第51話 もう1体が変わる
その変化に気づいたのは、朝の稽古の途中だった。
内ポケットの中で、ドロンがもぞもぞと動いている。眠っているときは丸まって静かなのに、今日はどうも落ち着かない様子だった。
稽古を切り上げて、人気のない場所を探した。
学院の東側にある物置の陰——ここはほとんど誰も来ない。ドロンをそっと手のひらに出してみると、細長いミミズの体がうっすらと光っていた。
「……お前、進化するのか?」
ドロンがゆっくりと丸まった。
いつもより動きが緩慢で、体の輪郭がぼんやりしている。光は弱いが、確かにある。ヒビのときも最初はこんな感じだった——体が光り始めて、じっとしたまま動かなくなる。
間違いない。これは前兆だ。
俺は息を吐いて、ドロンをそっとポケットに戻した。
今日の授業中も、ドロンはずっと動かなかった。昼休みに確認すると、体の光が少し強くなっていた。進化が近い、というより——もう始まっているのかもしれない。
その夜、寮の部屋でドロンを机の上に出した。
他のヒビたちも、それぞれの場所からドロンを見ていた。ミズチが机の端からじっと視線を向けている。カゼマル はぴよぴよと鳴くのをやめて、静かにしていた。パチは本棚の影から、ひげをぴくぴくさせながら観察している。
みんな、分かっているのかもしれない。
「ゆっくりでいいからな」
俺はドロンに小さく声をかけた。
ドロンは動かない。体の光がゆっくりと脈打っている。呼吸みたいなリズムで、規則正しく。
俺はそのまましばらく眺めてから、布団に入った。
起きたらまた確認しよう、と思いながら。
-----
翌朝、ドロンはまだ光っていた。
翌々日も、その次の日も、同じだった。
ヒビのときは数日だった。ドロンはもっとかかるらしい。俺は毎朝確認しながら、授業をこなし、練習をこなし、普通の日常を送った。
レオには「最近、考え事でもしてるのか?」と言われた。
「少し」と答えたら、それ以上聞いてこなかった。
ライルは何も言わなかったが、授業の合間に俺の顔をちらりと見ていた。こいつはそういう観察をさりげなくやる。
ノールだけが、廊下ですれ違いざまに小声で聞いてきた。
「ドロン、ですか?」
「ああ」
「そうですか」
それだけで、ノールは全部分かったようだった。こいつには説明が要らない。
-----
十四日目の朝。
目が覚めて、机の上を見た瞬間——光が消えていた。
俺は跳び起きた。
ドロンがいた場所には、一回り大きな生き物がいた。
甲羅を持つ亀だ。
ただの亀じゃない。甲羅の表面に大地の紋様が刻まれていて、それが淡く光を帯びている。体の色は深い土色で、落ち着いた重みがある。
「……ドロン?」
亀がゆっくりと首をもたげた。
目が合う。
その目は、ドロンの目だ。のんびりとした、焦りのかけらもない目。体が変わっても、そこにある意識は変わっていない。
俺は思わず笑った。
「お前、でかくなったな」
ドロンがゆっくりと瞬きをした。
甲羅の紋様が一度強く光って、また静かに収まった。まるで挨拶みたいに。
リンクを通じて流れてくるものが、前より少しはっきりした。感情の輪郭みたいなものではなく——もっと具体的な、重厚な存在感として。
ヒビが炎の蝶になったとき、羽ばたきが俺の体の中に響いた。
ドロンは違う。地面に根を張るような、どっしりとした感覚が流れてくる。
「……守ってくれそうだな」
ドロンがまた瞬きをした。
他の四匹も、それぞれの場所からドロンを見ていた。カゼマルが「ぴよ」と短く鳴いた。それが祝福みたいに聞こえて、俺はもう一度笑った。
その日の放課後、俺は練習場に向かった。
セレインが先に来ていた。いつも通り、魔力制御の練習をしているらしい。俺の顔を見て、小さく会釈した。
「……今日は、いつもと少し違いますね」
セレインが静かに言った。
「何かあったんですか?」
「少し、いいことがあった」
それ以上は言わなかった。
セレインも深く聞いてはこなかった。ただ、「そうですか」と短く返して、また自分の練習に戻った。
こういうところが、セレインとの関係のしっくりくる部分だ。多くを語らなくても、変に詮索されない。それでいて、こちらの変化にはちゃんと気づいている。
俺は少し離れた場所で、身体強化の練習を始めた。
魔力を全身に均等に流す。基礎中の基礎だが、これを徹底することが全ての土台になる。集中しながら、頭の片隅でドロンのことを考えていた。
あいつが土亀になった。
次に進化するのは、ミズチかカゼマルかパチか——まだ分からない。でも、五匹全員がいつか次の形態になる。そのたびに、俺との繋がりも深まっていく。
それが今は、楽しみでしかない。
「……集中できてますか?」
セレインの声が飛んできた。
「できてる」
「魔力の流れが途切れかけてましたよ」
「……気づいてたのか」
「制御の練習中ですから、周囲の魔力には敏感になります」
淡々とした口調だが、注意してくれているのは確かだ。
俺は気を取り直して、もう一度最初から整えた。
ドロンの進化に浮かれすぎていた。喜ぶのはいい。でも、今ここに集中することを怠ったら意味がない。
足元を固めながら、上を目指す。
ヒビたちの成長と、自分の成長を、同じペースで積み上げていく——それが俺のやり方だと、改めて思った。




