるということは、ジンさんが家を出やすくなる、ということでもありますね」
鋭い、と思った。
「跡継ぎの問題が解消される」
「そうです。ジンさんが冒険者を目指すうえで、大きな意味があると思います」
ノールは感情的に言うわけじゃない。ただ、事実を丁寧に整理して言葉にする。それがかえって、俺の中でしっかり響いた。
「……そうだな」
帰省では、その話もしなければならない。冒険者になりたいこと、学院を出たら家を出て動きたいこと——まだ親には正式に話していない。
「親への相談、うまくいくといいですね」
「聞いてたのか」
「考えていることは顔に出てます」
またか、と思った。ノールにはどうやら何でも見える。
「筒抜けだな、俺」
「ジンさんの場合は、悪い意味ではないと思います」
ノールが小さく頷いた。
「では、よい帰省を」
「お前もな」
ノールが会釈して、部屋を出ていった。
また静かになった。
明日、家に帰る。弟と妹に会いに行く。親に話をする。
それだけのことが、なんとなく楽しみだった。




