第56話 纏う②
右腕の纏いが安定してから、さらに五日が経った。
左腕、両肩、胴体——順番に積み上げてきた。部位ごとに完成度を上げてから次に繋げる、という方法は纏いでも有効だった。硬化のときと同じだ。基本は変わらない。
今日は全身に広げることを目標にしていた。
練習場に一人で立って、息を整える。
まず指先から始める。右手の指先に魔力を滲ませる感覚——もう迷わない。そこから手のひら、腕、肩。左側も同じように。胴体に広げて、腰、太もも、膝、脛、足首、足先。
じわじわと、下まで降りていく。
「……繋がった」
全身を薄い層が覆っている感覚があった。
触れると霧散しそうなくらい繊細だが、確かに張れている。体の周囲に、うっすらと魔力の膜が存在している。
「維持できるか」
その場で軽く動いた。腕を回す。足踏みをする。
崩れない。
硬化より感覚が繊細なぶん、動いたときに揺らぎやすい。でも経路さえ安定していれば、少々の動きでは霧散しなかった。
「走れるか?」
試しに練習場を一周した。
全力ではない。ゆっくりとしたペースだ。それでも全身に纏いを張ったまま走る、というのは初めてだった。
一周、崩れなかった。
「……よし」
声が自然に出た。
全身に纏いを張れるようになった。これが出発点だ。次は硬化と同時に使えるかどうかだ——そっちはまだ先の話だが。
「ジン」
入り口のほうから声がした。
レオだった。今日は一人で来ている。
「おう、今日も来てたのか」
「ちょうどよかった。少し付き合ってくれ」
「何を?」
「模擬戦。俺の魔法、最近なんか当たらなくて」
レオが頭を掻きながら言った。
「動く相手に当てる練習がしたいんだよ。ジンが一番ちょうどいい」
「俺が速すぎるだろ」
「それがいいんだよ! 遅い相手で練習しても意味ないって気づいた」
妙なことに気づきやがった、と思いつつ、悪い気はしなかった。ちょうど纏いを張りながら実際に動く練習をしたかったところだ。
「いいぞ。ただし加減しろよ」
「もちろん! 俺だってそこまで無茶はしない」
二人で向かい合った。
レオが魔力を練り始めるのが分かる。火属性——それほどの鋭さはないが、速度がある。
俺は全身に纏いを張ったまま、構えた。
「いくぞ——」
レオが炎の弾を連射してきた。
俺は横にステップして最初の一発を躱す。二発目は前腕でいなす——纏いが触れた瞬間、魔力がかき消された感覚があった。
「……弾いてる」
実戦で使ったのは初めてだ。体に当たっても痛くない、というより魔力の衝突が表面で止まっている。
「え、なんで弾いてんの!?」
レオが目を丸くした。
「新しい技だ」
「なにそれ、ずるくない!?」
「ずくないだろ。俺が避けなかったら当たるぞ」
「……まあそれはそうか」
レオが気を取り直して、また魔力を練り始めた。
それから三十分、レオの練習に付き合いながら、俺は纏いを維持し続けた。動きながら、躱しながら、たまに受け流しながら——長時間の維持は初めてだったが、最後まで崩れなかった。
練習を終えたレオが、汗を拭きながら言った。
「……ジン、また強くなったな」
「お前も当たりが増えた」
「ほんとか?」
「最初の十発と最後の十発で精度が違う」
「マジか。じゃあ来てよかったな」
レオが屈託なく笑う。こいつはこういうところがいい。素直に喜ぶ。
「また付き合ってくれよな」
「気が向いたら」
「冷たい——」
レオが笑いながら練習場を出ていった。
一人になった練習場で、俺は纏いをもう一度確認した。
体の周囲に薄く、でも確かな層が張られている。
硬化で物理を、纏いで魔力を——両方使えるようになった。次は同時に発動できるかだ。
課題は尽きない。でも確実に、積み上がっている。
それだけで十分だった。
その夜、ノールが部屋に来た。
「纏い、習得できたんですね」
開口一番にそう言った。
「なんで分かった」
「顔が違います。何かが完成したときの顔をしてます」
「……見れば分かるのか」
「ジンさんは割と分かりやすいです」
本人にそのつもりはないのだが、どうやらノールには筒抜けらしい。
「今日レオとの模擬戦で実際に試した。火魔法を前腕で受けたら弾けた」
ノールが手帳を取り出した。
「纏いによる魔法防御の確認ですね。どの程度の強さまで耐えられるか、今後検証が必要ですが」
「いきなり強い魔法を受けるわけにもいかないな」
「少しずつ強度を上げて試すしかないと思います。……それと、硬化と纏いの同時発動は考えていますか?」
「考えてる。次の課題だ」
「理論上は可能なはずです。ただ、二つの異なる制御を同時に行うのは消耗が大きいと思います。魔力量が問題になるかもしれません」
「やってみないと分からないな」
「そうですね。焦らずに」
ノールが几帳面に記録を取りながら言う。こいつはいつも俺に「焦らずに」と言う。心配性なのか、それとも単純にペース配分を重視しているのか。
「お前は心配性だな」
「そうですね。ジンさんが無茶をしがちなので」
「そんなに無茶してるか?」
「してます」
間髪入れずに返ってきた。
俺は少し黙った。自覚がない分、反論しにくい。
「……気をつける」
「お願いします」
ノールが小さく頷いて、手帳を閉じた。
「それと——今日、セレインさんが練習場に来ていましたね。纏いについて話していたのを少し聞きました」
「ああ。随分助かった」
「そうですか。……セレインさんは付与魔法の人なのに、身体強化系の知識も持っているんですね」
「魔法理論全般に詳しいんだろう」
「なるほど。エルディア家の教育の影響でしょうか」
ノールが独り言のように呟いた。
「もう遅いぞ」
「あ、そうですね。失礼しました」
ノールが立ち上がって、丁寧に会釈してから部屋を出ていった。
静かになった部屋で、俺は天井を見上げた。
身体硬化と魔力纏い——両方が使えるようになった。三年生のうちに、ここまで来た。
ヒビが内ポケットからそっと顔を出した。
「次は同時発動だ。また付き合ってくれよ」
羽がぱちりと鳴った。返事のつもりなのかどうか——どちらでもいいと思った。




